Archive for 1月, 2021

Date: 1月 4th, 2021
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その8)

別項で書いたように喫茶茶会記が、四谷三丁目から長野県茅野市に移るわけだが、
今日、店主の福地さんと話していて、標高のことが話題になった。

現在の喫茶茶会記の標高は38mくらいだそうだ。
移転先は長野県茅野市ということもあって、1,000mを超える、とのこと。
これだけ標高が違えば、気圧の違いも音に影響してくることだろう。

といっても、気圧の違いがどれだけ音に影響を及ぼすのかは、体験がない。
それに変化は標高(気圧)だけではなく、
電源事情、ノイズ環境その他も大きくかわるわけだから、
移転先で音を出すようになっても、
これが気圧による変化だ、といったことはいえない。

それでも興味はわく。
新しい喫茶茶会記では、どんな音を出せるのだろうか。

Date: 1月 4th, 2021
Cate: ロマン

好きという感情の表現(余談)

昨年の大晦日の帰り道、
私の頭のなかに浮んでいたのは、
アン・ルイスの「女はそれを我慢できない」、
映画「女はそれを我慢できない」、
この二つのタイトルだった。

大晦日の「それ」とは、
いい音である。

Date: 1月 4th, 2021
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade)

喫茶茶会記は、2020年12月31日に閉店した。
移転先は長野県茅野市に決っている。
開店がいつになるかは、まだはっきりとは決っていない。

audio wednesdayも、なので東京ではなく長野で行うことになる。
これまでのように毎月第一水曜日というわけにはいかない。

年に一回、もしくは二回ぐらいになるはずだ。
新しい店舗は、元は別荘だった建物とのことで、簡易宿泊施設も用意するとのことだから、
日帰りではなく、一泊しての夜通しのaudio wednesdayになるかもしれない。

それに新しい店舗では、オーディオのシステムは動かさなくても済むとのこと。
これまではイベントによっては、システムまるごと奥の小部屋に移動ということがあった。

そのため、毎回セッティングをまるごとやることから始まっていたわけだが、
新しい店舗ではそれがなくなり、じっくりと音をつめていくことができるようになる。

遠くなるのは確かだが、
じっくりと取り組める環境になるのも確かだ。

長野かぁ……、行けないなぁ、という人もいるけれど、
長野か、今度は行けるな、という人もいるはずだ。

audio wednesday(名称も変るかも)は不定期開催になるが、
次の十年が始まることは、確かなことだ。

Date: 1月 3rd, 2021
Cate: Cornetta, TANNOY, バスレフ(bass reflex)

TANNOY Cornetta(バスレフ型エンクロージュア・その4)

セレッションのSL6をKMA200で鳴らした時のことについては、
ずっと以前に別項に書いているので、詳細は省く。

この時の音は、私だけでなく山中先生も驚かれていた。
目の前で鳴っているスピーカーの大きさ、ウーファーの口径が信じられないほど、
素直に下までのびていた。

SL6は、小型・密閉型スピーカーである。
コーネッタとは大きさも型式も違う。

それでも低音ののびに関しては共通するものを感じていた。
そして、もうひとつ、QUADのESLのことも思い出していた。

ESLも、一般に思われている以上に下までのびている。
ただし、かなり良質のアンプで鳴らしての場合ではあるが、
その時の音は、SL6を聴いたときの同じように驚いたものだった。

SL6の上級機SL600を、鳴らしていた。
SUMOのTHe Goldで鳴らしていた。

SL600からESLに替えた。
アンプはそのままだった。

SL600の低音もよかった。
それでもESLがうまく鳴るようになってくると、さらに驚きがあった。
ESLはコンデンサー型スピーカーだし、エンクロージュアはない。

コーネッタ、SL6(SL600)、ESLと、
すべてスピーカーとしての型式、大きさ、形状はそうとうに違う。
それでも低音ののびということに関しては、共通するよさというか、
通底するなにかがあるようにも感じられる。

とにかくコーネッタの低音は、聴く前に想像していた以上にのびていた。

Date: 1月 3rd, 2021
Cate: Cornetta, TANNOY, バスレフ(bass reflex)

TANNOY Cornetta(バスレフ型エンクロージュア・その3)

喫茶茶会記のスピーカーシステムは、38cm口径のウーファーである。
アルテックの416-8Cを、ウルトラバスレフ型エンクロージュアにおさめている。

日本では、オンケン型バスレフといったほうがとおりがいい形式のもので、
エンクロージュアの両端にバスレフのスリットが設けられている。

audio wednesdayで、このアルテックのシステムを鳴らしてきて、
ふとした時に思っていたのは、後少し低音が下までのびていれば、ということだった。

1オクターヴとはいわない、半オクターヴほどでいい、
下までのびていればいいのに、と思うのは、
昔、JBLの4343で聴いた印象が強いディスクをかけたときだった。

もちろん不満を感じないこともある。
それでも、ないものねだりなのはわかっていても、あと少し、とおもうことが何度かあった。

コーネッタを喫茶茶会記で鳴らして感じたのは、
このアルテックよりも下がのびている、ということだった。

コーネッタにおさめられているユニットは、HPD295Aで25cm口径である。
38cmと25cmではふとまわり違う。

それでもコーネッタのほうが、アルテックよりも下までのびている感じなのだ。
どちらが良質の低音なのかは、ここでは問わない。
どちらがより低い帯域まで再生できるかといえば、
私だけでなく、ほかの人の耳にも、はっきりとコーネッタだった。

