評論家は何も生み出さないのか(その2)
オーディオ評論と呼ばれる仕事もしていた知人は、小説も書いていた。
何本かは読ませてもらった、というか、読まされたことがある。
彼は芥川賞が欲しい、とストレートに語っていた。
そのための努力といえることは熱心にやっていたように見えた。
でも、どこか的外れの努力にしか見えなかったけれど、
彼は芥川賞が欲しいから小説を書いているのか、
小説を書くことが彼にとって、なんらかの意味を持つことだからなのか、が、
いつのころからか曖昧になっていたように思う。
彼は才能ある男だ、と自分でも思っているし、
少なからぬ周りの人たちもそう思っていたようだ。
私は、彼は周りの人たちの才能を部分的にトレースするのが得意な人と見ていた。
それもひとつの才能であろう。
彼がトレースしたものを知らない人にとっては、
彼は才能ある男ということになるが、
その元を知っている人たちは、彼のことをそうは見なかった。
彼がその後どうなったのかは良くは知らない。
小説を出版できたのだろうか。
小説家になっていたとして、彼は何かを生み出したといえるのだろうか。