Archive for 1月, 2015

Date: 1月 11th, 2015
Cate: モノ

モノと「モノ」(その15)

最初に使ったPhotoshopのヴァージョンは2.5だった、と記憶している。
まだフロッピーで供給されていた。10数枚あった。
インストール作業はフロッピーの出し入れ作業であった時代だ。
それからCD-ROMになる。

どちらの時代でも、家電量販店のパソコン売場や専門店のソフトウェアの棚には、
ボックスがいくつも並んでいた。
いずれもずしっと重たいボックスだった。

中身はCD-ROMとマニュアル。
CD-ROMは一枚か二枚でも、マニュアルが重かった。
この重さが、そのアプリケーションがどれだけ多機能であるかを示しているかのようでもあった。

いまソフトウェアのコーナーは小さくなっている。
インターネットでダウンロードで購入するのが当り前になってきたためであり、
マニュアルもPDFになってしまった。

アプリケーションだけではない、映画もインターネットで配信されるものが買えるようになっている。
そうやって購入したアプリケーション、映画などはハードディスクに記録される。

とはいえ、このふたつはまったく同じであるとはいえない。
アプリケーションはもとからパソコンにインストールするものだった。
一度インストールしてしまえば、基本的にインストールディスクは使わない。

一部のプロテクトがかかっているアプリケーションでは解除にディスクを、
アプリケーションの起動のたびに要求していたが、
そういうアプリケーションを除けば、インストール後にディスクは必要としない。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・余談)

そういえば、こんな質問をもらった。
マランツのModel 7とマークレビンソンのLNP2、どちらかくれるといわれたら、どちらをもらいます?、と。

仮定の質問であるから、どちらもコンディションはまったく問題ない。
新品同様のModel 7とLNP2が目の前にある。
どちらをとるか。

私はLNP2をとる。
けれど、誰かに、どちらをもらったほうがいいですか、とさらに質問されたら、
Model 7がいいですよ、と答える。

どちらも完璧なモノではない。
完璧なオーディオ機器など、この世には存在していない。
どんなモノであれ、いくつかの欠点は持っている。

欠点の少なさでいえば、Model 7であり、完成度の高さでもModel 7である。
デザインで判断してもModel 7である。

それでも私はLNP2をとる。
Model 7も手元においておきたいコントロールアンプのひとつである。
なのにLNP2をとるのは、個人的ないくつかのおもいがそこにあるからであり、
これはほかの人にはまったく関係のないことだ。

だから人にはModel 7をすすめ、私はLNP2をとる。
良し悪しだけでは割り切れぬことが、LNP2にはある。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その6)

シルバーパネルのML6のデザインが素晴らしいかときかれたら、そんなことはない、と答える。
ML6を実際に使ってみると、非常に使いにくい。

この項の(その3)に引用したRFエンタープライゼスの広告。
そこに書いてあるJC2のごく些細な使い勝手の欠点。
これを読んだ時は正直はっきりとわからなかった。

自分でJC2を使ってみると、それはわかる。

RFエンタープライゼスの広告はステレオサウンド 43号に載っている。
43号の巻末には囲み記事で、
マーク・レヴィンソンがステレオサウンド試聴室にML2のプロトタイプを持ち込んだとある。

このふたつは関係している。
マーク・レヴィンソンがJC2の使い勝手の欠点の指摘を受けたのは、アメリカではなくおそらく日本である。
ML2のプロトタイプをもって来日した時に、
オーディオ関係者から、ごく些細な使い勝手の欠点を指摘されたと考えて間違いない。

だとすると自分でJC2を使っていた経験からも、些細な欠点がどういうことなのかはっきりする。
確かにそれは使い勝手の欠点であり、それをごく些細な、と受けとるか、それともけっこう重要なこととするのか、
それは使い手によって違ってもこよう。

けれどML6の使い勝手の欠点はそうではない。
はっきりと、すべての人にとって使い勝手の最悪なコントロールアンプ(プリアンプと呼ぶべきなのだが)である。

最悪な使い勝手は写真をみてもわかる。
けれど実際に使ってみると、想像以上に使い勝手の悪さ(ひどさ)がある。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その2)

