Archive for 10月, 2013

Date: 10月 27th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その12)

比較的新しいパワーアンプを使っているかぎり、
市販されているスピーカーケーブルの多くは末端処理を特別にすることなく、
そのまま接続できる、といっていいだろう。

それでも、世の中にはわざわざ末端処理をする人もいる。
そのままスピーカーケーブルをスピーカー端子に挿し込んでぎゅっと締めればいいのに、ラグを使っている。

どんなラグであれ、ラグを使えれば、そのキャラクターが必ず音としてあらわれる。
見た目がごついラグであればあるほど、キャラクターは強く出る傾向にあるともいえる。

時には、そういうキャラクターを必要とする場合もある。
とはいえ、この手のキャラクターは、どんな音にものってくる。
うまく効果的に作用してくれるのであればいいけれど、
邪魔になる、耳につくことも多い。
キャラクターは、のる音を選ばない。

個人のシステムであれば、そのシステムの所有者がそれで満足していれば、とやかくいうことではない。
けれどステレオサウンドの試聴室は、そういうところではない。
オーディオ機器をテストする場であるから、この手のキャラクターはときにテストの邪魔になる。

もちろんどんなものにもキャラクター(固有音)はあるから、ゼロにはできないのはわかっている。
わかっているからこそ、できるだけ特徴的なキャラクターは避けるように配慮していた。

その点、いまは楽であろう、と思ってしまう。
末端処理に特に気を使う必要はないはずだから。

とにかく、スピーカーケーブルはある時期から太くなっていった。
スピーカー端子もそれに対応していった。
もっともパイオニアのExclusive M5、スタックスが探梅していたスピーカー端子は、
かなり早い時期から太いケーブルへ対応していた。

スピーカーケーブルが太くなった。
太くなったということは、スピーカーケーブルが重くなった、ということでもある。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その5)

音楽性、精神性といったことばは、使う時に注意が必要にも関わらず、
そんなことおかまいなしに安易に使われることの多さが、気になってきている。

どちらも便利なことばである。
「この演奏には精神性がない」とか「この音には音楽性が感じられない」とか、
とにかく対象となるものを一刀両断にできる。

しかも、これらのことばを、こんなふうに使う人に限って、
精神性とはいったいどういうことをいうのか、どう考えているのか、
音楽性とはいったいどうことなのか、どう捉えているのかについての説明がないままに、
精神性(音楽性)がない、という。

その反対に、音楽性がある、精神性がある、という使い方も安易すぎるとも感じているが、
少なくともこちらは一刀両断しようとしているわけではない。

とにかく一刀両断的な「音楽性(精神性)がない」の使われ方をする人は、
時間をかけて話していこうとは思わない。

なにも「音楽性(精神性)がない」という使い方が悪い、という単純なことではない。
少なくとも、そこでその人が感じている精神性、音楽性について、
とにかくなんらかの説明があったうえで、こういう理由で「音楽性(精神性)を感じない」といわれれば、
その意見に同意するかどうかは措くとしても、話を続けていける。

ながいつきあいで、音楽の好み、音の好み、どんなふうに音楽を聴いてきたのかを熟知している相手とならば、
一刀両断的な言い方でも、まだわかる。
けれどそうでない人と話す時にこんな言い方をしてしまったら、
そうだそうだ、と同意してくれる人とならばいいけれど、世の中はそうでないことのほうが多い。

こういうことを書いている私も、20代のころは、こんな言い方をしていたのだ。
そして、そんな言い方をしていた20代のころ、私はカラヤンの「パルジファル」を聴くことはなかった。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(1980年当時のショウルームと広報誌)

