Date: 4月 16th, 2017
Cate: 598のスピーカー
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598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その4)

私が長岡鉄男という名前を知ったのは、電波科学でだった。
1976年ごろ、長岡鉄男氏は電波科学に二ページのコラムを連載されていた。

肩の凝らない、漫談的内容だった、と記憶している。
まだ中学生だった私は、けっこう楽しく読んでいた。
そのころは、まだ長岡鉄男氏のオーディオ機器の試聴記事、評論は読んでいなかった。

FM誌のはずだ、最初に長岡鉄男氏の試聴記事を読んだのは。
正直、あまり面白く感じなかった。
電波科学の連載コラムの面白さは、感じなかった、というか、
そこには微塵もなかった。

コラムと試聴記事という違いはあっても、
その落差にがっかりしたのかもしれない。

一本や二本くらいの試聴記事でそう感じたわけではなかった。
FM誌は、ほぼ毎号買っていたから、そこそこ読むことになる。
その他に、ステレオサウンドをはじめオーディオ雑誌はそこそこ講読していたから、
長岡鉄男氏の書かれたものは、読んでいた。

小遣いをやりくりして買った雑誌だから、すみずみまで読んでいた。
それでも長岡鉄男氏の書かれたものは、必ず読むというわけではなくなってきた。

ラジオ技術の1997年1月号では、
長岡鉄男氏は、自身のことを「常識人」と書かれている。

この「常識人」をどう受け取るかは、人によって違うのだろうか。
私は、すんなりそうだな、と受けとめた。

私が長岡鉄男氏の書かれたものを読まなくなってきたのは、
結局のところ、長岡鉄男氏は常識人だったから、といえる。

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