Date: 4月 3rd, 2016
Cate: アンチテーゼ
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アンチテーゼとしての「音」(その2)

シェフィールドのダイレクトカッティング盤だけではない。
ときおり無性に聴きたくなる音がある。

それはシェフィールドのダイレクトカッティング盤でもあり、
ある特定のアンプやスピーカーシステム、スピーカーユニット、カートリッジであったりする。

それらはすべて製造中止になっているモノだ。
懐古趣味で、昔はよかった、と思い出したくてそれらを聴きたい、と思っているわけではない。
たいていの場合、特にアンプなどの電子機器は劣化もあるし、
そのころと現在とでは技術のレベルが大きく変っているところがあって、
あまりに期待しすぎると、こんな音だったかなぁ……、と感じてしまうことも少なくない。

そういうことがあるのをわかっていて、いまもう一度聴きたい、と思うのは、なぜなのか。
それも常に聴きたい、と思うわけではない。

ある時期は、あるアンプを、その時期がすぎればあるスピーカーの音を、
そしていまはシェフィールドのダイレクトカッティング盤を、というように、
その時々で、聴きたい、と思う対象は変っていく。

技術の変化は流れであって、その流れは音の変化を生んでいく。
時代時代に、大きな流れとしての、ひとつの音の傾向が主流となっていくこともある。
流行とまでは呼べなくても、主流と呼ぶのも、少し抵抗を感じながらも、
そういう音の流れ(傾向)は、たしかに存在しているし、存在してきた。

オーディオに関心をもつということは、そういうことに無関心でいることは難しい。
無関心、無関係でいることもできないわけではないだろうが、
それは私の求めるところではない。
多くの人がそうだろう、と思う。

そういう音の流れに対してのアンチテーゼがある、と思う。
昔は、そんなふうに思うことはあまりなかったけれど、
ときおり聴きたくなるモノ(音)をふりかえってみると、
アンチテーゼとしての「音」を、その時々で求めているようにも思えるのだ。

いまの私にとっての、アンチテーゼとしての「音」が、
シェフィールドのダイレクトカッティング盤の「音」である。

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