戻っていく感覚(ひさしぶりの3012-R Special・その2)
別項「ヴィンテージとなっていくモノ(マランツ Model 7)」の(その1)で、
クラシックスタンダードについて、少しだけ書いている。
山中先生が、ステレオサウンド 50号の特集で、
クラシックスタンダードを使われていた。
今回、SMEの3012-R Specialをひさしぶりにさわったことで、
戻っていく感覚を意識したわけだが、
こういう感覚を味わわせてくれるモノこそ、クラシックスタンダードなのかもしれない。
別項「ヴィンテージとなっていくモノ(マランツ Model 7)」の(その1)で、
クラシックスタンダードについて、少しだけ書いている。
山中先生が、ステレオサウンド 50号の特集で、
クラシックスタンダードを使われていた。
今回、SMEの3012-R Specialをひさしぶりにさわったことで、
戻っていく感覚を意識したわけだが、
こういう感覚を味わわせてくれるモノこそ、クラシックスタンダードなのかもしれない。
Western Electric 757Aで聴くモノーラルだけの三時間。
明日(6月5日)のaudio wednesdayのテーマである。
5月1日の会に来られた方には、もう説明は不要だろう。
もう一度、ぜひ聴きたい──、
そう思う人がほとんどというくらいに最後に鳴らした757Aの音は素晴らしかった。
みすぼらしい外観の757A、しかも一基だけだからモノーラルでしか鳴らせない。
誰もが、「このスピーカー、鳴るの?」と思っていたことだろう。
私だって、たぶん鳴ってくれるはずだけど……、という不安も少しばかりあった。
最初にかけたのはカザルス・トリオによるハイドンのピアノ三重奏曲 第25番。
1927年の、この録音が、ひっそりと、実に品よく鳴ってくれた。
次にかけたのは、カザルスとゼルキンによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ 第一番(第一楽章)、
1953年の録音。これが実に活き活きと鳴ってくれた。二人の体温が伝わってきそうな感じでもあった。
どちらにも共通していえるのは、音楽の息づかいが濃く伝わってくることだ。
この日、757Aの音に接した人は、みな、もっと聴いていたいと思っていたはず。
私もそうだ。だから6月5日は、たっぷりと757Aを聴いてもらう。
Speaker System: Western Electric 757A
Power Amplifier: Accuphase A20V, McIntosh MC275
D/A Converter: Meridian ULTRA DAC
開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。
18時から音は鳴らしているけれど、
19時までの一時間は、質問、雑談の時間でもある。
音を鳴らし始めると、話す時間がほとんどなくなる。
とにかく聴いてもらいたいし、曲を途中で止めるのもできればやりたくないため、
曲の紹介を短めでやるくらいになってしまっている。
なので18時から19時までは、話のほうに少しはウェイトをおきたい。
会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。
参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。
大学生以下は無料。
黒田先生の「カザルス音楽祭の記録」(ステレオサウンド 24号)を思い出す。
*
端折ったいい方になるが、音楽にきくのは、結局のところ「人間」でしかないということを、こんなになまなましく感じさせるレコードもめずらしいのではないか。それはむろん、カザルスのひいているのがチェロという弦楽器だということもあるだろうが、スターンにしても、シゲティにしても、ヘスにしても、カザルスと演奏できるということに無類のよろこびを感じているにちがいなく、それはきいていてわかる、というよりそこで光るものに、ぼくは心をうばわれてしまった。
集中度なんていういい方でいったら申しわけない、なんともいえぬほてりが、室内楽でもコンチェルトでも感じられて、それはカザルスの血の濃さを思わせる。どれもこれもアクセントが強く、くせがある演奏といえばいえなくもないだろうが、ぼくには不自然に感じられないし、音楽の流れはいささかもそこなわれていない。不注意にきいたらどうか知らないが、ここにおいては、耳をすますということがつまり、ブツブツとふっとうしながら流れる音楽の奔流に身をおどらせることであり、演奏技術に思いいたる前に、音楽をにぎりしめた実感をもてる。しかし、ひどく独善的ないい方をすれば、この演奏のすごさ、女の人にはわかりにくいんじゃないかと思ったりした。もし音楽においても男の感性の支配ということがあるとしたら、これはその裸形の提示といえよう。
*
ウェスターン・エレクトリックの757Aの音を聴いてからというもの、
