デコラゆえの陶冶(Jörg Demus)
五味先生のコレクションをみていて、
イェルク・デムス(Jörg Demus)のレコードの意外と多いことが、
「音楽に在る死」の最後に書かれていたことと結びつく。
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神をもたぬものに、死が問われるわけがない。その音楽には〝死〟がない。シューマンは畢にそれだけの作曲家だ、と私は思っている。もちろんシューマンの育った十九世紀前半の世相——全体としてはロマン主義の時代に属するが、民主思想と自由主義の擡頭にともない、すべての階層が歴史の担当者として登場し、自己の権利を主張できた。又、イギリスに始まった産業革命は、当然、それまでの経済態勢をくつがえすと同時に、産業革命の基底にある自然科学の発達と、唯物的傾向、実証主義思想ともいうべきものをいちじるしく伸張させた。
神はいなくて当然であり、そういう時代背景を抜きにしてシューマンの音楽は語れないと、諸井三郎氏などは指摘されるが、まったくその通りだろう。それは分る。だが、時代背景なんぞでぼくらは音楽を聴くのではない、少なくとも私は御免だ。私が聴きたいのはいい音楽である。そしていい音楽とは、倫理を貫いて来るものだ、こちらの胸まで。シューマンにはそれがない、死がない。それがデムスの弾いたシューマンであっても、だ。
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私はこれまでデムスの熱心な聴き手ではなかった、というより、あまり聴いてこなかった。
これから集中して聴いていこう、遅くはないとおもう。