Archive for 10月, 2020

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ディスク/ブック

BEETHOVEN · Die Violin-sonaten

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ十曲。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタほど熱心に聴いてきたとはいえない。

それだから、1998年だったかに出たアンネ=ゾフィー・ムターのそれに関心をもつことはなかった。
ムターの演奏は、レコードよりも先に、
1981年のカラヤン/ベルリン・フィルハーモニーとの公演で聴いている。

東京文化会館で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だった。
かなり無理してチケットを手に入れた。
S席なんて無理で、A席も当時の私には高くて買えなかった。
B席がやっとだった。

ステージからは遠い。
そのせいもあったとは思うのだが、きれいとは感じても、
ベートーヴェンの音楽とは感じなかった。

そのことが強く印象にあって、ムターに、その後関心を持たなくなった。
そのこともあったから、よけいにムターのヴァイオリン・ソナタを聴きたいとは思わなかった。

数ヵ月前に手にした吉田秀和氏の「ベートーヴェン」。
ここにムターのヴァイオリン・ソナタがとりあげられている。
読んでいて、ムターの、この録音を聴きたくなった。
     *
 ムターは、かつてカラヤンの下でやった協奏曲の中に象徴される美しく甘いベートーヴェンの像に逆らって、別のベートーヴェンを提出する。それは新しいベートーヴェン像を築くというだけでなく、かつての自分のアンティテーゼを提出することでもある。つまり、ここでは一人の音楽家がベートーヴェンの追求を通じて、新しい自己の確立を計っているのである。
     *
ここを読んだだけでも、聴きたくなった。
さっそく買おう、と思ってタワーレコードに注文したけれど、
入手できませんでした、という返事が数週間後に届いた。

新品での入手は、もうできないようだ。
中古で手に入れるしかない。
といっても、すんなり見つかるのが、今の時代である。

私の感想は、特にいいだろう。
吉田秀和氏の「ベートーヴェン」にあるとおりだった。

1981年、ムターをドイツ人とはまったく感じなかった。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでのムターは、はっきりとドイツ人である。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その6)

昨晩、「戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)」で、
冒険と逃避は違う、と書いた。

レコード(録音物)を携えて旅に出たとしても、冒険と逃避は違う。
それに井の中の蛙を決め込んでいる人もいるけれど、これも逃避である。

逃避している人(オーディオマニア)が、
オーディオに関心をもってもらおうとして、
「オーディオは素晴らしい」、
「いい音で音楽を聴くことを体験してみて」とか、いったところで、
相手のこころに届くのだろうか。

音楽好きの人は多い。
その何分の一かでも、いい音で聴くことに目覚めてくれれば、
オーディオの世界は活性化する──、
そう考えている人は、オーディオ業界の人のなかにも、
オーディオマニアのなかにも少なからずいる。

どうすれば、そういう人が振り向いてくれるのかを、SNSに書く人もいる。
それらのなかには、音楽好きの女性にオーディオに関心を持ってもらいたい──、
というのもけっこう多い。

気持はわかる。
私も20代のころは、そんなことを考えていたし、
その後も、なぜ、女性の音楽好きはオーディオに関心を持たないのか、ということで、
仲間内で意見を交わしたこともある。

オーディオマニア(男)は、そこでオーディオの素晴らしさ、
いい音で音楽を聴くことの素晴らしさを訴えているだけではないのだろうか。
さらにはオーディオの知識や持っているオーディオ機器をひけらかすだけかもしれない。

そんなことよりも、
オーディオが好き、という感情をストレートに相手に伝えたほうがいいように思うようになった。

ここで男は──、とか、女は──、といったことを書くと、
そんなことはない、個人差のほうが大きい、とかいわれそうだし、
そうだと思うところは私にもあるのだが、
それでも好きという感情をストレートに伝えることが上手なのは、女性であると感じている。

私自身もオーディオが好きという感情を、どれだけ相手に伝えてきたのだろうか。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(2021年・その1)

五味先生が亡くなられて、今年で40年が経った。
来年は生誕100年である。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その10)

中学、高校の吹奏楽のコンクールが、
コロナ禍によりビデオ審査になった、ということを知った。

それぞれの学校が、それぞれの場所で、それぞれの器材を使って録画するのだろう。

これはもう録画のクォリティが、ピンからキリまで生じることになるのではないのか。
私立の学校で、吹奏楽で名が知られているところだと、
録画にもたっぷりの予算が割り当てられても不思議ではない。

