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ブラインドフォールドテストとオーディオ評論(その3)

ブラインドフォールドテストで思っていることがある。
ずっと以前から、ブラインドフォールドテストをやるならば、
こういうやり方をなぜしないのか──、そう思っていることがある。

ステレオサウンド 230号の特集で、
小型スピーカーシステムのブラインドフォールドテストを行っている。

いわゆるブラインドフォールドテストのやり方である。
私が考えているのは、一歩進んだブラインドフォールドテストである。

スピーカーシステムは、鳴らし手の技倆が音になってあらわれる。
だからこそ(その2)で、
ブラインドフォールドテストでは何を聴いているのかをはっきりさせないと、
そしてそのことを読者にはっきりと伝えなければならない、と書いた。

230号でのブラインドフォールドテストでは、スピーカーシステムを設置しているのは、
編集部の誰かである。おそらく基本的には一人であろう。

セッティングのための持ち運びは他の人も手伝うだろうが、
セッティングに関しては、一人の編集者がやっていることだろう。

それはそれでいいのだけれど、一歩進めるとしたいのは、
鳴らし手を一人にしないことだ。

三人くらいいたほうがおもしろくなると考えている。
試聴スピーカーが二十機種あれば、三人がすべてのスピーカーをセッティングして鳴らす。
だからブラインドフォールドテストに参加したオーディオ評論家は、
六十機種のスピーカーの音を聴いたのと同じことになる。

こういう面倒な、そしてしんどいブラインドフォールドテストは、
どこも誰も行っていないはずだ。

Date: 6月 8th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜を終えて(その2)

audio wednesdayの開始は19時。
開場は18時で、開始までの一時間も、音楽をかけているけれど、
最初の一曲として鳴らすのは、19時からの音楽だ。

今回はグレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲をかけた。
もちろんモノーラルしかかけられないので、1955年録音のほうである。
アリアと続く変奏曲をいくつかかけて、次の曲にうつる。

ジネット・ヌヴーとハンス・シュミット=イッセルシュテットによる
ブラームスのヴァイオリン協奏曲。ライヴ録音である。
第一楽章を最後までかけた。

この演奏は、いろんな盤で聴いている。
アナログディスクでは二枚、
CDでは三枚の、それぞれ異る盤で聴いている。

今回TIDALで聴けるアルバムは、CDでも持っていて聴いている。
ヌヴーのヴァイオリンが、これまで聴いてきたどれよりも表情豊かだったことに、
内心驚いていた。

すごい演奏だ、とは最初に聴いた時から感じていた。
そのすごさに少しばかり耳を奪われすぎていたのか、
ここまで表情豊かだったとは、正直気づかなかった。

だからといって、表情に乏しいヴァイオリニストだと思っていたわけではない。
むしろ逆であり、それだから、
今回、こんなにも(ここまで)表情豊かだったのか、と驚いた次第。

Date: 6月 7th, 2024
Cate: 電源

モバイルバッテリーという電源(その21)

6月5日のaudio wednesdayでは、(その20)で書いているとおり、
メリディアンのULTRA DACの電源は、
アンカーのモバイルバッテリー、PowerHouse 90から供給した。

正確に時間を計ったわけではないが、四時間ほどは大丈夫だった。
フルトヴェングラーのブラームスのときは、PowerHouse 90を使っている。

ULTRA DACのほかに、roonのNucleusにも使っている。
PowerHouse 90が二台あったからだ。

消費電力はNucleusのほうが大きいようである。
Nucleusに使ったPowerHouse 90は、本番が始まる四十分ほど前に、
いったん外して充電を行っている。
ULTRA DACで使っていたモノよりも早く、残量表示のLEDが減っていった。

PowerHouse 90は、どちらとも前日にフル充電している。
とはいえ、PowerHouse 90はどうもロットによって多少違いがあるように感じる。
なので、どちらの消費電力が大きいとか、はっきりしたところまではいえない。

もし三台揃っていたら、スイッチングハブにも使っていた。

とにかくPowerHouse 90でULTRA DACが四時間ほど使えるというのは、
十分実用になる、といえる。

PowerHouse 90ではなく、もっと大容量のバッテリー電源を使えば──、
とは私も思っているが、静かで持ち歩けて、というPowerHouse 90はなかなか魅力的だ。

実際に比較試聴してみないとなんともいえないのだが、
バッテリーの容量が大きくなり、それに伴いサイズも大きくなることは、
音質的にほんとうに有利に働くのだろうか。
そんな疑問もある。

実際のところ、どうなんだろうか。

Date: 6月 6th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜を終えて(その1)

