「正しい音とはなにか?」(その7)
ステレオサウンド 51号の五味先生の文章を読んで、すぐに「正しい音」と結びついたわけではなかった。
それなりの時間と、いくつかのことが私には必要だった。
川崎先生の文章がなかったら、
五味先生の51号での文章が「正しい音」と結びつくことはなかったかもしれない。
「正しい音とはなにか?」を思考はしていたであろうが、
川崎先生と出逢ってなければ、手前の段階で留まっていたような気がしてならない。
「正しい音」は、倫理性と芸術性の区別を曖昧にしたところには存在しない。
絶対に存在しない、といえる。
「正しいデザイン」も、倫理性と芸術性の区別を曖昧にしては存在しない。
「正しい音とはなにか?」を思考することで、
私は川崎先生のデザインに惹かれてきたのか、その理由がはっきりした。
それは「正しいデザイン」を、そのデザインを手にする者に問いかけているからである。
私は、そう解釈している。
だからこそ惹かれてきたといえるし、川崎先生のデザインによって引かれて(牽かれて)きたのかもしれない。