Archive for 12月, 2022

Date: 12月 23rd, 2022
Cate: audio wednesday

第五回audio wednesday (next decade)

第五回audio wednesday (next decade)は1月4日ではなく、2月1日。

参加する人は少ないだろうから、詳細はfacebookで。
開始時間、場所等は参加人数によって決める予定。

Date: 12月 23rd, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(続・感じていること・その2)

その1)で、
《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。

そう書いた。
このことは、編集者、オーディオ評論家側だけの問題ではない。

《過去を大きな物語》とした語られたものを、読み手側は求めていない、
そういう読み手が増えたことも関係してのことだ。

Date: 12月 23rd, 2022
Cate: ディスク/ブック

緑の歌

ジャケ買い。
この本「緑の歌」はジャケ買いだった。

最寄りの書店に平積みされていた。
その表紙をみて、ためらわずレジに持っていった。

表紙の絵だけではない。
帯には、松本隆氏の推薦文がある。
     *
ねえ「細野」さん、
ぼくらの歌が
異国の少女の
「イヤフォン」を通して、
繊細な「孤独」を
抱きしめたら。
それって
「素敵」だよね?
     *
表紙に惹かれない人でも、これを読めば手にとる人もいるはずだ。

Date: 12月 22nd, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その11)

今年は、例年以上にステレオサウンドにがっかりした一年だった。
今年もステレオサウンドは面白かったよ、という人が少なからずいるだろうが、
私にとっては──、というと、
年四冊のうち、二冊がオーディオの殿堂、ステレオサウンド・グランプリ、ベストバイ。
残り二冊の特集の企画に期待したいところだったが、それもかなわなかった。

そもそも期待していたわけでもなかったので、がっかりしているわけでもない。
ただそれにしても──、と例年以上に思うだけだ。

ステレオサウンドはそんなぐあいだった。
オーディオアクセサリーも同じ感じなのだが、
同じ音元出版のanalogは、別項でも触れているように期待がもてるところを、
少しは感じることができる。

だからといって、これから先ますます期待に応えてくれるようになっていくのか、
それとも反対方向へと進んでいくのか。
そのへんはまだなんともいえないが、期待できないオーディオ雑誌ばかりでは、
やはりつまらない。

期待したいのだ、本音は。
オーディオ雑誌を楽しみにしたいのだ。

ステレオも期待できるかな、と思わせながらも、
別項でリンクしている動画をみるかぎりは、大丈夫だろうか、と心配になってくる。

馬脚をあらわすのか、それともよくなっていくのか。
2023年の十二冊が楽しみだ。

Date: 12月 21st, 2022
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(続・感じていること・その1)

《過去を大きな物語として語れる編集者は消滅しました》
七年前、川崎先生が語られていたことばだ。

ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めていると、
川崎先生の、このことばが浮んでくる。

《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。

Date: 12月 21st, 2022
Cate: 訃報

大野松雄氏のこと

大野松雄氏の訃報を、facebookで知った。

大野松雄氏といっても、誰? という人が少なからずいると思う。

2020年6月のaudio wednesdayで、「鉄腕アトム・音の世界」をかけた。
「鉄腕アトム・音の世界」に収録されている音、
この音たちは、それまで世の中に存在しなかった音であり、
この存在しなかった音たちを生み出したのが、大野松雄氏である。

大野松雄氏は音響デザイナーである。
大野松雄氏の名前を知らなくても、
大野松雄氏によってうみだされた音たちは、どこかで耳にしているはずだ。

Date: 12月 21st, 2022
Cate: 境界線

感動における境界線(その5)

元気をもらった、という表現がある。
○○のライヴに行って、元気をもらった──、
そんなことを目にすることがわりとある。

○○には、自分の好きな演奏家、歌手の名前をあてはめてもらえばいい。

ここで問いたいのは、○○の音楽ではなく、
元気をもらった、とのところだ。
元気でなくてもいい、勇気をもらったでもいい。

ほんとうに○○の音楽から元気(もしくは勇気)をもらったのだろうか。
元気(勇気)がわいてきた、ではないだろうか。

○○の音楽と、聴いた人の裡にあるなにかとが共鳴しての元気(勇気)がわいてきたり、
化学反応のようなものが起り元気(勇気)がうまれてきたのを、
元気(勇気)をもらった、と受け手側が錯覚しているだけではないのだろうか。

