Archive for 3月, 2017

Date: 3月 3rd, 2017
Cate: ジャーナリズム

光の射す方へ

別項「オーディオ評論をどう読むか(その2)」で、
太陽の光と月の光の違いについて、
そしてオーディオ評論(家)にも、太陽の光と月の光とがあることについて書いた。

その後も、「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(評論とブームをめぐって)」でも、
そのこと、その違いについて書いた。

光の射す方へ、人はめざす。
オーディオマニアも、またそうであろう。

けれど、太陽の光の射す方へめざすのか、
月の光の射す方へめざすのか。

太陽の光を思って、月の光の射す方向へとめざしてはいないだろうか。

昨夏書いたことを、ここでまた書いているのは、
「またか」と思われるだろうが、「3月のライオン」にハマっているからだ。

十一巻の巻末に「ファイター」という短篇が収録されている。
「3月のライオン」の主人公、桐山零の小学生時代が描かれている。

「ぼくの隣はいつも空席だ」という独白で始まる。
16ページの短篇の最後には、現在の主人公の独白がある。
     *
僕が変わった訳では無い
──そして周りが変わってくれた訳でも無い
ただ気が遠くなりそうな日々を必死で
指して指して
ただ指し続けているうちに
ある日ふと
同じ光の射す方へ向かう人達と
一緒に旅をしている事に気付いた

──そして 今日も
目の前に座る人がいて
またひとつ新しい物語が始まる
光の射す方へ
僕らの旅は続くのだ
     *
《同じ光の射す方へ向かう人達と一緒に旅をしている事に気付いた》
光の射す方へ向いながらも、その「光」が違うことに気づいている。

どちらの光の指す方へ向うのか。
それはその人しだいである。

それでもどちらが太陽の光の射す方なのかは、しっかりと見極めておかねばならない。

Date: 3月 3rd, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その6)

「五味オーディオ教室」をくり返しくり返し読んでいた中学生の私にとって、
タンノイは特別な存在であった。

そしてオートグラフは、さらに特別な存在だった。
1976年、オートグラフは輸入元のティアック製造のエンクロージュアにおさめられたモノだった。

エンクロージュアはオリジナル!
「五味オーディオ教室」を読んでいた私にとって、それは絶対であり、
いくらタンノイが承認したエンクロージュアであっても、
国産エンクロージュアのオートグラフは別物であった。

1976年当時のタンノイのラインナップはABCシリーズ。
その中でいちばん下のEatonは、身近に思える存在だった。

Eatonの価格は80,000円(一本)。
搭載されているユニットHPD295Aは60,000円だった。
エンクロージュアの価格は20,000となるのか……、そんなことを思いながらHI-FI STEREO GUIDEを眺めていた。

Ardenは220,000円で、HPD385Aは100,000円。
エンクロージュアは120,000円。

ArdenとEatonは大きさがかなり違う。
輸送コストも違ってくるわけで、
スピーカーシステムの価格からユニットの価格を差し引いたのが、
エンクロージュアの価格とはいえないのはわかっていても、当時はそんな単純計算をしていた。

HPD295Aを買ってきて、エンクロージュアを自作するよりもEatonは安く感じられた。
実際に自作よりも安いといえる。

このEatonを、オートグラフをつくりあげたガイ・R・ファウンテン氏を鳴らしていた。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
瀬川先生がタンノイのリビングストンにインタヴューされている記事のなかで、
それは語られている。
    *
彼は家ではほんとうに音楽を愛した人で、クラシック、ライトミュージック、ライトオペラが好きだったようです。ロックにはあまり興味がなかったように思います。システムユニットとしてはイートンが二つ、ニッコーのレシーバー、それにティアックのカセットです。
     *
オートグラフでなく、ArdenでもなくEatonである。

オーディオ入門・考(ステレオサウンド 202号)

facebookを見ていて、
そうか、ステレオサウンド、出ているんだ、ということに気づいた。

ステレオサウンドの発売日は知っている。
でも、発売日が待ち遠しいということはなくなってから、久しい。
それでも発売日ちかくになれば、今度の号の特集はなんだろう、
表紙はなんだろう、という興味からステレオサウンドのサイトを見ていた。

でも今回はそれすらもしていなかったことが、自分でも少し意外だった。
なので202号は読んでいないが、
特集は「本格ハイレゾ時代の幕開け」、第二特集が「アナログレコード再生のためのセッティング術」。

ここで書くのは第二特集のほうだ。
セッティングに術をつけてしまう感覚には「?」を感じてしまうが、
この第二特集では柳沢功力氏が「レコードプレーヤー・セッティングの基本」を書かれている。

私はまだ読んでいないのだが、facebookでは、この記事が話題になっていたし、
ページ数もけっこう割かれている、とのこと。

柳沢功力氏のことだから、破綻のない内容にはなっているはずだ。
ステレオサウンドの筆者の中には、どうにもアナログディスク再生に関して、
かなりアヤシイ人がいる。
いかにもわかっているふうに書いているつもりであっても、
読めば、その人の基本がなってないことはわかる人にははっきりとわかる。