1980年は、まだオーディオフェアの時代だった。
メーカーのショウルームも、東京にはいくつもあった。

サンスイのオーディオセンターは、西新宿にあった。
テクニクス、オーレックス、ダイヤトーン、ソニー、Lo-Dは銀座に、
トリオは丸の内、フォステクスは水道橋、オンキョーは秋葉原、ラックスは湯島、ビクターは高田馬場、
ヤマハはお茶の水、パイオニアは目黒、アカイは東糀谷、シャープは市ケ谷、オットー、コーラルは末広町に、
オーディオテクニカはショウルームではないものの、
創業者・松下秀雄氏のコレクションの蓄音器のギャラリーが町田(現在もあるはず)だった。

それだけでなくそれぞれのメーカーは広報誌も出していた。
ソニーはES REVIEW、ヤマハはapex、フォステクスはエコーズ、トリオはSUPREME、
サンスイはAudio journal、パイオニアがHIFiWay、オーレックスがAurex Joy。

すべての広報誌を読んだわけではないが、
これらは単なる自社製品の広報だけの本ではなかった。
すべてが無料だったわけではないが、それだけに読める広報誌だった。
おもしろい記事もあった。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(余談)

今日明日とヘッドフォン祭りが開催されている。
かなり賑わっているようだ。

ヘッドフォン、イヤフォンでのみ音楽を聴く人たちが増えている、とはきいている。
実際にどのくらいの人がいるのかはわからないものの、
ヘッドフォン祭りが春と秋、二回開催されていてひじょうに賑わっているということ、
量販店のヘッドフォン・イヤフォンコーナーの充実ぶりを見ていると、
スピーカーで音楽を聴く人が少なくなっていることは、どうも事実のように思えてくる。

そしてヘッドフォン祭りに行った人たちの感想、
それもオーディオマニアで普段はスピーカーで音楽を聴いている人たちの感想を、
twitterや掲示板などでみかけると、
この中の人たちの何割かでもいいから、スピーカーで聴くことに目覚めてほしい、というのがある。

この感想は、毎回、よくみかける。
私もそう思わないわけではないが、そういえば、と思い出すことがある。
ステレオサウンドにはいったばかりのころ、聞いたことだ。

ほとんどの人が最初はプリメインアンプでスタートするわけだが、
セパレートアンプへ移行する人は早い時期にそうしている。
そうでない人は、プリメインアンプをグレードアップはするものの、セパレートアンプへは移行しない、と。

セパレートアンプへ移行しない人が音に関心がないわけではなく、
セパレートアンプへ移るのか、それともプリメインアンプのままいくのかは、
スタイルの違いなのだと思う。

アンプにおけるプリメインとセパレートという形態の違いと、
スピーカーとヘッドフォン(イヤフォン)の違いは同一には考えられないところもあるけれど、
これまでずっとヘッドフォンだけで聴いてきた人の多くは、これからもそうなのかもしれない。

スピーカーで音楽を聴くようになる人は、うながされることなく、
早い時期にスピーカーを導入しているのではないだろうか。

Date: 10月 26th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヒンジパネルのこと・その5)

JBLのコントロールアンプ、SG520のヒンジパネルのサブパネルは黒色であり、
フロントパネルとツートーンを形成している。

ツートーンといえば、デンオンのコントロールアンプ、PRA2000は、
サブパネルはフロントパネルと同じ仕上げで、
境目のところ、フロントパネルの中央を横切るようにラインが設けられているし、
ヒンジパネルを開けると、引っ込んだところはフロントパネル、サブパネルとは違った仕上げになっている。

たいていがサブパネルはフロントパネルと同じ仕上げで、
ヒンジパネル内もフロントパネルと同じ仕上げのものが多いこと。
だからこそSG520、PRA2000のように、ちょっとした何かがあると、
アンプの表情の変化が、同じ仕上げのアンプよりもなんとなく好印象となる。

ヒンジパネル内には使用頻度の低い機能に関するスイッチや端子がおさめられている。
SG520の場合は、左からフューズホルダー、マイクロフォン用ピンジャック、ランブルフィルタースイッチ、
AUXジャック、スクラッチフィルタースイッチ、テストトーンスイッチ、テープモニタースイッチ、
RECアウトピンジャック、PHONO1のレベルバランス調整、アウトプットレベル調整、ヘッドフォンジャックで、
サブパネルを閉じると、テープモニタースイッチは自動的にOFFになる。