時には、聴き手側のそういう発言を耳にして、
音楽の送り手側の人間もそんなふうに勘違いしたりはしないだろうか。

フルトヴェングラーは、
「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」を語っている。

感動とは、そこに存在しているわけではない。
確かなものとして、どこかにある存在でもなく、
うまれてくるもののはずだ。

その意味で、元気(勇気)も同じではないのか。
ここを曖昧にしたままでも音楽は聴ける。
元気になれる、それでいいじゃないか、といわれればそれまでなのだが、
ここを曖昧にしたままではなんなとく釈然としないものが、こちら側に残ってしまう。

Date: 12月 20th, 2022
Cate: Claudio Abbado

Abbado 90(その2)

気にはなっていたものの、ステレオサウンドの試聴で初めて聴いたのだから、
それまではクラウディオ・アバドの聴き手ではなかったわけで、
マーラーの第一番を聴いても、熱心な聴き手になったわけでもなかった。

それでもアバドの演奏(録音)は、気になる作品が出ればわりと聴いてきた、と思っている。
思っているだけで、アバドの夥しい録音量からすれば、わずかとかいえないのだが、
それでもアバドが残した演奏(録音)のなかで、いくつかは愛聴盤といえるものがあるし、
ことあるごとに聴いているレコード(録音物)もある。

シカゴ交響楽団とのマーラーの一番に続いて、
ステレオサウンドの試聴ディスクとなったアバドのディスクは、
ベルリオーズの幻想交響曲である。

マーラーの一番は、サウンドコニサーの試聴だけだったが、
幻想交響曲は、いくつかの試聴で使われたから、
聴いた回数はマーラーの一番よりもずっと多い。

マーラーの一番はLPだった。
幻想交響曲は最初はLPで途中からCDにかわった、と記憶している。

マーラーの一番は買わなかったけれど、幻想交響曲はLPを購入した。
シーメンスのコアキシャル・ユニットを、
平面バッフル(1.8m×0.9m)に取りつけて聴いていた時期だ。

ステレオサウンドの試聴室で聴いて、
その音が耳に残っているうちに帰宅してからも幻想交響曲を聴いていた。

アバドの残した録音で、回数的(部分的であっても)には、
幻想交響曲をいちばん聴いているといえるが、だからといって、
アバドの幻想交響曲が愛聴盤というわけではない。

愛聴盤は他にある。
ベルクの「ヴォツェック」だったり、シューベルトのミサ曲、
ポリーニとのバルトークのピアノ協奏曲などがそうである。

Date: 12月 19th, 2022
Cate: Claudio Abbado

Abbado 90(その1)

来年(2023年)は、クラウディオ・アバド生誕90年ということで、
ドイツ・グラモフォン&デッカ録音全集が発売になる。

CD237枚、DVD8枚組で、来年2月中旬ごろの発売予定。
通常価格は12万円を超えている。

ドイツ・グラモフォン、デッカからこういうCDボックスが出るということは、
EMI録音も、ワーナーから出てくると思われる。

アバドは、いったいどれだけの録音を残しているのか。
そうとうな数としかいいようがないけれど、私はそのうちのどれだけを聴いているのか。

私がアバドということを意識して聴いた最初のレコード(録音物)は、
シカゴ交響楽団を指揮してのマーラーの交響曲第一番だった。

1982年、ステレオサウンドの別冊サウンドコニサー(Sound Connoisseur)での試聴においてだった。
つまり、それまでは気になる指揮者ではあったものの、
他に聴きたい演奏家が大勢いて、ついついアバドに関してはあとまわしにしていた。

そんな時に聴いたアバドの演奏は、なんと生真面目な演奏なのだろうか、と、
その徹底ぶりにそうとうに刺戟を受けた。

Date: 12月 19th, 2022
Cate: 終のスピーカー, 組合せ

終の組合せ(その1)

終のスピーカーがやって来た。
だから、終の組合せというものを考えているところだ。

ここでの終の組合せは現実的に購入できる価格帯のモノではなくて、
予算に制約のない、いわば妄想組合せでもある。

ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40が、
終のスピーカーとして私のもとにある。

では、このTroubadour 40を中心にしての終の組合せをどう考え、どう展開していくのか。
いまのところ、ただぼんやりとしているだけだ。
はっきりしているのは、D/AコンバーターはメリディアンのULTRA DACということだけ。

この二点だけは決っている。
私にとっては変えようがない決定でもある。

あとはアンプとトランスポートである。
妄想組合せといっても、現行製品のなかから選んでいきたい。

価格の制約こそないものの、
すべての制約をなくしてしまっては組合せを考える愉しみは薄れてしまう。

とはいうものの、これがいちばんの制約のようにも感じている。

Date: 12月 18th, 2022
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その28)