私は瀬川先生の、フルレンジから始める4ウェイシステム・プランが気になっていた。
自分でやることはなかったけれど、スピーカーシステムについて考える時に、思い出す。

瀬川先生の4ウェイシステム・プランは、JBLの4350、4341が登場する前に発表されていた。
4350、4341のユニット構成、クロスオーバー周波数の設定など、共通するところがある。
そのせいもあって私にとっての4ウェイとは、まずこれらの4ウェイがベースとなっている。

もちろん4ウェイといっても考え方はメーカーによって違うところもあり、
ユニット構成、クロスオーバー周波数の設定からも、それはある程度読みとれる。

4ウェイをどう捉え考えるのか。
2ウェイの最低域と最高域をのばすために、トゥイーターとウーファーを加えて4ウェイとする。
こういう考え方もある。

この場合、忘れてはならないのは40万の法則である。
つまり40万の法則に沿う2ウェイをベースとしてスタートしたい。
となると、この2ウェイのクロスオーバー周波数は40万の平方根である632.45Hz近辺にしたい。
下限と上限の周波数を掛け合せた値が40万となるようにする。

具体的に80Hzから5kHzの2ウェイシステムで、クロスオーバー周波数は630Hz〜650Hzあたりである。
そして指向特性が、この帯域において均一であること。
この条件に、D130と2441+2397がぴったりくる。

2397のカタログには推奨クロスオーバー周波数は800Hzとなっているが、
家庭での使用音圧であれば500Hzのクロスオーバーでも問題のないことは、
ステレオサウンドのバックナンバーでも実験されているし、問題なく鳴らせる。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その1)

1997年にでたステレオサウンド別冊「いまだからフルレンジ1939-1997」。
この本で井上先生はJBLのE130を、
マルチウェイシステムのミッドバス帯域(100〜500Hz近辺)用として使うのにも最適だ、と書かれている。

15インチ口径のミッドバス。
組み合わせるウーファーをどうするのか。
E130をミッドバスと書かれているということは、4ウェイ前提だったのであろう。
とするとミッドハイはJBLの2インチ・スロートのコンプレッションドライバーをもってきて、
JBLのトゥイーター2405、もしくは他社製のスーパートゥイーターということになる。

そうとうに大がかりなシステムになる。
だから「いまだからフルレンジ1939-1997」を読んでも、
E130ミッドバスのシステムについて゛あれこれ考えることはしなかった。

けれどいまはちょっと違ってきている。
JBLのD130がある。

D130をソロで鳴らしていると、この類稀なユニットの良さは、たしかにッドバス帯域にある。
フルレンジとして鳴らすのも楽しい。
LE175DLHとの2ウェイもいい。
私は試していないが、075との2ウェイもいい、と思う。

けれどいまは2441と2397の組合せもある。
この組合せの存在が、井上先生のE130ミッドバスの4ウェイシステムを思い出させる。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その5)

マークレビンソンのコントロールアンプにはML6というモデルがあった。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」にはML6ALというモデルが登場している。
     *
 左右独立、それも電源からボリュウムコントロールまでという徹底ぶりだ。その勇気と潔癖症には脱帽するし、こういう製品が一つぐらいはあってもよいと思う。しかし、これはもう一般商品とはいえないし、プロ機器としては、さらに悪い。本当は業務用こそ、誰が使っても間違いなく、容易に使えて、こわれないものであるべきなのだ。この製品の登場は業務用機器のメーカーではないことを立証したようだ。
     *
菅野先生はこう書かれている。
この意見には完全に同意する。
ML6Aは、もっとも魅力を感じない。
だがML6Aの前身モデルであるML6になると、私の感じ方はまるで違う。

ML6はシルバーパネル、ML6はブラックパネルであり、
ML6はJC2(ML1)のモノーラル化、ML6AはML7のモノーラル化であり、
モノーラルにすることのメリットをより徹底的に追求しているのはML6Aである。

それでもML6Aのデザインには、色気を感じない。
ML6には、なにかを感じていた。

ML6とML6Aのデザインの違いは、フロントパネルの色だけではない。
レベルコントロールのツマミの周囲にML6はdB表示があった。
ML6Aは何も表示されていない。

フロントパネル中央にロゴがある。その両脇にML6はLEMOコネクターが配されていた。
ML6Aではネジになっている。
LEMOコネクターは金、ネジは銀。

言葉で違いを書けばこれだけなのだが、印象はまるで違う。

Date: 1月 11th, 2015
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その18)

