日本の音、日本のオーディオ(その26)
菅野先生の録音として知られる「SIDE by SIDE」は、A面とB面で、録音に使っているピアノが違う。
ピエール=ロラン・エマールによる「フーガの技法」では、
ピアノの調律をピエール=ロラン・エマールが求める音色に応じて変化させてある。
この音色の違いを出すことは、「SIDE by SIDE」よりも「フーガの技法」の方が、
調律はいくつか変えてあるというものの、同じピアノであるだけに、より微妙で難しい面がある。
それはなにも再生だけがそうであるわけではなく、
録音においてもそうだったはずだ。
そして、より微妙で難しい音色の鳴らし分けは、一台のピアノで調律を途中で変えずに、
ピアニストの演奏テクニックによってのみ音色を変化させていく場合である。
グレン・グールドは、よく知られているように最初の録音、
つまりバッハのゴールドベルグ変奏曲では反復指定を大胆にも省いている。
それが晩年の再録音では反復指定の前半は行っている。
その理由は、決してひとつではないように思う。
グールドも旧録音と再録音のあいだ分だけ歳を重ねている。
そういうことによるグールド自身の変化もあっただろうが、
録音の変化・進歩があり、ピアノも違ってきていることも、無視できない理由のひとつのように思えてくる。
つまり録音に関してはモノーラルからステレオになり、機材の進歩があり、
録音方式自体もアナログからデジタルへの変化を迎えている。
このことによってテープに記録される情報量は、
旧録音と新録音とでははっきりとした違いがある。
その違いが、旧録音では捉えることができなかった(もしくは困難だった)、
グールドの演奏テクニックによる音色の変化をうまく捉えることができなかったのではないのか。
しかも、このことには録音だけではなく、ピアノそのものも大きく関係してくる。