「音は変らない」のおかしさ
「音は変らない」も、おかしな表現だということに気がつく。
「音は変らない」が何をいおうとしているのかはわかっているけれど、
それでもこの「音は変らない」だけを取り出してみると、おかしなことだと感じる。
音はいうまでもなく一瞬たりとも静止しない。
つねに変動・変化しているから音である。
そんな性質の音をとらえて、「音は変らない」はおかしい。
「音は変らない」の音とは、音楽を構成する音である。
音楽もまた、つほに変動・変化する音から構成されるものであるから、
音楽もまた一瞬たりとも静止することは、絶対にない。
よくよく考えてみると、この世の中に「変らない」ものなんて、
なにひとつ存在しないことに気がつかされる。
音のように変動・変化がはやいものもあれば、
たとえば非常に硬く安定している物質は長年に亘り変化しない──、
人間の目にはそう見えても微視的にみれば、まったく変化していないわけではない。
ただ、その変化があまりにも遅いために人間の生きている時間内ではなかなか認識しにくいだけのことであって、
未来永劫まったく変化しないものなど、この世の中に存在しない。
つまり「音は変らない」は、
正しくは「変らないように聴こえる」であり、
「変らないように聴こえる」には人間の能力に関係していることだから、個人差もあるということだ。
たとえ「変らないように聴こえる」のだとしても、
それはその人にとってのことであり、ほかの人にとっては必ずしもそうではない。
「音は変らない」と言い切ってしまうことほど、非科学的なこともない。