日本のコントロールアンプの場合、トーンコントロールやフィルターを含めて、
ヒンジパネル内におさめてサブパネルを閉じた状態で、
シンプルなフロントパネルにしているが、
SG520はトーンコントロール、ラウドネススイッチ、モードセレクターはフロントパネルにある。

そしてSG520はサブパネルの裏側に、それぞれの端子、スイッチの配置のイラストと文字表示がある。
ヒンジパネル内にツマミや端子を収納するのはいいけれど、
使用頻度の低いものだけに、たまに使おうとすると、
どれがどのツマミなのかを、ヒンジパネルをのぞきこむようにして確認しなければならない。

SG520では、そういうことへの配慮がなされていた。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: 岡俊雄

岡俊雄氏のこと(その6)

JBLにジョン・アーグル(John M.Eagle)という人がいた。
1975年にJBLに入社、最終的には顧問となった人だ。

ジョン・アーグルは何度か日本にきているのので、
オーディオ雑誌の記事にも何度か登場しているし、プロフェッショナルの分野でも著名な人で、
「ハンドブック・オブ・レコーディング・エンジニアリング」の著者でもある。

以前はハーマンインターナショナルのサイトに、ジョン・アーグルについてのページがあったのだが、
いまはどうもなくなっているようだ。

JBLには何人もの著名な人がいる。
ジョン・アーグルもそのひとりであり、もっとも名の知られている人といっていい。

そのジョン・アーグルが、岡先生のことをDr.Oka(ドクター岡)と呼んでいた話を、聞いている。
ジョン・アーグルは、岡先生どういう人なのかがすぐにわかったのだと思う。
だから、Dr.Okaと、アーグルはそう呼んだのだろう。

とにかくアーグルは岡先生を敬服していた、ときいている。
驚いていた、ともきいている。
そうだと思う。

知ったかぶりの人には岡先生のすごさはわからない。

黒田先生が書かれている。
     *
岡さんは、決して大袈裟な、思わせぶりなことをいわない。資料を山とつみあげて苦労の末さがしあてた事実をも、さらりとなにげなく書く。
 この本はそうやって書かれた本である。一行一行がどしりと重い。したがってこの本は、その重さを正しく計って読むべき本である。レコードについて多少なりともつっこんで正確に考えようとする人にとって、この本は、常に身近におくべき本である。そして、ことあるたびごとに、くりかえし読みたくなる本である。
    *
「つっこんで正確に考えようとする人」、
そういう人であればあるほど岡先生のすごさはわかってくる。
だからジョン・アーグルは、そう呼んだ、とおもう。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その4)

「パルジファル」はいうまでもなくワーグナーによるオペラだが、
ワーグナーによる他のオペラ、たとえば「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」には、
歌劇ということばが頭につく。
つまり歌劇「さまよえるオランダ人」であり歌劇「タンホイザー」である。

「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルグのマイスタージンガー」「ニーベルングの指環」は、
歌劇ではなく楽劇「トリスタンとイゾルデ」、楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」、
楽劇「ニーベルングの指環」となる。

「パルジファル」には、歌劇でも楽劇でもなく舞台神聖祝典劇がつく。

この、舞台神聖祝典劇「パルジファル」だけに、精神性を、ほかの作品に求める以上に求めてしまい、
カラヤンの「パルジファル」は精神性が、クナッパーツブッシュの「パルジファル」よりも稀薄だ、
というようなことはいおうと思えばいえなくもない。

だが、ここでいう精神性とはいったいどういうことなのかをあきらかにせずに、
ただ精神性が……、と大きな声でいっても、
それに納得してしまう人もいるだろうが、すべての人がそれに納得するわけではない。