だからコーネッタを聴いていて、思い出していたのは、
セレッションのSL6のことだった。
ステレオサウンドの試聴室で、新製品の試聴で、
クレルのKMA200で鳴らした時のSL6の音、それも低音ののびは、
いまも印象的なほどはっきりと憶えている。

Date: 1月 2nd, 2021
Cate: 老い

老いとオーディオ(と私)

二日前に、母方の祖母のことを少しだけふれた。
祖母は、母の生みの親ではなく育ての親である。

宮﨑という姓も、祖母から来ている。
母方の祖父は30代なかばで、スキーでの怪我が元で亡くなっている。
そういう事情で母は、宮﨑姓となった。

田舎に住んでいたとき、この祖父の妹、A子さん(母の叔母)が、
年に数回、家に寄ってくれていた。

A子おばさん、と私は呼んでいた。
A子おばさんによると、私は、若くして死んだ祖父にそっくりなのだそうだ。
体形も顔付きも、色白なところもよく似ている、といわれていた。

中学生になり、オーディオに興味をもち、クラシックを聴くようになると、
「どうして、そういうところまでそっくりなの」と驚かれた。

祖父は、当時蓄音器でクラシックをよく聴いていたそうだ。
それまで祖父がクラシックを聴いていたことは、まったく聞かされてなかった。

祖父の享年はとっくに超えてしまっている。

私が「五味オーディオ教室」と出逢ったころ、
周りにオーディオマニアは一人もいなかった。

ここまで音楽とオーディオにのめりこむことになるきっかけと環境があったわけではないのに、
ずっとのめりこんだままである。

ふとなにかの拍子に、なぜオーディオだったのだろう……、とおもうことがある。
祖父のことがあってのオーディオだったのだろうか。

Date: 1月 1st, 2021
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドの表紙に感じること(その6)

(その5)を読んで、同感だ、という人もいれば、
そう思わない、という人もいることだろう。

そう思わない人が、どういう人なのかはまったく私にはわからない。
私の友人で、古くからステレオサウンドを読んできた人は、
217号の表紙は、ひどい、と感じている。

彼らは、中学、高校時代のステレオサウンドを誇らしく感じていたのだろう。
だから217号の表紙をひどい、と感じる。

217号の表紙を、そんなふうには感じない人たちは、
書店で手に取ること、
なけなしの小遣いで購入することに誇らしさを感じてなかった人たちなのだろう。

そんな人たちにとっては、当時のステレオサウンドの表紙も、
217号の表紙も同じに見えているのだろう。

たかが雑誌じゃないか、
そんなものに誇らしさを感じるなんて……、
そんな意見もあるはずだ。

坂野さんも私も、学生時代、なけなしの小遣いをやりくりして、
ステレオサウンドを買って読んでいた。

そのころのステレオサウンドを、すでに社会人になっていて、
何の苦もなく買えていた人もいるのはわかっている。

そういう人のなかには、誇らしさを感じたり、
ステレオサウンドに特別な思い入れをもったりすることはなかったのかもしれない。

最近感じていることは、ステレオサウンド編集部は、
思い入れをもっている読者は要らない、と思っているのではないか、である。

Date: 1月 1st, 2021
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドの表紙に感じること(その5)

別項「2020年をふりかえって」で、
ステレオサウンド 217号の表紙のひどさについて書いた。

(その18)に、デザイナーの坂野さんからコメントが、facebookであった。
そこには、こう書かれていた。
     *
田舎に住む中学生が、書店で手に取ること、なけなしの小遣いで購入すること、そこに『誇らしさ』をも感じさせてされる表紙でした。(もちろん全内容も)
     *
坂野さんは私よりも少し年上だが、近い世代である。
だから、よくわかる。
坂野さんが書かれているとおりだったのだ、当時のステレオサウンドは。

中学生でステレオサウンドを読むことは、誇らしさを感じさせくれた。
だからこそ、ステレオサウンド編集部で働くようになり、
62号の編集後記が載ったのをみたときは、感慨ひとしおであった。

別項で触れているが、
若い世代のオーディオマニアが、周りの人たちにオーディオを趣味としている、
オーディオマニアだ、ということは、カミングアウトに近い感覚なのだそうだ。

その人、一人のことなのかもしれないが、
少なくとも、その人は、いまのステレオサウンドを、
書店で手に取ったり、人前で読んだりすることに誇らしさは感じていないはずだ。

いまでは電車で、ステレオサウンドを読んでいる人は皆無といっていい。
私が上京した、約四十年前は、読んでいる人をたまにではあるがみかけたものだった。

私も電車のなかでひろげて読んでいた。

いまのステレオサウンド編集部は、みな、217号の表紙を誇らしく思っているのだろうか。
ステレオサウンドに書いている人たちは、どうなのだろうか。