audio wednesday (next decade) –今後の予定
1月のaudio wednesdayは14日です。
2月と3月は4日です。
開催場所の関係で人数制限があります。参加希望の方は、私宛にメールで連絡ください。無料です。
1月のaudio wednesdayは14日です。
2月と3月は4日です。
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出逢ったのは秋なのでもう少し先になるのだが、今年は「五味オーディオ教室」から始まった私のオーディオ歴は五十年になる。
一つの節目なので、私が欲しい、欲しかったと思ったオーディオ機器について書いていく。
チューナーからにしたのは、たまたま。すぐ目につくところにあったステレオサウンド別冊の表紙が、セクエラだったからだ。
TIDALやQobuzがなかった時代、チューナーの存在は大きかった。
18まで住んでいた熊本は、その頃は民放のFM局はなく、NHKのみ。
それでもケイト・ブッシュの歌と出逢えたのは、夕方の番組だった。
ケイト・ブッシュと出逢えたことだけでも、チューナーを持っていてよかった、
エアチェックしておいてよかった、といまでも思っているくらいだ。
五味先生は、FMのエアチェックに熱心だったことは「五味オーディオ教室」からも伝わってきた。
年末に放送されるバイロイト音楽祭、それから日本で行われるコンサートの生中継のエアチェックのために、
マランツのModel 10Bを使われていた。
当然、最初に憧れたチューナーはModel 10Bだ。
1988年に登場したビクターのSX1000は、ダイアモンド振動板を採用した。
いまではハイエンドオーディオのスピーカーシステムにも、ダイアモンド振動板は使われている。
ダイアモンド振動板だから、ということで驚くことはとうの昔になくなった。
ハイエンドオーディオの世界は、2024年に一億円を超えるスピーカーシステムが登場した。
2025年は、さらに上まわる二億円のスピーカーシステムも現れた。
こうなると、今年はもっと高価なスピーカーシステムが登場するのかもしれない。
もしかするとダイアモンドエンクロージュアのスピーカーシステムが、そう遠くないうちに現れるかもしれない。
最初は中高域のエンクロージュアのダイアモンド化であっても、それが受け入れられたとしたら、
ウーファーのエンクロージュアまでダイアモンド化──、そんな時代がいつくるのか。
私が生きているうちに登場したとして、はたして“Wow”というだろうか。
(その24)で、
デザイナーのミルトン・グレイザーの言葉を引用している。
“There are three responses to a piece of design—yes, no, and WOW! Wow is the one to aim for.”
言わないような予感だけがある。
1981年、ステレオサウンド編集部宛に手紙を何度も書いては送っていた。
やってほしい企画を、思いつくかぎり書いては送っていた。
この手紙を、面白いやつがいる、と思ってくれた人がいたから、ステレオサウンド編集部で働くようになった。
1981年のことだから、紙に手書き。それを送っていたのだから、私の手元には何も残っていない。
それが手紙というものだ。
1997年からインターネットをやるようになって、友人と電子メールでやりとりするようになった。
最初は気づかなかった、というよりも意識していなかったのだが、
電子メールは送信したメールも、パソコンの中に残っている。
そのことを当たり前のように受け止めていたのだが、ふと、私のところに残っている、この送信メールはオリジナルなのか。
そんな疑問がわいてきた。
理屈では残っているメールがオリジナルで、送信したのは、そのコピーである。
けれど、ここに、なんらかの想いが絡んでくると、本当にそうなのか、とも思えてくる。
なんらかの想いを込めて送信したメールこそがオリジナルであって、
パソコンなりスマートフォンの中に記録されている送信済メールは、
コピーでしかない(事務的なメールを、そんなふうに感じたことはない)。
いつのころからか、あっ、送ったメールのコピーが残っている──、そんなふうに思うようになった。
昨年11月に、父が倒れた。
90の誕生日の二日後だった。
大きな病院での検査の結果、国指定の難病だった。
今年5月に亡くなる。半年の入院だったわけだが、父は本の差入れを求め、ずっと読んでいたそうだ。
80半ばまで週一回テニスをしていた。
惚けることもなく、それまではずっと健康といえた。
母は足腰が弱ってきているものの、惚けることなく元気でいてくれている。
オーディオはお金もかかるし、時間も必要とする。