ここで書いてきているCR方法は、
もちろんジャーマン・フィジックスのTroubadour 40でもやる。

いまは部屋の片づけに追われているのと、
最初はCR方法を施さない音を十分聴いてからのほうが、
CR方法がTroubadour 40に対して、どう作用するのか。

それはピストニックモーションのスピーカーに対しての作用とまったく同じなのか。
基本的には同じのはずだろうが、変化量も同じなのか。
もしかすると大きいのか小さくなるのか。

そのへんのことをきちんと把握する上でも、来年、少し落ち着いたら、
Troubadour 40にCR方法を施してみる。

Date: 12月 18th, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その84)

オーディオの想像力の欠如した者は、「正しい音なんて、ない」と断言できてしまう。

Date: 12月 17th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 世代

アナログディスク再生の一歩目(その5)

アナログプレーヤーを構成する部品のなかで、カートリッジは交換が簡単に行える。
オーディオマニアならば、カートリッジを複数個持っている人は大勢いる。

いまは、カートリッジはこれだけです、という人でも、
そこにたどりつくまでにはいくつものカートリッジを使ってきたはずだ。

けれどトーンアームとなるとどうだろうか。
トーンアームの比較試聴をしたことがある人は、それほど多くないはずだ。
まして若い世代となると、トーンアームの比較試聴をやったことのある人は、
もっともっと少なくなる。

同じカートリッジであってもプレーヤーシステムがかわれば、音はかわる。
プレーヤーシステム全体の比較試聴をしたことのある人は、そこそこいよう。
けれどトーンアームをつけ替えても比較試聴となると、どうだろうか。

私はステレオサウンドで働いていたから、トーンアームの比較試聴の機会にめぐまれた。
けれどそうでなかったら、どれだけのトーンアームの試聴ができただろうか。

昨晩のaudio sharingの忘年会で、私より若い世代の人との話で、
やはりトーンアームのこのことが話題になった。

カートリッジとターンテーブルはそのままでトーンアームの比較試聴の機会はない──、
そうだろうと思いながら聞くだけしかできなかった。

そういう機会を、いまのところつくることもできないし、
ここに行けばトーンアームの比較試聴ができるよ、というところはあるのだろうか。
私は知らない。

Date: 12月 17th, 2022
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その31)

昨晩は、audio sharingの忘年会だった。
四谷三丁目の喫茶茶会記がなくなり、audio wednesdayをやらなくなって二年。
今年9月に再開したけれど、仮再開といった感じで、
喫茶茶会記のように、毎回決ったところに集まってという感じでは行えない。

audio wednesdayの常連だった方たちとはときおり会うことはあっても、
常連の人たちが集まってということは、二年間なかった(やらなかった)。

昨晩は私を含めて九人。
ひさしぶりに常連の人たちが、ほぼ揃った感じだった。

みな音楽好き、オーディオ好きだから、年齢に関係なく話は盛り上る。
約三時間、いろんな話題が出て、たっぷり笑っていた。

やっぱりこうやって集まるのはほんとうに楽しい。
年一回であっても、こういう集まりはやっていきたい。

Date: 12月 16th, 2022
Cate: German Physiks

ジャーマン・フィジックス Troubadour 40のこと(そのセッティング)

持っていないので私のところでは試していないが、
知人宅でTroubadour 40のセッティングで、あることを試してみた。

知人は磁石の反発力を利用したフローティング機構のSAPを持っていた。
Troubadour 40の下にSAPを置く。
つまりTroubadour 40をフローティングしたかっこうになる。

試す前から、そうとうな音の変化が得られるであろうことは、
以前、スピーカーシステムをコロ支持することでの音の変化を体験しているだけに、
容易に想像がついていた。

出てきた音の変化は、予想を超えていたところもあった。
結果は成功といってよかった。

なので私のところのTroubadour 40でも同じことを試すつもりである。
と同時に気になる製品がある。

ウェルフロートのバベルである。

試してみたいと思っても、そうとうに高価なモノだ。
しかもTroubadour 40用には二台必要となるから、さらに高価となる。

私はバベルを試したことはないし、実物をみてもいないが、
友人は、このバベルによる音の変化を録音の現場で体験している。

その音の変化を興奮気味に語ってくれたことからも、
そうとうな実力だということは伝わってきた。

Troubadour 40とウェルフロートのバベル。
ユニークな組合せとなるはずだ。