Date: 3月 18th, 2013
Cate: 広告
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広告の変遷(その4)

オーディオメーカー、輸入代理店の広告にオーディオ評論家が登場することを、
どう思うのかは、人によって異っているだろう。

私は、というと、その広告が面白いならば、結構なことだと思っている。
なにしろ名前を出して、ときには顔写真も載せて、広告に出るということは、
そこで登場しているオーディオ機器、そのブランドを高く評価しているからであり、
そこにギャラが発生しているとはいえ、
まったく評価していないオーディオ機器、ブランドの広告に登場する人は、ほとんどいないはず。

それに、オーディオ評論家が登場する広告から、
そのオーディオ評論家の素顔に近い面も見ることができることだってある。
それもあって、私は、あの時代の広告は面白く、興味深いものと捉えている。

そんな私だけど、問題にしたいことがある。
それは広告の紹介文をオーディオ評論家が書いていることである。
もちろん、その紹介文を名乗っているのであれば、なんら問題とはしない。
けれど、すくなくとも1980年代から、私の知るかぎり割と最近まで、そういうことが続いていた。

オーディオ評論家の方すべてがそういうことをしているわけではない。
依頼があっても、そういうことはオーディオ評論家がやるべきことではない、とことわっている方を知っている。

だが中には、たやすく仕事として引き受けているオーディオ評論家(と呼べるのだろうか)が、
数人いる。
どの人が、どこの広告の紹介文を書いていたのかは、1990年代あたりまでは知っている。
それについて、こまかなことは書かないけれど、
この人たちは、恥を知っているのだろうか、と問いたい。

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