オーディオ評論家は読者の代表なのか(その16)

私が買った「名曲名盤300」は、
二ページ見開きに三曲が紹介されていた。

評を投ずるのは七人の音楽評論家。
十点の点数を、三点以内に振り分けるというものだった。
評論家によっては、一点に十点をつけている場合もあった。

そして200字ちょっとのコメントをすべての評論家が書いていた。
ステレオサウンド 43号のベストバイのやり方とほぼ同じである。
コメントの中に出てくる演奏者名はゴシックにしてあった。

編集という仕事を経験していると、
200字程度のコメントを、少ない人(評論家)でも数十本、
多い人では二百本くらいは書くことになり、これはたいへんな労力を必要とする作業である。

もう少し文字数が多ければ楽になるだろう。
演奏者名だけでも、少なからぬ文字数をとられる。
残った文字数で、選考理由や演奏の特徴などについてふれていく。

選ぶ作業でも大変なうえに、コメントを書く作業が待っている。
人気のある企画とはいえ、同じやり方で継続していくとなると、
評論家からのクレーム的なものが出てきたであろう。

誰かひとりが代表して書けばいいじゃないか、
そうすることで文字数は増えるし、書く本数もずいぶんと減る。

書き手(評論家)の負担はそうとうに小さくなる。
それでも選ぶだけでもたいへんとは思うけれど。

でも、これは作り手側、書き手側の事情でしかない。
読み手側にしてみれば、なぜ以前のやり方を変えてしまったのか、と思ってしまう。

私もステレオサウンドの読み手だったころ、
なぜ43号のやり方を変えてしまったのか、と不思議に思ったものだ。

作り手側、書き手側の負担を減らすということは、
誌面から伝わってくる熱量の変化としてあらわれる。

編集経験があろうとなかろうと、読み手は敏感に反応する。
熱っぽく読めるのか、そうではないのか、のところで。

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