精神性がない、とか、精神性が薄い、といったことを、クラシックの演奏に関していう人がいる。
オーディオに関しては、音楽性がない、とか、音楽性が薄い、というように、
スピーカーから出てくる音に対して、そう評価する人が少なくない。

ここでの精神性と音楽性は、ある意味よく似ている。
使われ方もよく似ている。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(続余談・ベイヤー DT440 Edition2007)

「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」が出た1978年でのDT440の価格は14800円。
ベイヤーのラインナップではいちばん安価なヘッドフォンだったし、
高価なヘッドフォンはこの当時もいくつかあった。

それにDT440は瀬川先生が書かれているように、
《ユニット背面の放射状のパターンなどみると、決して洗練されているとは言えず見た目にはいかにも野暮ったい》
外観だった。およそ高級ヘッドフォンとはいえない、見た目の印象だ。

それから30年が経過して、DT440 Edition2007になっているわけだが、
DT440の放射状のパターンはなくなっている。野暮ったさはなくなっているが、
高級ヘッドフォンという趣は感じないし、買う前から予想していたことでもあるのだが、
ドイツで製造しているわけではないようだ。

現在のベイヤーのラインナップで、より上級機はドイツ製を謳っているモノがある。
DT440 Edition2007はオープンプライスになっているが、実質30年前の定価とほぼ同じである。

そんなこともあって、ほとんど期待せずにiMacのヘッドフォン端子に接いでみた。
きちんとしたヘッドフォンアンプで鳴らしたわけではない。
おそらく中国で製造しているであろう、普及価格帯のヘッドフォン。

鳴ってきた音を聴いて、まず私が思っていたのは930stの帯域バランスと同じだ、ということだった。

瀬川先生がステレオサウンド 55号で書かれている文章そのものの帯域バランスがここにあった。
     *
中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、今回これを除いてほかに一機種もなかった。しいていえばその低音はいくぶんしまり不足。その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。
     *
もちろん930stの音そのものがDT440 Edition2007で聴けるわけではない。
だが、少なくとも930stの美点ともいえる、瀬川先生が書かれているとおりの帯域バランスは聴ける。

Date: 10月 25th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(余談・ベイヤー DT440 Edition2007)

30年以上前ならばEMTの930stをオーディオ店で見たり、聴くこともできたであろうが、
いまはその機会も少なくなっている、と思う。

ここで930stのことをいくら書いたところで、
930stに関心をもってくれても聴くことがなかなかかなわないのは時代の成り行きとはいえ、
残念なことだし、さびしくもあり、もったいない感じもする。

中古を専門に扱っているところに行けば、930stはあることにはある。
けれど、それがどの程度のコンディションかといえば、はっきりとしたことは何も言えない。
いいコンディションの930stにあたるかどうかは、運次第ともいえる。

完全整備と謳っているところは少ないないけれど、
私はほとんど、この謳い文句は信用していない。
店主の人柄がいいから、といって、そこで扱っている930stのクォリティが保証されるわけでもない。

結局、自分の目で判断できなければ、ということになる。

それでも930stの音がどういう音なのか、
その良さを、なにか別のモノで聴くことはできないのか──。

いまから三年前、iMacで使うヘッドフォンを探していた。
ちょうどそのころ、瀬川先生の文章を集中的に入力作業していたころで、
しかもステレオサウンド別冊の「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」にとりかかっていた。

iMacで使うものだから、高価なものでなくてもいいし、日常使いとして適当なヘッドフォンがあればいい、
という気持で探しに来ていた。
たまたま目についたのが、ベイヤーのDT440 Edition2007だった。

価格も手頃だし、「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」で瀬川先生が購入されていたことを知っていたから、
試聴もせずに、これに決めた。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: アナログディスク再生

「言葉」にとらわれて(トーンアームのこと・その3)

