Date: 11月 3rd, 2008
Cate: 言葉
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石井幹子氏の言葉

いま発売されている週刊文春11月6日号に掲載されている、
照明デザイナーの石井幹子氏のインタビュー記事は、
そのままオーディオに置き換えられる興味深い話がいくつもある。

石井氏は、フィンランドの著名な照明デザイナーのリーサ・ヨハンセン・パッペ氏の教え、
「照明で最も大事なのは光源」
「光は見るものではなく浴びるもの」
「ルックス(明るさの単位)は数字でなく感覚で理解すること」
このライティングの基礎がいまも座右の銘と語られている。

これらは、こう置き換えられるだろう。
「オーディオで最も大事なのは音源」
「音は聴くものではなく浴びるもの」
「dB、Hzは数字でなく感覚で理解すること」

さらに「人を魅きつけるあかりは陰翳のグラデーションの中にこそある」、と語られ、
「照らしすぎた照明では、人は『見える』としか感じられない」、とされている。

情報量の多すぎた音では、人は「聴こえる」としか感じられない、
そういう面が、いまのオーディオにはあるような気がしてくる。

例として、石井氏は、
「目の前の茶碗ひとつにしても、ポッと柔らかなあかりが灯ったところ──
明と暗の中間に美しい陰翳があれば、人の記憶に訴える」ことをあげられている。

情報量が多いだけの音では、記憶に訴えられない、
そんな音で聴いて、音楽が記憶に残るのだろうか、
心を揺さぶるのだろうか。

柔らかな明かりで陰翳をつくれば、ディテールはどうでもいいというわけではない。

「仕事はディテールこそが全体を左右する」と言われている。

欧米の文化が「光と闇の対比」で照明をとらえるのに対して、
日本的な「光と闇の中間領域のグラデーションの美」を表現してみたい、とのこと。

示唆に富む言葉だと思う。

わずか3ページの記事だが、ぜひ読んでもらいたい。

もうひとつだけ。
経験則として語られているのが、人の記憶を呼び覚ます照明デザインは理屈じゃなく、
「肩を寄せあって見つめるにふさわしいあかり」を実現できれば、
「人はそのあかりのもとに集まってきてくれるだろう」と。

なぜ音に関心をもつ人が少数なのか。そのことをもういちど考えなおす、良きヒントだと思う。

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