なぜオーディオマニアなのか、について(その3)
具体的な何かを、意識的に音楽に求め得たいがために、音楽を聴いているわけではない。
モーツァルトにしろ、ベートーヴェンにしろバッハにしろ、
彼らの音楽を聴きたいとおもったり、何かで感じたりしたから聴いてきた。
その結果として、そこで鳴ってきた音楽を受けとめて、
何かを感じたり、何かを得たりすることがある。
同じ音楽(ディスク)をかけたからといって、常に同じものを感じたり得たりできるわけではない。
ヒーリングミュージックというのが、ほんとうに存在するのであれば、
いついかなる時も、ヒーリングミュージックと呼ばれる音楽を鳴らしさえすれば、
どんな人であっても、どんな時であって癒しが得られなければならないわけだが、
決してそんなことは起り得ない。
ある人にはヒーリングミュージックと呼ばれるものが癒しを与えてくれたとしても、
別の人にとっては、なんてことのない音楽でしかなかったりするだろうし、
同じ人であっても、癒しを感じる時もあれば、そうでない時もあってふしぎではない。
音楽のもつ力を信じてやまない。
音楽の効能を信じてもいるし、感じてもいる。
だから別項で、「wearable audio」を書き始めた。
音楽を聴き続けていくうえで大事なことは、
己が何を聴きたいのか、欲しているのかを、きちんと感じとれるかどうかである。
身体が欲しているものを食べること──、
このことだってそう簡単なことではない。
われわれはどれだけ素直に聴きたい音楽を選んでいるのだろうか。