ワンポイントサポートというから、
頭の中だけで考えていると、一点支持ということに気を取られてしまいがちなる。

たしかにレコードの盤面にカートリッジを降ろしていなければワンポイント(一点支持)である。
だが実際に動作は、レコードの音溝にカートリッジの針先を落す。

この状態では、つまりは一点支持ではなく二点支持になっている。
一点はトーンアームの回転支軸の先端が鋭いピボット、
もう一点はカンチレバーの先端についているダイアモンドの針先である。

どちらも先端が尖っている形状をしている。
カートリッジの針先は音溝をトレースするわけだから、先端が下を向き、
トーンアーム回転支軸のピボットは上を向いている。

つまりは、カートリッジを含むトーンアームパイプは、
この二点によって支持されている、と見るべきだし、考えるべきものである。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その9)

これも衝動買いといえば、そうなるのかもしれない。

衝動買いとは、パッとひと目見て気に入り、その場で買ってしまうことだとすれば、
私の930stに関することは、13歳のころから、このプレーヤーが音楽を聴いていく上では必要だ、
いつかは930stと思い続けてきたわけだから、いわゆる衝動買いとはすこし違うのかもしれない。

でも、買えるかもしれない、とわずかでもそうおもえた時に、
ごく短時間で買う! と決意して買ってしまうのも、衝動買いかもしれない。

21で930stは、分不相応といわれればそうであろう。
でも、13のときからずっと思い続けてきたプレーヤーである。
そのプレーヤーを手に入れるチャンスであれば、なんといわれようと買うしかない。

それでもOさん、Nさん、Sさんたちの「買いなよ」が後押しになっていたし、
ノアの野田社長のおかげでもある。

ロジャースのPM510を買った時もそうだった。
PM510はペアで88万円していた。
そのPM510を20までに買えたのは、輸入元の山田さんのおかげである。

山田さんは、瀬川先生のステレオサウンド 56号のPM510の文章に登場する山田さんである。
山田さんがいなければ、私はPM510を買えなかったかもしれない。

惚れ込んだオーディオ機器を買う、ということは、私の場合、誰かのおかげである。
山田さんがいてくれたし、野田社長がいてくれて、
私はなんとかPM510、101 Limitedを自分のモノとすることができた。

縁があったからこそである。
よすがも、縁と書く。
だから縁が必要だったのだろう。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その8)

EMTの930stというプレーヤーは、私にとっては特別な意味をもつプレーヤーでもある。
ただ単に音のよい、信頼できるプレーヤーということだけではなく、
五味先生の「五味オーディオ教室」からオーディオの世界にのめり込んでいった私にとって、
五味先生が、誠実な響きとされていたからだ。
     *
どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。あまりそれがあざやかなのでチクオンキ的と私は言ったのだが、つまりは、「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか? そう反省して、あらためてEMTに私は感心した。
     *
オーディオの世界に足を踏み入れようとしていた13の中学生にとって、
この文章の意味は重かったし、大事なことだということはわかっていた。

音と音楽の境界ははなはだ曖昧である。
音楽を聴いているのか、音を聴いているのか、
とはよくいわれることである。

そういう危険なところがあるのは「五味オーディオ教室」を読めばわかる。
わかるからこそ、
《「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか?》
これをよすがとした。

930stがあれば、どこかで踏みとどまれるかもしれない。
そういう意味で、特別なプレーヤーが930stであり、
その色違いの101 Limited見てわずかのあいだにを買う! と決意して、
私のところに、この特別な意味をもつプレーヤーが来ることになった。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その7)

EMTの930stは河村電気研究所が取り扱っている時に生産中止になっている。
そのあとEMTがバーコに買収され、輸入元がエレクトリに移ってから再生産が一度なされている。
そのときの価格がいくらだったのか記憶にない。

930stの1980年での価格は本体が1258000円、専用のサスペンション930-900が295000円。
930stは930-900込みでのパフォーマンスの高さだから、1553000円ということになる。
1981年には930stの価格は1399000円になっている。