私は長男だから、いつかは親の介護で実家に帰ることになるだろう──、と若い頃から思っていた。
そのころからずっと東京で暮らしたままオーディオをやっていられる。
それだけで幸せだし、幸運だったとも思っている。
X(Twitter)に投稿されていたショート動画を見たばかり。
私が知らないだけで、ある程度有名なレコードコレクターの方が、レコードをかける動画だった。
無雑作にセンタースピンドルの先端で、レコードの中心孔周辺を擦っている。
いわゆるヒゲをつけまくるレコードのかけ方だ。
レーベルにヒゲがつこうが、音が刻まれている盤面には関係ない──、そういう感覚、認識なのだろう。
そんな人がレコードコレクターとして、そこそこ知られている。
人が、というよりもオーディオ界そのものが老いてきているような気さえする。
特定のオーディオ・ブランドの信者の、その精神(姿勢)は、けっして探究心ではなく、
ゆえに視野狭窄に陥り、いわゆる教祖に従おうとする──、
そういう見方もできる。
信者、それも熱心な信者ほど視野狭窄になるようだ。少なくともオーディオに限って、そう言える。
視野狭窄になって、信じる、そのブランドの製品しかいいモノとは思えなくなるのは、信者にとってはシアワセなことだろう。
だから、よけいに自然と視野狭窄に進んでなっていくのか。
これも本人だけのことであれば、何も言うことはないのだが、そのブランドの製品を周りにも薦める。
しかも完璧、もしくは完璧に近いモノのように薦めてくる。
本当に完璧、完璧に近いモノであれば、新型や改良型が、そのブランドから登場するはずもないのに──、そんなことにも気づかないくらいに陥っている。
周りの人は、冷静に信者が薦める製品を見ている。良さもあれば、そうでないところもあるのを感じている。
けれど信者は違う。
視野狭窄になってしまっているために、逆に、そのブランドの製品の全てが見える(聴けている)とはいえない。
視野狭窄ゆえにいいところだけ、しかもそれもかなり狭い範囲でしか聴けなくなっていることを自覚していない。
それでは説得力を持たない言葉を力説するだけになる。
そして、誰もわかってくれない。
このブランドの良さがわかるのは私だけ、となるのかもしれない。
そうなった時に、同じく信者に出会えば意気投合する。固く結ばれる。
今はソーシャルメディアがあるから、昔と違って信者同士が繋がりやすい。一人が二人、三人、四人……、と増えていく。
そして彼らが集まれる「教会」を手に入れようとする。
オーディオ・ブランドには、多かれ少なかれファンがつく。
古くからのブランドだと、けっこうな数のファンがいて、その人たちだけを相手にしても商売が成り立つのかもしれないし、
また、そのブランドのファンが広報の役割を果たしてくれたりするものだろう。
マッキントッシュも、そういうオーディオ・ブランドの一つであって、
ファンの中には、(その8)で書いているような人も生まれてくる。
ファンを超えて信者となってしまう。そうなると、そのブランドの製品は全て素晴らしいと、その人の中ではなってしまう。
それが、その人の中だけのことであれば、何も言わないのだが、信者も熱心な信者になるほど、周りの人たちを信者にしようとする。
新興宗教の信者と同じと言っていいのかもしれない。
どうして周りを巻き込もうとするのか。
彼らは善意ゆえの行動と思っているのかもしれないが、常軌を逸しているのでは──、と感じてしまうことがないわけではない。
ソーシャルメディアを眺めていると、そんな信者の投稿が、時に表示される。
自分たちだけがわかっている──、そういう位置からの投稿のようにも感じる。
彼らは何を最終的に求めているのか。
いい音ではなく、彼らにとっての「教会」なのではないか、と思えてならない。
早瀬文雄(舘 一男)さんのスピーカー遍歴はすごいが、アナログプレーヤー遍歴もなかなかだった。
マイクロのSX8000IIにSMEのSeries Vの時もあれば、BARCO-EMTの復刻930stの時もあったし、ガラードの301、
いま私の元にあるWilson BeneschのCircleなどがある。
他にも記憶しているアナログプレーヤーはあるが、
書きたいのはそれらのことではなく、
J.A.ミッチェルのジャイロデックのことだ。
いまではMichell(ミッチェル)となっているが、
1980年代に輸入されていたころは、J.A.ミッチェルという表記だった。
GYRODECが、最初に日本に紹介された。
舘さんは、このGYRODECにベタ惚れだったと言っていいくらいに、そのデザインを高く評価していた。
メインのアナログプレーヤーとして使っていた時もあれは、サブ用として、
舘さんのリスニングルームには、常にGYRODECがあった。
