Date: 1月 3rd, 2016
Cate: 再生音
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続・再生音とは……(その25)

ピアノロールによる自動ピアノの再現性とは、いったいどの程度なのだろうか。
ステレオサウンド 45号では、インタヴュアーの坂氏の、
「巨匠たちの演奏スタイルがかなりのところまできくことができる」を受けて、
京須氏と半田氏は次のように語られている。
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京須 ええ、まずそれがいえると思います。それから、強弱が16段階までコントロール出来るといっても、ある範囲内での16段階で、おのずと限界はありますけれど、SP録音とくに一九三〇年代初頭以前のものは、感覚的には演奏がおしはかれるような気がするが、本当のところは分らないのに対して、こちらのほうが骨格ははっきり分ります。たしかに微妙なところは出ないかもしれませんが、演奏の骨組みはひじょうにはっきり出ます。ですから、SPあるはSP復刻盤をきいて、情緒的に描いていたピアニストのイメージと、ややちがったものが出てきているように思うんです。もちろん、ぴったり一致するところもあるけれど、全部が全部一致しない。
 われわれがSPの復刻盤などをきいてムード的に描いていた、今世紀初頭のピアニストの演奏スタイルに対する認識を変えるひとつのきっかけになるのではないか、そんな気がしています。このことは、実際に音をきいてみてはじめて気がついたことなんですよ。
半田 ぼくなんかはもっと単純に、機械がピアノを弾くんだからどれも同じ音がするだろうなどと、最初は思っていたんですね(笑い)。ところが実際に録音してみると、たとえば女流ピアニストはやっぱり女性の音なんですよ。そのちがいが出てくるんでびっくりしたんです(笑い)。
京須 リストの弟子なんかは、やっぱりものすごく豪快に弾いたり……(笑い)。ホフマンとパデレフスキーはぜんぜんちがうし、そういうところがちゃんと出てくるんですね。
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1977年当時は気がつかずに読んでいたのは、
京須氏も坂氏も「演奏スタイル」といわれているところだ。

ピアノロールによる自動ビアノが、同時代のSP盤録音よりも優れていたといえるのは、
この演奏スタイルの記録かもしれない。

京須氏が、そのことについて、もう少し詳しく語られている。
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京須 ピアノ・ロールの再生というのは、たしかに実際の演奏とは多少ちがっているのでしょうから、厳密にはいえないのかもしれないんだけれど、さっきもちょっとふれましたように、コルトーにしてもホフマンにしても、SPをとおして語られているほど情緒的でも崩れてもいないような気がするんですね。べつないいかたをすれば、過度にロマンティックではないのではないか、と思う。もちろん現代のピアニストの演奏に比較すれば、そうだったのかもしれないけど、一般に語られているほど気分のままに弾いているとは思えないんです。いわゆる耽溺的な演奏とばかりはいえないような気がします。
 たとえば、コルトーやバウアーのものでとくに思ったんですが、テンポ・ルバートをぼくたちはひじょうに心情的に受けとめているんだけれど、ピアノ・ロールでこのひとたちのテンポのゆれをきいていると、かならずしも心情的な表現のためにテンポを動かしているとは思えないんです。カラッと、あっけらかんと弾いていて、ただ、たとえば歌舞伎や踊りのきまりの手と同じように、こういうところはテンポを落とすんだといった、即物的といってもいいような意味での、ひとつのスタイルとして、テンポを変えているのではないかという気がします。だからこちらが、そこにあまり心情的なものをのっけてきくのは、むしろまちがっているようにも思うんです。
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今回、ピアノロールのことを思い出して、45号を取り出して読み返した。
これが約40年前の記事なのか,と思い読んでいた。

40年前のステレオサウンドだからこそ、というおもいももちながら読んでいた。

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