プロが使う録画、録音器材、そしてプロの人たちによって、
それこそ照明を含めて、高いクォリティのものをつくりあげるだろう。

公立の学校となると、
へたするとスマートフォンの録画機能を使って、ということになるかもしれない。

そうやってつくられたものが提出され、審査する側は、そのことについてどう配慮するのだろうか。
それに器材があって技術があれば、演奏のこまかなところも修整できる。

録画による審査はしかたないことだとわかっているが、
このあたりのことに関して、録画、録音器材を指定したところで、
それらの器材を持っているところもあるし、新たに購入しなければならないところ、
その予算がないところなどがあろう。

(その6)で触れたAudio Renaissance Onlineという、
オンラインのオーディオショウに、同じことはいえる。

どんなふうに行うのかは知らないが、
出展社が一箇所に集まって、というわけではなく、
それぞれの出展社が、それぞれの場所からのストリーミングのはずだ。

オンラインのオーディオショウに出展するところは、
オーディオメーカー、輸入元なのだから、そこでの器材がスマートフォンということはない。

それでも部屋が違う、マイクロフォンを始めとする器材が違う。
同じ器材だとしても、マイクロフォンの位置は、出展社に対して指定されているとは思えない。

おそらく出展社まかせなのだろう。
こういうことを含めてのオンラインのオーディオショウとしても、
最低限のリファレンスは決めた方がいい。

今年は、まずやることが優先されているのはわかっている。
それでも送り出し側、受け手側、それぞれのリファレンスを有耶無耶にしたままでは、
お祭りのままで終ってしまうことになりかねない。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その4)

コーネッタは、ずっと以前に聴いている。
それだけでなくタンノイのスピーカーは、かなりの数聴いている。
タンノイに関するいろんな文章も読んでいる。

そうやって、タンノイのスピーカーというものに対するイメージが、
なんとなくではあっても私の中にあった。

ほとんどのオーディオマニアがそうであろう、と思う。
そのイメージは人それぞれであるから、
共通するところもあれば、そうでないところもある。

そういうイメージがあるからこそ、最初に鳴らす曲を選ぶ(選べる)わけだ。
そして、その時鳴ってきた音から、次にかける曲を選んでいく。

「コーネッタとケイト・ブッシュの相性」で書いているように、
コーネッタがそれほどうまくケイト・ブッシュが鳴ってくれるとは期待していなかった。
けれど鳴らしてみると、そうではなかった。

それどころか発見があった。
とはいえ思い切って、最初からケイト・ブッシュを鳴らしたわけではない。
コーネッタから鳴ってくる音を慎重に聴きながらのケイト・ブッシュだった。

音が鳴ってくると、すっかり忘れてしまうことであっても、
曲を選ぶ際には、さまざまな知識が頭を擡げてくることがある。

選曲の段階で、完全に頭をカラッポにすることは、いまはまだできないでいる。
けれど、今回のmusic wednesdayでは、私の選曲は一曲もない。

すべて、野上さんと赤塚さんの選曲である。
野上さんと赤塚さんが、私と同じようなオーディオマニアであれば、
その選曲は読めるところもある。

けれど違う。特に赤塚さんは違う。
コーネッタがどういうスピーカーなのか、タンノイがどうなのかは、
赤塚さんの頭のなかにはなかったはずだ。

それでも、最初に「EDMとか、大丈夫ですか」といわれた。
選曲に遠慮はなくしてほしかったので、大丈夫と答えた。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)

その1)から六年。
書きたかった結論は、冒険と逃避は違う、ということだけだ。

黒田先生の「風見鶏の示す道を」には、
駅が登場してくる。
幻想の駅である。

駅だから人がいる。
駅員と乗客がいる。

駅員と乗客は、こんな会話をしている。

「ぼくはどの汽車にのったらいいのでしょう?」
「どの汽車って、どちらにいらっしゃるんですか?」
「どちらといわれても……」

どこに行きたいのか掴めずにいる乗客(旅人)は、
レコード(録音物)だけを持っている。

そのレコードは、いうまでもなく旅人が、聴きたい音楽であるわけだが、
この項で書いてきたのは、その「聴きたい音楽」をつくってきたのは、
なんだったのか、であり、
聴きたい、と思っている(思い込んでいる)だけの音楽なのかもしれない。