黒田先生の、この文章を思い出している。
《音楽にきくのは、結局のところ「人間」でしかないということを、こんなになまなましく感じさせる》、
そういう音を聴くと、ナロウレンジかワイドレンジかなんて、
どうでもいいことのように吹き飛んでいく。
けれど一方で、そんなふうに感じさせないナロウレンジの音もある。
ステレオサウンドを辞めてからSNEの3012-R Specialに触れる機会はまったくなかった。
なので、今回の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会では、
三十数年ぶりに3012-R Specialに触れたことになる。
あまりにもひさしぶりすぎるので、腕がなまっているかも──、
そんな心配も少しはあったけれど、いざ3012-R Specialに触れれば、
そんな不安は消えてしまっていた。
これも「戻っていく感覚」なのだと、おもっていた。
5月のaudio wednesdayでウェスターン・エレクトリックの757Aを聴いていて、
ふと100Fのことも思い出していた。
(その3)で書いたことを、引用しておく。
ステレオサウンドの取材で出合ったのがウェスターン・エレクトリックの100Fである。
裏板の銘板には、LOUD SPEAKER SET、とあるとおりアンプ内蔵の、いわゆるパワードスピーカーだ。
100Fは、電話交換手のモニター用としてつくられたもの、ときいている。
見た目は古めかしい。
最初見た時は、こんなものもウェスターン・エレクトリックか……と思ったぐらいだから、
正直、あなどっていた。
記憶に間違いがなければ、たしかBGMを鳴らすときに100Fを使われた。
だから音量は小さめ、電話交換手のモニター用だから、
人の声(会話)が明瞭に聞こえることを目的として開発されたものだろうから、ワイドレンジではない。
せいぜい上は4〜5kHzぐらいまでか。下は100Hzぐらいであろう。
内蔵アンプも、電源トランスを排除しコストを抑えた設計・構造。
それなのに、耳(というよりも意識)は、100Fの方を向いていた。
私がハタチぐらいのころ、100Fを聴いている。
四谷三丁目にあった喫茶茶会記にも100Fはあったし、鳴っていた。
100Fという型番からもわかるように、100Aから100Fまである。
スピーカーユニットは5インチで、AからEまではフィールド型で、
Fのみがアルニコ磁石になっている。
私が聴いたのは100Fのみ。
その100Fの音を、757Aを聴いていて思い出していた。
100Fはモノーラルでしか聴いていない。
これをステレオで鳴らしたら(聴いたら)と当時は思っていた。
そして、このままスケールアップした音は得られないのだろうか、とも。
757Aは、私にとって100Fの音をいろんな意味でスケールアップした音に聴こえた。
今月下旬に引っ越すことになった。
いくつか理由があってのことだが、とにかく部屋探しは十一年ぶり。
そのころとはこんなに違ったと感じていたのは、iPhoneでの検索だった。
なんとなく歩きながら、いい感じの建物だな、と思って、
建物の名前を検索すると、すぐに情報が得られる。
間取り、家賃、空き部屋があるのかどうかなどがすぐにわかる。
そうやって探していた。
でも、決めた部屋は、駅前の不動産屋での案内を見ての物件だった。
この物件もインターネットで検索してくると表示される。
けれど、インターネットの検索結果では空き部屋ナシとなっている。
空き部屋はあって、そこを契約してきたわけで、
インターネットだけに頼っていては、他の物件を選んでいたであろう。
もちろん、今回私が契約した物件よりも、もっといいところがある可能性はある。
それでも実際に不動産屋に行って得られる情報もある、ということだ。
インターネットの便利さ、ありがたさを感じながらも、
いまのところ、それだけでは不十分なところもある、そのことを今回も実感していた。
SMEのトーンアームなら、
3012-R Specialよりもひとつ前のモデル、
3012 Series IIのほうが優秀という声があるのは知っている。
3012-R Specialは妥協のトーンアームだという人がいるのも知っている。
私は3012 Series IIは使ったことがない。
3012-R Specialよりも優秀なのかもしれない──、と思いつつも、
トーンアームとしての完成度の高さでみたら、やはり3012-R Specialだと私は思っている。
特にユニバーサルトーンアームとしての完成度は、3012-R Specialが上だと言い切る。
SMEのトーンアームとしての特徴であるナイフエッジ。
構造的にもラテラルバランスがきちんととれていて、その性能(感度)を発揮する。
3012-R Specialはラテラルバランスがとりやすい。
カートリッジをつけ替えて、ゼロバランスをとり、ラテラルバランスをとり、針圧をかける。
