世代とオーディオ(JBL 4301・その13)
JBLの4301の値下げがもう一年早かったら……、
ここで書いてきたようなシステム(組合せ)で始まり、
グレードアップをしてきたかもしれない。
でも現実はそうならなかった。
4301は当時はそこまで入手しやすい価格ではなかった。
本格的なスピーカーとして4301を自分のモノとできていれば、
その後の私のオーディオは、どうだったのだろうか、と想像してみるのは楽しいし、
4301について調べていくと、当時はわからなかったことがはっきりしてくる。
4301の開発責任者はゲイリー・マルゴリスである。
ステレオサウンド 51号から始まった4343研究に登場している。
ゲイリー・マルゴリスは1974年にJBLから勧誘され入社している。
彼が最初に取り組んだのが4301である。
ゲイリー・マルゴリスはステレオサウンドの誌面に、もう一度登場している。
53号掲載の、瀬川先生によるJBLの新ユニットの記事である。
アルニコマグネットからフェライトマグネットへの移行、それにともなう磁気回路のSFG化。
4343搭載の2231Aが2231Hに、2121が2121Hになっている。
ゲイリー・マルゴリスはこれらのユニットを瀬川先生のリスニングルームに持ち込んでいる。
ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」に、
ゲイリー・マルゴリスが、そのときのことを書いている。
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ブルース・スクローガンから私が受けた特命は、プロトタイプのSFGユニットを日本のオーディオ関係者に紹介するとともに、瀬川氏が当時使用していた4343のウーファーとミッドバスをSFGのそれと交換し、その評価を聞くというものでした。瀬川氏は、日本でもっとも尊敬されていた評論家のひとりであり、彼がJBL4343を称賛してくださったことが、このスピーカーが日本のオーディオファイルに受けいれられる大きな助けとなりました。このことから、瀬川氏によるプロトタイプSFGユニットの評価は、われわれにとって決定的なことだったのです。
当日は、夜の8時すぎからテストセッションがはじまりました。瀬川氏所有の4343のウーファーとミッドバスのユニットをSFGタイプに交換して試聴を始めましたが、最初にでてきた音は、決して満足のいくものではありませんでした。ノースリッジのJBL試聴室で聴いた音とは違い、深みもパワーもない音です。私はてっきり、スピーカーが輸送によって破損したのだと思ったほどです。しかし、パワーアンプを交換してみたところ、いままでの音が嘘のような、鮮明な音が聴こえてきたのです。どうやらパワーアンプに異常があったようでした。
その後何時間もの間、私たちはさまざまなレコードを試聴し、その間、瀬川氏はSFGユニットの新しい音響特性を注意深く観察していました。ちょうど真夜中を過ぎようというころ、瀬川氏は私に大きな笑顔をみせ「Good」とおっしゃってくださいました。私たちはさらに何時間もレコードを聴き、新しいスピーカーの音について議論を重ねました。
試聴が終わり、新しいSFGユニットを取り外すとき、瀬川氏はとても残念がったものです。しかしわれわれには、このSFGユニットをJBL社に持ち帰り、量産製品のスタンダードとする必要があったのです。瀬川氏には量産品が完成次第、さっそく発送することを約束して、深夜というより早朝に近い時間に氏のお宅をおいとましました。ホテルに戻ったのは明け方でした。アメリカで結果を待ちわびているブルース・スクローガンに電話で第一報をいれたときの、何ものにもかえがたい充実感を忘れることはできません。長時間にわたる真剣な試聴で非常に疲れてはいても、たいへん元気づけられました。
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メーカー側の人間からのリポートである。
53号の瀬川先生の記事は読んでいた。
54号では特集で4343と4343Bを直接比較されていて、それももちろん読んでいる。
暗記するほど読んでいる。
その裏側というか、あまり表に出てこない話が、14年経ってあきらかになる。
そして、こういう人(マルゴリス)が4301の音室決定をしていたことが、
実に興味深い。
瀬川先生とゲイリー・マルゴリスとの会話がどういうものであったのか、
その詳細を知りたいとも思う。