Date: 1月 3rd, 2016
Cate: 再生音
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続・再生音とは……(その24)

五味先生が、「ピアニスト」(新潮社刊「人間の死にざま」所収)で、
ホフマンについて書かれているところがある。
     *
 私はげんなりし、暫く、音を出さぬスピーカーを眺めていたら「これはどうですか?」社長が、物故せる作曲家の自作自演のピアノ・ロールから録音したレコードを取出してきた。マランツ・ファー・イーストが米スーパースコープ(ステレオ)のシリーズとして出したもので、マーラー自身のピアノ譜に改編した『第五交響曲』第一楽章、ドビュッシーの自ら弾く『子供の領分』と『前奏曲』から〝沈める寺〟〝パックの踊り〟〝野を渡る風〟、ラベルの『高雅にして感傷的なワルツ』、スクリアビン『前奏曲』、マックス・レーガー『間奏曲』変ホ長調、プロコフィエフ作品十二から〝行進曲〟〝前奏曲〟〝スケルツォ〟〝ガヴォット〟及び『三つのオレンジの恋』間奏曲など十二枚である。もっともわかり易いラフマニノフ自身の『前奏曲』嬰ハ短調、ト短調から聴かしてもらった。わかり易いというのは似たピアノ・ロール・シリーズの米エヴェレスト盤でヨーゼフ・ホフマンの弾いた同じ『前奏曲』嬰ハ短調、ト短調を私は聴いているからだが、念のために言えば、ヨーゼフ・ホフマンはアントン・ルービンシュタイン門下でラフマニノフ、レヴィンと並ぶ三羽烏と称され、中でももっとも頭角をあらわした天才少年だった。岡俊雄氏の解説によれば、ある日カーネギー・ホールでホフマンのリサイタルを聴いたラフマニノフが、ショパンのロ短調に至って「これで私のレパートリーがひとつ減ってしまった。ルービンシュタイン先生以来、こういう演奏はきいたことがない。もうやりようがない。あれは音楽そのものだし、唯一のやり方だ。ああ弾けるのはほかに誰もいない」と長嘆したそうである。ホフマンが今日ほとんど知られていないのは、岡氏の説明では、アコースティック時代の音がひどすぎるのですっかり彼はレコード不信になり、つまりその名演をレコードで知る機会が吾人にはなかったからだろうという。ホロヴィッツあたりは、でもホフマンにあこがれ彼をもっとも畏敬していたそうである。
     *
この時代のすべての演奏家がホフマンと同じだったわけではないだろう。
ピアニストはピアノロールとSP盤のどちらかを選択、もしくは両方の録音を残すことができたが、
他の楽器の演奏家、指揮者、声楽家には、この選択肢はなかった。

聴き手側にもいえる。
ピアノロールによる「録音」とSP盤による録音の両方を残しているピアニストもいる。
なのに、なぜピアノロールの「録音」を軽視してきたのか、と私は反省している。

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