それからトーンアームの高さやインサイドフォースキャンセラーを調整する。
これらを手早くきちんとやれるのか。
そういうことを含めてのバランスのよさということで、3012-R Specialを私はとるし、
だからこそユニバーサルトーンアームとして唯一の存在とも思っている。
しかも私の目には、3012 Series IIよりも3012-R Specialが美しくみえる。
優雅ともいいたい。
今回ガラードの301との組合せをながめていて、
プレーヤーキャビネットが光をどこまでも吸収するような黒に仕上げられていたら──、
そんなことを想像していた。
目に映るのは、301と3012-R Specialとカートリッジ、そしてレコードのみ。
5月26日の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会には、
約九十人が集まった。
これだけの人が入ってくると、音はどう変化するのか。
一人、二人、三人……五人くらいまでの音の変化はなんどか体験している。
けれど九十人となると、想像しようとしてもなかなか難しい。
オイロダインが鳴るようになったのが六日前の月曜日。
火曜日と水曜日の音は聴いている。といっても時間にするとそれほど長かったわけではない。
それで当日。
オイロダインの音を一人でも聴いている。
二人、三人……と人が増えていった音を聴きながら、
九十人のときの音は破綻するのか、それとも劇場用スピーカーなのだから、
ものともしない音を響かせてくれるのか。
後者の予感はあったし、そう期待したかった。
当日、最初にかけたフィッシャー・ディスカウとムーアによるシューベルトの「音楽に寄せて」。
ボリュウムの位置は、少しだけ上げていたけれど、
特に不都合は感じさせない鳴り方だった。
こういうところが劇場用スピーカーの実力なのか。
(その15)、(その16)で取り上げている「フロリダ」というダンスホールでの、
ウェスターン・エレクトリックの話も、そうだろう。
「フロリダ」にどれだけの人が集まっていたのかは知らないが、
ウェスターン・エレクトリックのシステムを揃えるに、
そして毎月の使用料がそうとうに高価だったことはわかる。
つまりそれだけのお金をウェスターン・エレクトリックに払っても利益があるほどに、
人が「フロリダ」に集まっていたわけで、
このことは、それだけの人が集まってもいい音が鳴っていたからこそのはずだ。
5月26日の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会でのアナログプレーヤーは、
別項で書いているようにガラードの301にトーンアームはSMEの3012-R Special、
カートリッジはEMTのTSD15をアダプターを介して取りつけた。
昇圧トランス、ヘッドアンプは使わずに、
マランツのModel 7のPhono端子に直接挿している。
そのためシステム全体では逆相になっている。
このことも別項で書いているが、
東京に来て最初に買ったオーディオ機器が、3012-R Specialである。
当時、限定ということだったので、とにかく、このトーンアームだけは手に入れなければ──、
そのおもいだけで手にしたモノだ。
ステレオサウンドの試聴室でも、3012-R Proがリファレンストーンアームだった。
だからというわけではないが、今回、ひさしぶりに3012-R Specialに触れて、
やっぱり使いやすいトーンアームだな、よく出来たトーンアームだな、
3012-R Specialこそがユニバーサルトーンアームだな、
そんなことを思っていた。
それにレコードをかけている時も、盤面の上に弧を描いていく3012-R Specialは、
やっぱり美しい、とも思っていた。
メリディアンの218に最初に使った。
次は、サウンドラボのコンデンサー型スピーカーに使ってみた。
そしてマランツのModel 7にも、
アンカーのモバイルバッテリー、PowerHouse 90を使った。
いずれも好結果が得られた。
ならば次に試したいのは、6月5日のaudio wednesdayでのメリディアンのULTRA DACだ。
ULTRA DACのリアパネルには、“40W max”とある。
たぶん使えるはずである。
どれだけの時間使えるのかは、なんともいえないので、
まず開始前にどういう変化が得られるのかを確認したうえで、
三時間すべてPowerHouse 90を使うのではなく、残り一時間ほどで使ってみたい。
「今日はカザルスはかけないんですか」
5月26日の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会で、そういわれた。
「今日はかけないんです。でもaudio wednesdayでは必ずかけます」
とこたえた。
「行きます」と返ってきた。
私に直接いってきた人は一人だけだったが、
他にも数人の方が「カザルスはかけないんですか」といわれていた、とのこと。
