オーディオ評論家の才能と資質(その1)
ステレオサウンド 56号に、瀬川先生がこんなことを書かれていた。
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JBLの音を嫌い、という人が相当数に上がることは理解できる。ただ、それにしても♯4343の音は相当に誤解されている。たとえば次のように。
第一に低音がよくない。中低域に妙にこもった感じがする。あるいは逆に中低域が薄い。そして最低音域が出ない。重低音の量感がない。少なくとも中低音から低音にかけて、ひどいクセがある……。これが、割合に多い誤解のひとつだ。たしかに、不用意に設置され、鳴らされている♯4343の音は、そのとおりだ。私も、何回いや何十回となく、あちこちでそういう音を聴いている。だがそれは♯4343の本当の姿ではない。♯4343の低音は、ふつう信じられているよりもずっと下までよく延びている。また、中低域から低音域にかけての音のクセ、あるいはエネルギーのバランスの過不足は、多くの場合、設置の方法、あるいは部屋の音響特性が原因している。♯4343自体は、完全なフラットでもないし、ノンカラーレイションでもないにしても、しかし広く信じられているよりも、はるかに自然な低音を鳴らすことができる。だが、私の聴いたかぎり、そういう音を鳴らすのに成功している人は意外に少ない。いまや国内の各メーカーでさえ、比較参考用に♯4343をたいてい持っているが、スピーカーを鳴らすことでは専門家であるべきはずの人が、私の家で♯4343の鳴っているのを聴いて、「これは特製品ですか」と質問するという有様なのだ。どういたしまして、特製品どころか、ウーファーの前面を凹ませてしまい、途中で一度ユニットを交換したような♯4343なのだ。
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まだ高校生だった私は、そういうものなのか、と思っただけだった。
スピーカーメーカーの人でも、スピーカーをうまく鳴らせるわけではないのか、と。
ステレオサウンドで働くうちに、このことは少しずつ実感をともなってきた。
スピーカーを開発・製造することと、
スピーカーをうまく鳴らすことは、同じ才能ではない、ということを実感していた。
そのころから感じていたのは、オーディオ評論家に求められる才能とは、
音を聴き分ける能力、音を言葉で表現する能力──、
これらも必要ではあるのはわかっているが、
それ以上に、そしてそれ以前に必要な才能とは、
スピーカーをうまく鳴らすことである、と。
どんなに耳がよくて、音を巧みに言葉で表現できたとしても、
誰かが鳴らした音を聴いてのものであれば、
その人はオーディオ評論家であろうか、
せいぜいがオーディオ批評家ではないのか。
いまオーディオ評論家と呼ばれている人も、
自身のリスニングルームで鳴らしているスピーカーに関しては、
うまく鳴らしているであろう。
でも、それはオーディオ評論家ではないオーディオマニアもそうだ。
自身のリスニングルームという特定の空間において、
愛用しているスピーカーをうまく鳴らすことは、
オーディオのプロフェッショナルであろうと、アマチュアであろうと同じである。
スピーカーが置かれている環境が違ってきても、
どんなスピーカーをもってこられたとしても(もちろん基本性能がしっかりしているモノ)、
オーディオ評論家を名乗るのであれば、うまく鳴らすことができること、
これがオーディオ評論家としての大事な才能であるとともに、
むしろ資質といえるような気もしている。