101 Limitedが登場した1984年までにいくらになっていたのか正確には記憶していない。
このころのステレオサウンドには河村電気研究所の広告も載っていない。
載っていたとしても価格は掲載されないことが多かったから、いまのところ調べようがない。

EMTのプレーヤーの価格は不思議なところがあって、
1975年の時点では、930stは980000円、927Dstは1300000円だった。
930stと927Dstの価格差は小さいものだった。
サイズの違い、出てくる音の凄さの違いは大きいものであったにもかかわらず、である。

それがいつしか927Dstは2580000円になり、3500000円、最終的には450万円を超えていたときいている。
1975年の価格から三倍以上になっているのにくらべると、930stの価格の上昇はそれほどでもないのだが、
それでも150万円は150万円の重みがあることには変りはない。

「買います」といったものの、
支払い能力があやしい者には売れない、といわれればそれまでである。
そういわれるかと思った。ことわられるかも、とも思っていたけれど、
ノアの野田社長は、あっさりと「いいよ」といってくださった。

もう撤回はできない。

Date: 10月 24th, 2013
Cate: 930st, EMT

EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ・その6)

少年とは、私のこと。18でステレオサウンドで働くようになったので、少年ということだった。
このときいたNさんも、同姓の人がサウンドボーイ編集部にいたので、Jr.(ジュニア)と呼ばれていた。
私も、Nさんと呼ぶことはなくて、ずっとジュニアさんといっていた。

当時のステレオサウンド編集部は、そういう雰囲気があった。
いまは、おそらくそんなことはないと思う。

「少年、これ買えよ」

私だって支払えるだけの経済力があれば、欲しい。
EMTの930stは、五味先生も愛用されていたし、瀬川先生も927Dstにされるまで使われていた。
買えるものならば、いますぐ欲しいプレーヤーだった。

けれどトーレンスの101 Limitedは150万円だった。
21歳の若造が買える金額ではない。
そうでなくてとも、ロジャースのPM510を買ってから一年ほどしか経っていなかった。
余裕は、まったくなかった。

Oさんの「少年、これ買えよ」に続いて、
NさんもSさんも「買いなよ」と、簡単にいってくれる。

このとき930stは製造中止だといわれていた。
101 Limitedにしても、型番が示すように101台の限定である。
この機会をのがしたら、新品の930stを手に入れることは難しくなる。

無理なのはわかっている。
でも、これしかない、とおもったら、「買います」といっていた。

Date: 10月 23rd, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その3)

クナッパーツブッシュのバイロイトでの「パルジファル」は1962年、
カラヤンのベルリンフィルハーモニーとの「パルジファル」は1979〜1980年にかけての録音。
つまり約20年の隔たりがある。

この20年の隔たりだけが理由とはいえないほど、カラヤン盤はスマートである。
これはカラヤンという指揮者とクナッパーツブッシュという指揮者の風貌もそうであるし、
オーケストラに関してもそういえるところがある。
さらに歌手にもいえる。

クナッパーツブッシュ盤でのグルネマンツはハンス・ホッター、カラヤン盤ではクルト・モル、
クナッパーツブッシュ盤でのアンフォルタスはジョージ・ロンドン、カラヤン盤ではジョゼ・ヴァン・ダム、
クナッパーツブッシュ盤でのクリングゾールはグスタフ・ナイトリンガー、
カラヤン盤ではジークムント・ニムスゲルン、
いずれもカラヤン盤の方がその歌唱もスマートである。

録音に関しても同じことがいえる。
1962年のライヴ録音、しかもバイロイト祝祭劇場でのクナッパーツブッシュ盤よりも、
デジタルによって録音されたカラヤン盤の方が、精妙でスマートである。

そして、この精妙さ、スマートさが、カラヤン盤においては、
往々にして精神性が稀薄という評価につながっていくようでもある。