BEETHOVEN · Die Violin-sonaten
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ十曲。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタほど熱心に聴いてきたとはいえない。
それだから、1998年だったかに出たアンネ=ゾフィー・ムターのそれに関心をもつことはなかった。
ムターの演奏は、レコードよりも先に、
1981年のカラヤン/ベルリン・フィルハーモニーとの公演で聴いている。
東京文化会館で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だった。
かなり無理してチケットを手に入れた。
S席なんて無理で、A席も当時の私には高くて買えなかった。
B席がやっとだった。
ステージからは遠い。
そのせいもあったとは思うのだが、きれいとは感じても、
ベートーヴェンの音楽とは感じなかった。
そのことが強く印象にあって、ムターに、その後関心を持たなくなった。
そのこともあったから、よけいにムターのヴァイオリン・ソナタを聴きたいとは思わなかった。
数ヵ月前に手にした吉田秀和氏の「ベートーヴェン」。
ここにムターのヴァイオリン・ソナタがとりあげられている。
読んでいて、ムターの、この録音を聴きたくなった。
*
ムターは、かつてカラヤンの下でやった協奏曲の中に象徴される美しく甘いベートーヴェンの像に逆らって、別のベートーヴェンを提出する。それは新しいベートーヴェン像を築くというだけでなく、かつての自分のアンティテーゼを提出することでもある。つまり、ここでは一人の音楽家がベートーヴェンの追求を通じて、新しい自己の確立を計っているのである。
*
ここを読んだだけでも、聴きたくなった。
さっそく買おう、と思ってタワーレコードに注文したけれど、
入手できませんでした、という返事が数週間後に届いた。
新品での入手は、もうできないようだ。
中古で手に入れるしかない。
といっても、すんなり見つかるのが、今の時代である。
私の感想は、特にいいだろう。
吉田秀和氏の「ベートーヴェン」にあるとおりだった。
1981年、ムターをドイツ人とはまったく感じなかった。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでのムターは、はっきりとドイツ人である。