コマをまわすときのことを考えてみる。
小さなコマであれば中心の軸を指でまわす。
これでけっこうまわる。

けれど大きなコマ(重量のあるコマ)になってくると、
中心の軸を指でまわすことは大変になってくる。
だからコマの周囲にヒモを巻きつけて、
そのヒモを思いきり引っ張ることでコマに回転を与える。

ターンテーブルプラッターを指で廻そうとする時、どこに指を置くか。
ほとんどの人が外周のところに指をおいて廻す。
わざわざスピンドル近くに指を置いて廻そうとはしない。

同じ回転数で廻そうとしたら、外周よりも内周のほうが指の移動距離は短くなる。
つまり外周であれば内周よりも速く廻さなければならない。
それでも外周を選ぶ。

楽に廻せるからである。

ダイレクトドライヴは理想の方式のように思える。
モーターの回転をそのままターンテーブルプラッターにつたえて廻す。
けれどモーターのシャフトはターンテーブルプラッターの中心でもある。

つまり、指で廻す時にもっとも力を必要とする最内周にあたる。

Date: 1月 10th, 2015
Cate: 音の器

音の器(その1)

ステレオサウンドのサイトで検索してみると、
名器と名機、どちらも使われているし,
蓄音器と蓄音機もどちらも使われているのがわかる。

明確な使い分けがなされているようにはみえない。

名機、蓄音機を使っているということは、
ステレオサウンドのサイトの編集者は、
オーディオ機器(蓄音器を含めて)を、器としては考えていない(捉えていない)ともいえる。

つまり音を鳴らす機械としての考え方・捉え方なのだろう。
だから名機、蓄音機を使う。

ということはオーディオを音の器として考えていない(捉えていない)ということでもある。

これは些細なことなのだろうか。

Date: 1月 10th, 2015
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その13)

針圧計に精度の高さを求めるのは、何かを決定したい行為なのかもしれない。
いい感じで鳴るポイントを見つけ出した。
それを針圧で記憶する。
次にそのカートリッジを使う時にも、その針圧にぴったりと合わせる。

アナログプレーヤーのアクセサリーは昔からいろんな種類がある。
そのひとつにディスクスタビライザーがある。

スタビライザーはレコードのレーベル部分にのせる、なんらかの素材による重しである。
昔は素材も重量もいろんな種類があった。
重量によるモノ以外にコレットチャック式のモノもあったし、吸着式のモノもあった。
プレーヤーによってはスタビライザーが標準装備のモノもいくつかあった。

昔からアナログディスク再生に熱心な人であるなら、
スタビライザーをひとつは持っていると思う。
そんなに高価なアクセサリーでもなかったし、レーベルのところにのせるだけだから、
結果が好ましくなければ使わなければ、それでいい。

つまり元の状態に簡単に戻すことができる。
手軽に試させて、音の変化も確実にある(よいと感じるかそうでないかは別として)。

このスタビライザーに関しても、決定しようとする人がいるように思える。
あるレコードで、スタビライザーのあるなしの音を比較試聴する。
どちらがよいかを判断して、スタビライザーありでいくのか、なしでいくのかを決定する。

けれど、これも決定するようなことだろうか。
スタビライザーありの音、なしの音を、いろんなレコードで聴いておく。
いい悪いを判断するためではなく、自分の中に判断材料・基準をつくっておくためにも聴いておく。

そうすれば、少なくとも自分のシステムにおいて、
このレコードのときにはあったほうが好ましく聴ける、
別のレコードではないほうが好ましい、という判断はすぐにつくようになる。

ならばスタビライザーをのせたほうがいいと判断したらのせればいいだけの話で、
どのレコードに関してものせるかのせないかを決定するようなことではない。

Date: 1月 10th, 2015
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その12)

アナログディスク再生に関すること全般にいえるのは、柔軟性が必要だということ。
針圧の調整にしても、新品で買ってきたカートリッジをとりつけて音を聴く。
最初は私だって標準針圧にあわせて聴く。
聴いてすぐに針圧を調整したりはしない。

レコードを何枚か、その状態で聴いてみる。
針圧を下限・上限まで変化させてみるのは早くてもその後であり、
新品のカートリッジを聴きはじめた、その日のうちに細かな調整はしない。