嫌いな音を極力排除して、
そんな音の世界でうまく鳴る音楽だけを聴いてきた旅人が携えるレコードと、
「風見鶏の示す道を」の旅人が携えるレコードを、同じには捉えられない。

前者は逃避でしかない。
本人は、冒険だ、と思っていたとしてもだ。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その15)

メリディアンの218はプリント基板一枚に、
ほぼすべてのパーツが取り付けられている。

コネクターもそうである。
このコネクターは、さらにリアパネルにタッピングビスで固定されている。
プリント基板はシャーシーの底板にビス三本で固定されている。

これらのビスはすべて鉄製である。
これらのビスをステンレス製に交換する。

そんなことで、どれだけ音が変化するのか、といえば、
手を加えてきた218では、決して小さくない。

まったく手を加えていない218で、ビスだけを交換しても、その違いは小さいだろう。
けれど、version 9まであれこれやってきて、それからのビス交換である。

あっ、と驚くほどの違いではないが、
だからといって、元の鉄製のビスに戻そうとは思わない。

Date: 10月 10th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その10)

前回と今回のaudio wednesdayで試したケーブルのことを、
私は便宜的にグリッドチョーク的ケーブルと呼んでいる。

もっといい呼称を思いついたら、そちらに変更するが、
いまのところグリッドチョーク的ケーブルと表記していく。

グリッドチョーク的ケーブルには、トランスを使う。
トランスには巻線がある。この巻線はいうまでもなくコイルである。

二年くらい前から、このブログでCR方法について書いている
この方法は、グリッドチョーク的ケーブルにも応用できる。

今回のケーブルもそうしようか、と思ったが、
前回のケーブルと今回のケーブルの違いを、
前回来られた方が今回も来てくれるのであれば、比較試聴になるしということで、
あえて試してない。

グリッドチョーク的ケーブルに使っているタムラのA8713の一次側巻線の直流抵抗は、約1kΩ。
なので1kΩの抵抗(ここはDALEの無誘導巻線抵抗)と0.001μF(1000pF)を直列にして、
巻線に並列に接続する。

次はこれを試してみる予定だし、来月のaudio wednesdayの最初の方で、
ありなしの音を聴いてもらう。

さらには開放状態の二次側巻線をどうするかである。
ここにもCR方法を試すつもりである。

これらのことを試していくとともに、
いまはむき出しのままで使っているトランスを、どうケーシングするのかも、今後の課題。
その後、A8713だけでなく、グリッドチョークのいくつかも試してみたい。

それにA8713も一次側巻線を、いまの20kΩから5kΩに変更すれば直流抵抗は約500Ωとなり、
直流域でショート状態に近づけることが、どれだけ音に影響していくのかも、
audio wednesdayでの公開試聴でやっていく予定だ。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その14)

10月7日のaudio wednesdayには、ラインケーブルのほかに、
LAN端子用のターミネーターも新たに自作していた。

ターミネーターの効果がどれほどなのか、
それを試すために自作したのをversion 1とすれば、
その効果をさらに増すために、DALEの無誘導巻線抵抗で作ったのがversion 2。

今回のversion 3はDALEの無誘導巻線抵抗を使っているのは同じだが、
二手間かけているところがある。

実は、これも当日、作っていた。
version 2のターミネーターでけっこう満足していたから、
もう二手間かけてまで作るのを億劫がっていた。

抵抗はすでに買っていたので、その気になればいつでも作れたのだが、
一ヵ月以上放ったらかしにしたままだった。

このままだと、ずるずる来年になるまで作らないかもしれない……、
さすがにそれは無精すぎる、と自分でもわかっているから、
ようやく当日重い腰をあげたわけだ。

ターミネーターを作り、それからラインケーブルを作っていた。
こんなことをやっていたら、喫茶茶会記に向う時間が迫っていた。

どちらも自分のシステムでは聴かずに、喫茶茶会記に持ち込んだ。
その結果が、当日のコーネッタの音にはっきりとあらわれていた、と思っている。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その11)

私が知識過剰だと感じる人は、どうして攻撃的な面を、
インターネットで見せるのだろうか──、
その理由のはっきりとしたところはわからないけれど、
ただ感じているのは、その人からは、いわゆる力を感じないことと関係しているように思う。

