石井幹子氏の言葉
いま発売されている週刊文春11月6日号に掲載されている、
照明デザイナーの石井幹子氏のインタビュー記事は、
そのままオーディオに置き換えられる興味深い話がいくつもある。
石井氏は、フィンランドの著名な照明デザイナーのリーサ・ヨハンセン・パッペ氏の教え、
「照明で最も大事なのは光源」
「光は見るものではなく浴びるもの」
「ルックス(明るさの単位)は数字でなく感覚で理解すること」
このライティングの基礎がいまも座右の銘と語られている。
これらは、こう置き換えられるだろう。
「オーディオで最も大事なのは音源」
「音は聴くものではなく浴びるもの」
「dB、Hzは数字でなく感覚で理解すること」
さらに「人を魅きつけるあかりは陰翳のグラデーションの中にこそある」、と語られ、
「照らしすぎた照明では、人は『見える』としか感じられない」、とされている。
情報量の多すぎた音では、人は「聴こえる」としか感じられない、
そういう面が、いまのオーディオにはあるような気がしてくる。
例として、石井氏は、
「目の前の茶碗ひとつにしても、ポッと柔らかなあかりが灯ったところ──
明と暗の中間に美しい陰翳があれば、人の記憶に訴える」ことをあげられている。
情報量が多いだけの音では、記憶に訴えられない、
そんな音で聴いて、音楽が記憶に残るのだろうか、
心を揺さぶるのだろうか。
柔らかな明かりで陰翳をつくれば、ディテールはどうでもいいというわけではない。
「仕事はディテールこそが全体を左右する」と言われている。
欧米の文化が「光と闇の対比」で照明をとらえるのに対して、
日本的な「光と闇の中間領域のグラデーションの美」を表現してみたい、とのこと。
示唆に富む言葉だと思う。
わずか3ページの記事だが、ぜひ読んでもらいたい。
もうひとつだけ。
経験則として語られているのが、人の記憶を呼び覚ます照明デザインは理屈じゃなく、
「肩を寄せあって見つめるにふさわしいあかり」を実現できれば、
「人はそのあかりのもとに集まってきてくれるだろう」と。
なぜ音に関心をもつ人が少数なのか。そのことをもういちど考えなおす、良きヒントだと思う。