私の記憶違いでなければ、一度手放してまた購入されている。
見ているだけで満足という感じでもあった。
いまではブラック仕上げもあるが、舘さんはシルバー仕上げだった。
オーディオマニアとして齢を実感するのは、私の場合、人それぞれだ、と思うことが増えてきたことによってだ。
昔は、若かった頃は、ムキになって説明することもあった。
どうして、このことがわかってくれないのか、どうすれば理解してくれるのか──、
そこにエネルギーを費やすことがあった。
でも、ほぼ過去形になっている。
最初から諦めているわけではないが、何度か言葉を交わしていれば、わかってくる。
この人には、どれだけ言葉を尽くしても……、ということがだ。
人それぞれだから、この人には……、となる。
そういう時に、齢をとったのかなぁ、と思うわけだが、いや待てよ、と思うところもある。
相手にオーディオのことをもっと理解したいという熱があるのならば、それに応えようという気持は、まだある。
そうではなくて、要領よくやろうとしている人、横着な人、
オーディオの体系化された知識ではなく、ウワサ話的なことに興味がある人、
目の前のオーディオマニアが、そんな人たちなのかどうかが、昔よりも判別つくように、こちら側がなったということも関係していよう。
私のところにあるWilson Beneschのアナログプレーヤー、Circleは、舘(早瀬文雄)さんが使っていたモノである。
舘さんが東京から京都にクリニックを移し引越しする時に、使ってください、と言ってくれたモノだ。
カートリッジはZYXが付いていたけれど、カンチレバーは折れていた。うっかりプラッターにぶつけて折ってしまったとも言っていた。
そんなうっかりがあるかな、と思ったけれど、自分で使ってみると、そのうっかりはたやすく起ってしまうことに気づく。
アームレストの固定が緩いから、すぐにトーンアームが外れてしまいプラッターにぶつかる。
運が悪ければ、カンチレバーが折れる。
舘さんもそうやってのことだったのだろう。
「バカの壁」は、養老孟司氏、
「アホの壁」は、筒井康隆氏。
そろそろ、誰か「ゲスの壁」を書いてくれてもよさそうなのに……、
そんなことを何度か感じた一年でもあった。
四年前の12月に、そう書いた。
ゲスは、意外に多い。
アホ、バカ、ゲス。
いちばん始末におえないのは、ゲスだ。
ゲスに慣れる必要はない。慣れてはいけない。
残念なことに、そう感じた一年でもあった。
仮想アース関係のアクセサリー類は、どれだけ市場に出ているのだろうか。
市販されているモノもあれば、自作している人もいるし、それをヤフオク!で売っている人もいる。
そんな状況を、ウチは大地アースをしっかり取っているから関係ない、と見ている人もいる。
オーディオ用に大地アースを行ってくれる業者もある。そういうところにやってもらった人は、接地抵抗が、これだけ低くなった、と数値を誇らしげにソーシャルメディアに投稿してたりする。
かなり低い接地抵抗になったら、少しは自慢したくなる気持はわかるけれど、
接地抵抗はあくまでも直流域だけのことでしかない。
アース工事を行う業者には接地抵抗だけを測るところと、高周波ノイズまで測るところがある。
接地抵抗が十分に低いからと安心はできない。高周波ノイズを測定しない業者の工事だと、場合によってはノイズが増えることがある。
これから大地アースをやろうと考えている人は、この辺のことをきちんと確認して、信頼できる業者に依頼すべきだし、
すでに大地アースをやってもらっている人は、当時のことを思い出して、
高周波ノイズの測定をしているどうかを問い合わせした方がいい。
一週間前の水曜日、ぴあ分室で行ったaudio wednesdayでは、ダイヤソウルのスピーカーシステムに、少し手を加えたことは、すでに書いている。
それによる音の変化がどうだったのかも触れている。
誰の耳にも、手を加える前よりも良くなったという印象を与えたわけだが、ここで考えていたのは、トリノフ・オーディオのことだった。
ぴあ分室の音はトリノフ・オーディオによって音響補正がかけられている。
そのための測定は、私が手を加える前の音である。
では、いまの状態でトリノフ・オーディオで測定したら補正結果は変ってくるのだろうか。
やってみないことには断言はできないものの、私の予想としては変らない、である。
トリノフ・オーディオの名前を出したが、トリノフ・オーディオだけのことではないはずだ。
同様の機能をもつ機器で行っても、私が手を加える前と後で、測定結果と補正に変化が出てくるとは、いまのところは思えない。
あくまでも、いまのところ、である。
五年後、十年後は、どうなのかはわからない。
そうなってくれれば、面白いことになりそうな気がする。