Date: 8月 11th, 2017
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ブラームス ヴァイオリン協奏曲(クライスラー盤)

 ステージで演奏するソナタや、協奏曲を、暗譜で弾いたフリッツ・クライスラーは、大変な近眼だったので、伴奏者への配慮で一応、譜面を前にしてはいるが譜などまるで見ていなかったと、ミヒャエル・ラウホアイゼンは語っている。ラウホアイゼンは一九一九年から十年余、クライスラーの伴奏をつとめたが、その回想で又こうも言っている。——「ステージで演奏の休止のとき、クライスラーはヴァイオリンの頭部をもって、ぶらさげ、けっして脇の下に抱えたりはしなかった。一度、わけをたずねたら、そんなことをすれば弦をあたため、音が変ってしまうと彼は嗤った。又、あごの下にクッションを当てるようなことも此の巨匠はしなかった。クッションを使用すると、ヴァイオリンの音がこもる、ほら、こんな具合に——と弾き較べてくれたのが……」クライスラー愛好家ばかりか、音キチなら快哉を叫びたい挿話だろう。
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五味先生の「音楽に在る死」からの引用だ。

クライスラーは1950年に引退している。
これ以降のヴァイオリニストも多くは、脇の下にヴァイオリンを抱えている。
顎の下にクッションも当てる人もけっこういる。

この人たち(ヴァイオリニストたち)にとって、音とはその程度のことなのか、と思ってしまう。

「音楽に在る死」には、こうも書いてある。
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 ジャック・ティボーは、どうしてもクライスラーの演奏した数々の協奏曲の中で、一つを選ばねばならないなら、躊躇なくブラームスのを採ると言ったそうである。なるほど、レオ・ブレッヒ指揮のベルリン国立オペラ管弦楽団とのそれは、ベートーヴェンやメンデルスゾーンの協奏曲とともに、SP時代、空前絶後の名演と讃えられ、クライスラーでなくば夜も明けぬ時期が私にはあったが、白状すると、メンデルスゾーンやベートーヴェンほど中学生には面白くなかった。私だけに限らぬようで、この協奏曲が、ヨアヒムとの親交なしに生まれなかったろうことは知られているが、そのヨアヒムが「自分のように指の大きな者でないと弾きにくかろう」と言い、それほど至難な技巧の要求されるわりに花やぎのないことをフォン・ビューローも指摘している。(ブルッフはヴァイオリンに味方する協奏曲を書いたが、ブラームスはヴァイオリンに敵対するそれを書いた——ハンス・フォン・ビューロー)要するに大変シンフォニックで難渋なこの曲が中学生に分るわけはなかった。門馬直美氏の解説で知ったのだが、この曲の完成後数年たって、当時早くも完璧な技巧の持主といわれたフーベルマンが十歳前後でこれを弾いたとき、天才とか神童をあまり好きでなかったブラームスも、次第に演奏に惹きつけられ、終ってから控室に出向いて、演奏途中で喝采が起って気分がそこなわれたと悲観していたこの少年を抱いて、接吻し、褒めたたえて言うのに「そんなに美しく弾くものじゃないよ。」——ブラームスの面目躍如たる挿話だ。且この曲がどんな種類の音楽かもこの挿話は明かしている。
 クライスラーは、申してみればフーベルマンの再来だろう。
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クライスラーは引退後、それまで蒐集した楽器や美術品を手放したそうだ。
けれどブラームスのヴァイオリン協奏曲の自筆譜とショーソンの「詩曲」の自筆譜は置いていた。

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