ここでの力とは、オーディオの力ということになるが、
ではオーディオの力とはどういうことなのか、となると、難しい。

例えば高価なオーディオ機器を次々と買える人は、経済力という力がある。
重量級のオーディオ機器をひょいと持ちあげる人は、文字通りの力持ちである。

ここでいう力とは、そういう力ではない。
オーディオ力と書いてしまうと、よけいに混乱させてしまうだろうが、
私がいいたいのは、そういうことである。

その人の音を聴かなくとも、何度かオーディオのことを話す機会があれば、
感じとれるものだ。

オーディオ力は、最初からあるわけではない。
オーディオに興味をもったばかりの人が、オーディオ力を持っていなくても当然であり、
そういう人を知識過剰とは感じない。

知識過剰と感じてしまうオーディオマニアは、
オーディオのキャリアも長くて、
オーディオに関することさまざまなことに積極的でありながらも、
いざ話してみると、底の浅さが透けて見えてしまう人といったらいいのだろうか。

本人が、そのへんのところはいちばんに感じているのかもしれない。
強がっているようなところを感じるからだ。

その強がるところを、インターネットは補強してくれる、武装してくれる──、
そしてますます知識過剰になっていく。
力を身につけることなく、である。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: audio wednesday

第117回audio wednesdayのお知らせ(Bird 100)

7月からの四回、
audio wednesdayではタンノイ・コーネッタを鳴らしてきた。

11月4日のテーマは「Bird 100」だから、ひさしぶりにアルテックを鳴らそう、と、
10月のaudio wednesdayの前までは、そう思っていた。

コーネッタの、その時の音を聴いて、
「Bird 100」もコーネッタで鳴らそう、と思うようになった。

チャーリー・パーカーのMQA-CDが11月に発売になる。
けれど6日なのだ。間に合わない。
わずか二日であっても、手に入れられないモノは無理である。

だからといって12月のaudio wednesdayは、「Beethoven 250」で決っている。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(OTOTEN 2019・その11)

その4)で、ミュージックバーの店員に、
オーディオマニアであることをバカにされた人のこと、
北海道の若いオーディオマニアが、周りの人に、オーディオマニアだ、というのは、
カミングアウトに近い感覚であることを書いた。

先日、ある量販店のオーディオコーナーに寄ってみた。
30前後か、もう少し若いのだろうか、二人の男性がいた。
友人同士のようだった。

一人はオーディオマニアで、もう一人はオーディオに関心がない人だということが、
話している内容からわかる。

オーディオマニアのほうが、スピーカーにこれだけ使った、アンプにはこれだけ、という、
自慢話をしていた。
オーディオに関心のない人は、一言「ダッセー!」と返していた。

仲のいい二人のようで、それで険悪な雰囲気になることなく、
話をしながら別のコーナーに移っていった。

オーディオマニアの彼が使った金額というのは、
関心のない人からすれば、けっこう金額であるだろうが、
そのくらいじゃ……、というオーディオマニアの方が、世の中には多い。

びっくりするような金額ではないけれど、
それでもオーディオにそれだけ注ぎ込んでいることを、「ダッセー!」の一言で否定される。

オーディオだからなのだろうか、
それとも趣味にのめりこみ、けっこうな金額のお金を使う、
そのことすべてが「ダッセー!」なのか。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Billie Jean(その1)

マイケル・ジャクソンのディスクは一度も買ったことはない。
それでも、あれほどヒットしていたから、どこかでは耳にしている。
“Billie Jean”も、何度かは聴いている。

断片的に聴いたこともあるし、通しで聴いたこともある。
それでも自分のシステムで聴いたことはないし、
誰かのシステムで、というわけでもなかった。

今回、コーネッタで“Billie Jean”を聴いた。
こうやって聴くのは今回が初めて、といっていい。

聴いて、こんなにも音がいいのか、と驚いた。
いまさら驚くなんて……、といわれるだろうが、
なんと気持ちの良い音なのか。

キレッキレの躍動感で鳴ってくれる。
だからといって耳障りなわけではなかった。

音が鳴ってきた瞬間、音がいいと驚いた。
聴いているうちに、たっぷりとお金をかけられた音のよさでもあるな、と思っていた。

マイケル・ジャクソンほどヒットを飛ばしている歌手だから、
これだけの録音が許されたんだろうなぁ、
いまこんな贅沢な録音が許される人は誰がいるんだろうか……、
そんなことも思っていた。