しばらく使っている(その音を聴いている)と、
なんとなく針圧を含めた調整をしたほうがいいかな、と思える時がある。
そういう時に、こまかな調整をしっかりとやる。

それでいい感じで鳴ってくれる針圧があったとする。
それをメモするようなことは、前にも書いたように私はしない。

その数値をどこまでも正確に計り、次にそのカートリッジを取り付けた時に正確に同じ数値にしたところで、
同じ音には鳴らない。
さまざまな要素によって、音は微妙に変化しているから、
それでもいい感じで鳴ってくれるポイントをまた出そうとしたら、
以前の数値にはもうこだわらないことである。

音を聴いて、どうしたらいいのか、瞬時に判断するものである。
そんな判断は、すぐには身につかない。
だから気に入ったカートリッジが見つかったら、あれこれいろんな調整を辛抱強くやってみるしかない。
そうやって感覚量を身につけるしかない。

オーディオのプロフェッショナルではないのだから、自分の好きなカートリッジに関して、
そういう感覚を身につければいい。
それは針圧計が示す数値とは関係のないものだ。

Date: 1月 9th, 2015
Cate: 瀬川冬樹

1月10日を前にしておもう

その人をどう呼ぶのか、どういう敬称をつけるのか。
先生と呼ぶことに、強い抵抗感をもつ人、
ほぼすべての人に先生とつける人、
先生と呼ぶ人とそうでない人をはっきりと分けている人。

私はいまも「先生」と呼ぶ。
もうその人たちの年齢をこえたいまも先生と呼ぶ。

60、70になっても、その人たちを先生と呼んでいると思う。
先生という敬称を使うことに強い抵抗感を持っている人からすれば、
そんな私は進歩しないヤツとうつるだろう。

もうそれでいい。
いまでも考えるからだ。
生きておられたら、なんと言われただろうか、どう評価されるだろうか、と。

そんなことをどんなに考えたころで、わからないだろう、
お前が答と思ったもの、考えたものは、正しいと誰が判断するのか。
なんと無駄なことを、いつまでやっている……。

それでも考える。
無駄なこととは思っていない。
だから考え続ける。
考え続ける以上は、私にとっては、彼らはずっと「先生」である。

生きておられたら、明日八十になられる。

いつまで私は考え続けられるのだろうか。

Date: 1月 8th, 2015
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その11)

日本人はマメだ、といわれる。
カートリッジのことに関しても、レコードごとにカートリッジを交換することもある、
そういう話をきくとマメだな、と思う。

私はすでに書いているように交換することはしなかった。
結局EMTのTSD15でずっと聴いていた。

ときどきは、あのカートリッジでこのレコードをかけたら……、と想像はするけれど、
想像だけでもいいや、というところがある。

こんな私は、カートリッジをマメに交換しているひとからすれば、
マメじゃないマニア、ということになる。

けれど、気に入ったカートリッジを最適に調整することに関しては労を惜しまない。
針圧調整をはじめとして、細かな調整をきっちりとやっていく。
その意味では、マメといえる。

そういうマメさからすれば、カートリッジを頻繁に交換している人に対して、
そこまで細かく調整しているのですか、と問いたくなる。

こんなことを書いている私だが、ここまで調整するようになったのは、
ステレオサウンドの試聴室で井上先生に鍛えてもらったおかげである。
この経験がなければ、徹底的に調整をつめていくことは、
このへんだろう、このくらいやればいいだろう、と、自分の中だけの基準でやっていただけかもしれない。

カートリッジ、アナログプレーヤーの調整は、そんなレベルではすまない。
しかも、そこまでくると感覚量こそが大事になってくる。
針圧ひとつとっても、針圧計が示す数字にとらわれたり、頼ったりしていては、まだまだだといえる。

Date: 1月 8th, 2015
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その10)

アナログディスク全盛時代、カートリッジの平均所有本数は日本人がいちばん多い、ということがいわれていた。
アメリカ、ヨーロッパにもオーディオマニアは大勢いる。
けれど彼らの多くは、頻繁にカートリッジを交換するようなことはしない。
そんなこともいわれていた。

ほんとうだったのどうかははっきりとしない。
でも、SME式のプラグインコネクターが普及していたのは、
というよりもほぼ標準規格といってもいいほどなのは日本だけで、
そのことも影響して、アメリカ、ヨーロッパではレコードごとのカートリッジ交換は一般的ではなかった。
こんな話もきいている。

たしかにそうなのかもしれない。
マークレビンソンのLNP2は、入出力端子にスイスのLEMO社製のコネクターに変更したさいに、
型番の末尾にLがつくようになった。
これは日本だけのことで、他の国で売られていたLNP2(他のアンプも含めて)には、
LEMOコネクターになってからも、Lはついていなかった。

