続・再生音とは……(その23)
ステレオサウンド 45号で、
CBSソニーの京須氏と半田氏が語られているくだりがある。
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半田 日本では自動ピアノというと、なんとなくオモチャ扱いでしょう。
京須 仕掛けものというか、からくりといった印象が強いんですね。
半田 いずれにしてもニセモノだということでしょう。
京須 だから、どんなに雑音のかなたからきこえてくる演奏でも、SPだったら本物だということになって……(笑い)。このピアノ・ロールでも、そのひとが演奏したものを再生してるんだけど、どうもニセモノ扱いをされるんですね。
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ここのところを当時も読んでいた。
それでも、私の中には、ピアノロールによるものは、どこかニセモノというに感じていた。
しかも聴いてもいないのに、である。
ピアノロールは仕掛け、からくり、とあるが、
オーディオも仕掛け、からくりであることに変りはない。
そのころの蓄音器にしても、そういえる。
けれどピアノロールの全盛時代は1920年代であり、
これはSP盤の初期と重なっているし、ピアノロールは1950年代まで存在していた。
45号ではインタヴュアーの坂氏が語られている。
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広い意味での録音・再生装置としての価値を、少なくともLPレコードの出現までは認められていた、といえますね。事実、このシリーズにも収められているホフマンという巨匠などは、SPにはほとんど録音が残っていなくて、むしろピアノ・ロールのほうに数多く残っているほどですから。
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つまり、このことはホフマンは、当時のSP録音よりもピアノロールによる「録音」のほうが、
自身の演奏を正確に伝えることができる、という判断だった、ともいえよう。
もちろん当時のピアノロールに「録音」も、
いまの録音技術からみれば未熟であっても、
それでもホフマンにとってはSP録音はもっと未熟ということだったのではないか。