コーネッタで“Billie Jean”なんて……、と思い込んでいる人は聴かなくていい。
そんな人は、今回のaudio wednesdayと同じシステムを与えられても、
“Billie Jean”をうまく鳴らせっこない、と思うからだ。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その9)

グリッドチョークのことに、前回気づいてから思い出したことがある。
ステレオサウンドでの井上先生の試聴でのことだ。

CDは登場していたけれど、
まだまだアナログディスクの売上げが多かった時のことだ。
だからプリメインアンプ、コントロールアンプには、
きちんとしたフォノイコライザーが搭載されていた。

その時の試聴はCDのみを使ってだった。
途中で、井上先生がその時使っていたアンプのフォノ端子に、
MC型カートリッジの昇圧トランスを接続してみろ、と指示された。

なぜ、そんなことを? と思いながらやってみると、
小さくないどころか、かなりの音の変化があった。

昇圧トランスの接続前は、フォノ端子には何も接続されていなかった。
次に、昇圧トランスを外して、MC型カートリッジをトーンアームに装着した状態で、
フォノケーブルをフォノ端子に挿す。

また音が変る。
最後はフォノ端子にショートピンである。

アンプの入力セレクターをフォノにして、ボリュウムをあげていく。
レコードは再生していない状態だから、ノイズのみがスピーカーから出てくる。

ここに昇圧トランスを接続すると、ノイズが減る。
MC型カートリッジでも減る、ショートピンでも減る。

ショートピンの時が、もっともノイズが減るのは理屈通りである。
このときはフォノイコライザーのノイズが、
CD再生にどれだけ影響しているのか確認であった。

この時は、CD再生時に、フォノイコライザーのノイズの処理の手法であったわけで、
昇圧トランスの二次側巻線の直流抵抗がどれだけだったのかはわからないが、
少なくともフォノイコライザーの入力インピーダンス(47kΩか50kΩ)よりは低い。

ということはフォノイコライザーほどゲインは高くないし、
ノイズも少ないラインアンプであっても、ノイズの低減化の効果もあるといえる。

とはいえこの時は、
フォノイコライザーのノイズ影響の低減化だけに気を奪われて、
ライン入力にトランスの巻線を並列に接ぐこと、
つまり池田 圭氏が盤塵集に書かれていたことを思い出していたわけではなかった。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その8)

9月のaudio wednesdayに引き続き、
今回もラインケーブルにタムラのA8713の一次側巻線を並列に接続したものを持っていった。

ただし今回は、A8713をメリディアンの218出力側から、
マッキントッシュのMA7900の入力側へと位置を変更した。

A8713を二組(四個)持っていれば、
ラインケーブルを二組作って、比較試聴ができるけれど、あいにく一組しか持っていない。

ならばケーブルの向きを入れ替えて、ということになるだろうが、
これでは厳密な比較試聴にはならない。

ケーブルの方向性もあるけれど、
それ以外にも自作ケーブルの構造上、
単にケーブルの向きを反転させれば済むというわけにはいかない。

なので当日の午前中、ラインケーブルを自作していた。
前回のケーブルとの比較試聴はできないが、
喫茶茶会記には、同じシールド線を使ったトランスなしのケーブルがある。

9月も、このケーブルとの比較を行っているから、
今回も短いけれど、比較しているから、A8713をどちら側にもってきたらいいのかの、
一応の結論は出た、といっていい。

前回試したときから、今回の結果はある程度は予測できていた。
それにグリッドチョークのことを思い出してもいたし、
そのことからも受け側(MA7900の入力側)のほうが、
好結果が得られる可能性が高いだろう、と。

実際にそうだった。
A8713なしのケーブルとの比較でいえば同じ傾向で音は変化する。
けれどA8713の位置の変化で、今回の方がよさが際立っている、と感じた。

今回A8713をMA7900の入力側にもってきたことで、
アンプの入力と出力、両端にコイルが接続するかっこうになった。

出力には、マッキントッシュ独自のオートフォーマー、
入力にはA8713の一次側巻線というふうに、である。