並行輸入対策としての型番末尾のLであった。
いわば日本仕様であり、日本仕様はこれだけではなかった。

初期のLNP2はPHONO入力は一系統のみだった。
それが途中からPHONO1、PHONO2となった。
これも日本のみである。

輸入元のRFエンタープライゼスの要望で、日本にはアナログプレーヤーを複数台使っている人、
ダブルトーンアームの人が少なくないから──、ということだったらしい。

私としては微小入力のPHONOに、
接点がひとつよけいに透ることになるのだから、PHONOは一系統のほうがいいのに……、と思うのだが、
あのころの日本で、LNP2を買える層はそうではない人が多かったということになる。

Date: 1月 8th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その4)

マーク・レヴィンソンがいたころのマークレビンソンのコントロールアンプのデザインが、
トラックやブルドーザーのように見えない、という方も少なくないだろう。

私もトラックやブルドーザーとは見えなかった。
念のため何度も書くが、LNP2のデザインは悪くはない。
けれど優れたデザインとは私は思っていないし、美しいデザインとも思っていない。

なぜ、菅野先生は、そんなふうに表現されたのだろうか。
ステレオサウンドにいたころ、直接菅野先生にたずねてれば……、と思いもするが、
たずねてしまうと、自分でなぜなのか、と考えることを放棄してしまうことにもある。

なぜなのかを四六時中考えているわけではないが、
1981年から、これまでずっと頭のどこかには、このことがあった。

「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」で、
菅野先生はマークレビンソンのパワーアンプについては、どう書かれているか。
ML2、ML3については、こう書かれている。
     *
Aクラス動作で25Wのモノーラルアンプがこの大きさ! いかにもMLらしい大胆な製品である。やりたいこと、やるべきことをやるとこうなるのだ、といわんばかりの主張の強さがいい。そして2Ω負荷100Wを保証していることからしても、アンプとしての自信の程が推察できるというものだ。パネルはML3に準じるが、ヒートシンクが非常に大きく、上からの星形のパターンが目をひく。2台BTL接続端子がついている。(ML2)

マーク・レビンソンのパワーアンプらしい風格をもった製品。200W+200W(8Ω)のステレオアンプで、見るからに堂々たる体躯のシンメトリック・コンストラクション。前面パネルにはパワースイッチだけがセンターに、その真上に、あのモダーンなロゴがプリントされている。両サイドのハンドルを含め、シンプルながらきわめてバランスのよい美しさである。これぞ、パワーアンプという雰囲気だ。(ML3)
     *
ML2、ML3、どちらに関してもパワーアンプのデザインとして高く評価されている。
ML7、LNP2、ML2、ML3、いずれもマーク・レヴィンソンのテイストを感じさせるアピアランスをもっている。
にも関わらず、コントロールアンプのデザインとパワーアンプのデザインの評価は、これだけ違う。

Date: 1月 8th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その3)

池田圭氏の記事は、ラジオ技術に載っていた(はず)。
当時、池田氏の実験記事を読んで、なぜ、こんなことをされるんだろう……、
しかも、わざわざ記事にするんだろうか……、
そんなふうに受けとめていた。

若造だった私は、どこかオーディオの大先輩である池田圭氏を小馬鹿にしていたのかもしれない。

当時の池田圭氏は、いまの私よりもずっと年輩である。
池田圭氏の、そのときの年齢に、でも近づいている。
誰もが毎年ひとつずつ近づいていっている。
そして気づくことがある。

HUGOの登場は、そのことを思い出させてくれた。
だからHUGOが2014年に登場した新製品でもっとも気になるモノとなったわけではない。
理由は別にある。

ワディアのPower DACの存在が、私の中にずっとあるからだ。
ワディアのPower DACといっても、数年前に出たWadia 151 PowerDACのことではない。
1990年代にワディアが発表した、ひじょうに大きな金属筐体によるプロトタイプの方である。

私は、このPower DACの音を聴くことはできなかった。
ワディアが日本に輸入されるようになったのは、私がステレオサウンドを去ってからで、
Power DACはいわばプロトタイプであったから、まして聴く機会などなかった。

それでも、このプロトタイプの音は聴いておきたかった。
いい音がしていたのかどうかではなく、とにかく聴きたかった、というおもいがいまも残っている。