オーディオ機器の付加価値(その3)
付加価値の付加とは、付け加えられる、付け加えられたという意味である。
ある製品が完成した後に付け加えられた価値が、付加価値ということになるのか。
さらには付け加えられた価値であるのならば、
その価値を不要とする使い手が取り除くことができる価値なのだろうか。
私にとって、(その2)で挙げたJBLのHarkness、トーレンスのTD224、そのほかの機種から、
岩崎先生が使われていたモノということは取り除くことはできない。
傍から見れば、岩崎先生が使われていたスピーカー、アナログプレーヤー、カートリッジといったことは、
付加価値であると思っていたとしても、私にとっては付加価値ではない、という気持が強いのはそのためである。
取り除けない価値は、付加価値ではないはずだ。
では、タンノイのオートグラフにとって、五味先生が鳴らされていたということは付加価値になるのか。
私には、ここがやや微妙になってくる。
毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会をはじめたばかりのころ、
来られた方がいわれた。
オートグラフは五味康祐氏が鳴らしていたから特別なスピーカーではない。
そういうこととは関係なしに特別なスピーカーなのだ、と。
これは至極まっとうな意見である。
そうわかっていても、私にとってタンノイ・オートグラフは、
どこまでいっても五味先生がもっとも愛用されたスピーカーということで、特別な存在なのである。
つまり私にそう言われた人にとって、
五味先生が鳴らされていたいたことはオートグラフにとっての付加価値ではない、ということであり、
私にとっては付加価値以上の意味をもつことになる。
そしてその人と私のあいだに、五味先生が愛用されていた、ということが付加価値となって、
オートグラフを見ている人もいるはずだ。