6月5日のaudio wednesdayは、
ウェスターン・エレクトリックの757Aでのモノーラル録音のモノーラル再生。
カザルスももちろんかける。
そしてジャクリーヌ・デュ=プレのバッハもかける。
デュ=プレがBBCに残した録音がCDとして世に出たのは、いまから三十年以上前。
デュ=プレはどうしてバッハを録音しなかったのか──。
デュ=プレの演奏にふれたときから、ずっーとそう思い続けてきた。
だから、やっぱり残っていた(録音していた)。
そのことを喜ぶとともに、年代的にはステレオ録音でもおかしくないのに、
モノーラル録音だったことに、すこしばかりがっかりした。
デュ=プレが残したバッハは一番と二番のみ。
全曲ではないけれど、聴ける、というそのことに感謝しかない。
757Aの音を聴くまでは、なぜモノーラルなの? だったのが、
いまではモノーラルでよかったかもしれない、と思い直している。
6月5日、カザルスとデュ=プレ、ふたりのバッハをかける。
昨晩(5月26日)の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会で、
私がかけたディスクをあけておく。
フィッシャー・ディスカウとムーアによるシューベルトの「音楽に寄せて」。
これは日本盤。
クナッパーツブッシュの1951年のバイロイト祝祭劇場での「パルジファル」。
イギリス盤で、オリジナル盤のはず。
ケンプのシューベルトのピアノ・ソナタ第二十一番(日本盤)。
フルトヴェングラー/フィルハーモニーによるベートーヴェンの第九。
1954年の録音で、プライヴェート盤。
グレン・グールドによるブラームスの間奏曲集(日本盤)。
シュヴァルツコップとエドウィン・フィッシャーによるシューベルトの「音楽に寄せて」。
イギリス盤で、オリジナル盤のはず。
クナッパーツブッシュの「パルジファル」では途中でボリュウムを絞った。
ケンプのシューベルトもかける前はそうしようかと思っていたけれど、
第一楽章を最後までかけた。
フルトヴェングラーの第九は四楽章を最後まで。
これで持ち時間の一時間半、ほぼぴったりだった。
レコードはすべて野口晴哉氏のコレクションから選んでいる。
昨晩の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会では、
マランツのModel 7の電源はアンカーのモバイルバッテリー、PowerHouse 90から供給した。
PowerHouse 90についている残量計はあまり当てにならないという意見もあるが、
とりあえず信用することにして、一時間半の使用ではまったく問題なく、
おそらく倍の三時間は余裕で使えそうな感じを受けた。
それでも、このへんのことは実証してみないとなんともいえないが、
Model 7の消費電力が35Wだとすれば、実用になる容量といえる。
壁のコンセントからの供給とどれだけ音が違ってくるのか。
ケース・バイ・ケースとしかいいようがない。
50Hzの地区か60Hzの地区かでも違ってくるし、
電源ラインに混入してくるノイズの量によっても違いは生じる。
それでもPowerHouse 90は高価なモノではないし、
あまり音質に寄与しないという結果になったとしても、
オーディオとは関係ないところではきちんと使えるのだから、
まずは使ってみたら、といいたい。
私の周りでは二人が購入。二人とも満足している、とのこと。
2023年5月28日が、野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会の一回目だった。
その時に、定期的に行いたい、という話は聞いていた。
そして今日(5月26日)。一年ぶりの開催。
スピーカーが一回目の時と違うことが大きいといえばそうなのだが、
それでも、音は確実に変っている。
アンプも整備されているし、アナログプレーヤーに関してもすでに書いているように、
トーンアームが3012Rになっているし、カートリッジもEMTである。
なので、音は変っていて(違っていて)当然なのだが、
それでもどれだけの変化なのだろうか、と自問もする。
野口晴哉氏が出された音を聴いていて、しっかりと記憶している人は、
私の周りにいない。
答は出ない自問なのだが、自問し続けていくことだと考えている。
明日(5月26日)の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会でも、
アンカーのモバイルバッテリー、PowerHouse 90を、
マランツのModel 7に使ってみようと考えている。
いうまでもなくModel 7はアメリカのアンプだから、
50Hzではなく60Hzにしたいし、電源電圧も100Vではなく110Vにしたい。
Model 7の消費電力は35Wとなっている。
PowerHouse 90で、どのくらいの時間持つのか、
音はどう変化するのか、試してみないことにはなにもいえないが、
明日の楽しみの一つである。