誰とは書かないが、気づいている人は少なくない。
その人に「レコードプレーヤー・セッティングの基本」を書かせなかったのは、賢明といえる。

「レコードプレーヤー・セッティングの基本」が私が考えている内容であれば、
この記事を、203号が出た頃から、ステレオサウンドのサイトで公開すべきだと思う。

基礎的、基本的な記事はいつでも読めるようにしておくことが、
オーディオのこれからを考えているのであれば、その重要性がわかるはずだ。

何もいますぐ公開すべき、とまではいわない。
三ヵ月先、半年先でもいいから、
無料で「レコードプレーヤー・セッティングの基本」は公開することで、
オーディオ界が得られることは必ずあるはずだからだ。

Date: 3月 2nd, 2017
Cate: audio wednesday

第75回audio wednesdayのお知らせ(結線というテーマ)

4月のaudio wednesdayは、5日だ。

やりたいことはいくつかある。
いまのところ、ふたつのうちのどちらかをやろうと考えている。
セッティングの中の、結線に関することをテーマにする予定だ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 2nd, 2017
Cate: ディスク/ブック, 岩崎千明

Leroy Walks!(二度目の「20年」)

締めの一曲としてかけた「Leroy Walks!」を聴いていた喫茶茶会記の店主・福地さんがいった。
「(この音なら)岩崎千明さんも喜ぶはず」と。

福地さんは私よりも若いから、岩崎先生の文章にリアルタイムで触れてきたわけではない。
喫茶茶会記をジャズ喫茶だと思っていない人の方が多くとも、
喫茶茶会記はジャズ喫茶である。

私が鳴らした「Leroy Walks!」を、どういわれるか。
わからない、というのが本音だ。

私だって、岩崎先生の文章をリアルタイムで読んだのは、わずか数ヵ月。
岩崎先生に、私は会えなかった。

岩崎先生も「Leroy Walks!」も聴かれていたであろう。
どんなふうに鳴らされただろうか。

岩崎先生はLPで聴かれていた(はず)。
私はCDで「Leroy Walks!」を聴いた。
それだけ月日が経っている。
ずいぶんと経っている。

1977年3月に亡くなられた。
昨晩から3月である。

二度目の「20年」が、ここにもある。

Date: 3月 2nd, 2017
Cate: ディスク/ブック

Leroy Walks!(その1)

Leroy Walks!

ジャズ好きの人にはお馴染の一枚なのか、いわゆる名盤といわれているのか、
それともそれほど知られていないのか──、
そんなことすら知らずに、昨晩のaudio wednesdayで聴いた。

セッティングを済ませて、
喫茶茶会記の店主・福地さんに借りたCDの一枚が「Leroy Walks!」だった。

体形づけてジャズを聴いてこなかった私は、
Leroy Vinnegarも「Leroy Walks!」も知らなかった。

福地さんが、なぜこのディスクを出してくれたのかはわからないが、
いい演奏が聴こえてきた。

昨晩のaudio wednesdayでは、いつもとは違うスピーカーのセッティングにした。
特にテーマを決めていたわけでもなかったので、
もしかするとうまくいかないかもしれないけれども、試してみたかったことをやってみた。

そのためであろう、いい演奏に充分にふさわしい鳴り方とは感じられなかった。
悪くはなかった。
演奏のよさは、初めて聴く者に伝わってきたわけだから。

それでも、もっともっと良くなる予感はあった。
19時からaudio wednesdayが始まって、
「やはり」ということで、スピーカーのセッティングを、少し変えた。
先月までと同じセッティングにしたわけではない。
このディスクでの時である。

その後にもこまかな、ある個所に関して、いくつか変えた音を聴いた。
それを試しながら、このへんがいい感じに鳴ってくれるであろうポイントを探していた。

そこにしてみた音は、気持ち良く「Leroy Walks!」が聴ける予感があった。
だから締めの一枚(一曲)として、
最後に「Leroy Walks!」の一曲目をかけた。

やっぱり、こんな感じで鳴ってくれるんだ、と納得のいく音がした。
福地さんも、その音を聴いて、喜んでくれた。

少なくとも「Leroy Walks!」を聴いてきた人の耳を納得させるだけの音は、
昨晩のaudio wednesdayでは鳴らせた。
いままでやってなかったセッティングでも、それができた。

昨年から音を鳴らすようになって感じているのは、
最後にかける一曲、締めの一曲(一枚)がうまく鳴ってくれれば、気持ちがいい、ということだ。

Date: 3月 1st, 2017
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(「3月のライオン」を読んでいて・その2)

3月のライオン」の単行本、第九巻の166から169ページまでの四ページ。
オーディオと同じだな、とつくづく思う。

そこには、こんなセリフが出てくる。
     *
「これでどーだ!!」──ってくらい研究したのに
きわっきわまで行ったら
そこにまた見たコトのないドアがいっぱい出て来ちゃったんだ
     *
将棋の歴史は長い。
正確にいつからなのかは知らないが、オーディオの歴史よりもずっとずっと長いことは確かだ。

長い歴史ともに、オーディオよりもずっと多くの人が親しんでいる。
つまりは数えきれないほどの対局が行われてきている。
江戸時代のからの棋譜が残っている、ともきく。

膨大な資料をプロ棋士は研究している。
将棋の手というのは、もう出尽くしているのではないか、と、
将棋のド素人の私は、中学生のころ思ったことがある。

「3月のライオン」は先崎学八段が将棋監修をされている。
上に引用したセリフは、プロ棋士の実感と捉えていいだろう。

オーディオにも、見たコトのないドアは無数にあるはず。
それは「こんなところまで」といいたくなるところまで来て、
やっと目の前にあらわれるドアである。