実写映画を望む気持と再生音(その4)
「GHOST IN THE SHELL」の公開から一週間。
インターネットには、さまざまな人によるさまざまな評価が、けっこうある。
映画を観た後で読むと、
高く評価している意見についても、そうでない意見についても、納得できるところがある。
原作としてのマンガがあり、
同名のアニメ映画があるのだから。
それらの映画評を読んで思うことは、
この人は、どのフォーマットで「GHOST IN THE SHELL」を観たのだろうか、だ。
配給会社の試写室は、おそらく通常の2Dなのだと思う。
2Dの字幕版なのか、3Dの字幕版か。
IMAX版、MX4D版なのか。
どの版で観ても、映画そのものの評価は本質的に変らない。
けれど、テクノロジーが生み出す官能性ということに関しては、
大きく違ってくるばずだ(2D版で観てないので断言はできないけれど)。
今回は字幕版を観たわけだが、これがこのことに関しては良かったように思われる。
吹替え版も観たいと思っているが、
スカーレット・ヨハンソンの声が吹替えであったなら、官能性を感じただろうか。
昨晩は、その官能性にしばらくは圧倒されていた。
同時に、昨年度のKK塾での石黒浩氏の話も思い出していた。
モダリティと、その数についてである。