昨晩は、audio wednesday 第五夜。
ウェスターン・エレクトリックの757Aをモノーラルで鳴らしたから、
曲もすべてモノーラル録音と言う制約つき。

スピーカーの757AとパワーアンプのマッキントッシュのMC275は、
まだ年代的に近い同士だが、
D/AコンバーターのメリディアンのULTRA DAC、
音源となるroonのNucleusと周辺機器はわりと新しい機器であり、
年代的には五十年ほどの開きがある。

むちゃくちゃな組合せと思われるかもしれないが、大事なのはそこから鳴ってくる音であり、
満足していたの私だけではなく、
今日、facebookに二人の方からコメントがあったが、満足されていた、とあった。

モノーラルで鳴らすことは、以前のaudio wednesdayでやったことがある。
その時よりも、今回のほうが楽しく充実していたのは、TIDALのおかげでもある。

次に鳴らしたい(聴きたい、かけたい)曲が浮んできたら、すぐにかけられる。
あのディスクをもってくればよかった……、というおもいはしなくてすむ。
リクエストにもある程度応えられる。

12月、もう一度、やろうと考えている。

Date: 6月 6th, 2024
Cate: audio wednesday, ディスク/ブック

二年ぶりに聴くBrahmus: Symphony No.1(Last Movement, Berlin 23.01.1945)

二年前の9月に、フルトヴェングラーのブラームスの交響曲第一番のことを書いた。

五味先生の「レコードと指揮者」からの引用をもう一度しておく。
     *
 もっとも、こういうことはあるのだ、ベルリンが日夜、空襲され、それでも人々は、生きるために欠くことのできぬ「力の源泉」としてフルトヴェングラーの音楽を切望していた時代──くわしくは一九四五年一月二十三日に、それは起った。カルラ・ヘッカーのその日を偲ぶ回想文を薗田宗人氏の名訳のままに引用してみる──
「フルトヴェングラーの幾多の演奏会の中でも、最後の演奏会くらい強烈に、恐ろしいほど強烈に、記憶に焼きついているものはない。それは一九四五年一月二十三日──かつての豪華劇場で、赤いビロードを敷きつめたアドミラル館で行なわれた。毎晩空襲があったので、演奏会は午後三時に始まった。始まってまもなく、モーツァルトの変ホ長調交響曲の第二楽章の最中、はっと息をのむようなことが起った。突如明りが消えたのである。ただ数個の非常ランプだけが、弱い青っぽい光を音楽家たちと静かに指揮しつづけるフルトヴェングラーの上に投げていた。音楽家たちは弾き続けた。二小節、四小節、六小節、そして響はしだいに抜けていった。ただ第一ヴァイオリンだけが、なお少し先まで弾けた。痛ましげに、先をさぐりながら、とうとう優しいヴァイオリンの旋律も絶え果てた。フルトヴェングラーは振り向いた。彼のまなざしは聴衆と沈黙したオーケストラの上を迷った。そしてゆっくりと指揮棒をおろした。戦争、この血なまぐさい現実が、今やはっきりと精神的なものを打ち負かしたのだ。団員がためらいながらステージを降りた。フルトヴェングラーが続いた。しばらくしてからやっと案内があって、不慮の停電が起りいつまで続くか不明とのことであった。ところが、この曖昧な見込みのない通知を聞いても、聴衆はただの一人も帰ろうとはしなかった。凍えながら人びとは、薄暗い廊下や、やりきれない陰気な中庭に立って、タバコを吸ったり、小声で話し合ったりしていた。舞台の裏では、団員たちが控えていた。彼らも、いつものようにはちりぢりにならず、奇妙な形の舞台道具のあいだに固まっていた。まるでこうしていっしょにいることが、彼らに何か安全さか保護か、あるいは少なくとも慰めを与えてくれるかのように。フルトヴェングラーは、毅然と彼らのあいだに立っていた。顔には深い憂慮が現われていた。これが最後の演奏会であることは、もうはっきりしていた。こんな事態の行きつく先は明瞭だった。もうこれ以上演奏会がないとすれば、いったいオーケストラはどうなるというのだ。」
 このあと一時間ほどで、待ちかねた演奏会は再開される。ふつう演奏が中断されると、その曲の最初からくりかえし始められるのがしきたりだが、フルトヴェングラーはプログラムの最後に予定されたブラームスの交響曲から始めた、それを誰ひとり不思議とは思わなかった。あのモーツァルトの「清らかな喜びに満ちて」優美な音楽は、もうこの都市では無縁のものになったから、とカルラ・ヘッカーは書きついでいるが、何と感動的な光景だろうか。おそらく百年に一度、かぎられた人だけが立会えた感動場面だったと思う。こればかりはレコードでは味わえぬものである。脱帽だ。
     *
この日のブラームスの交響曲第一番の最終楽章のみ録音が残っている。
CDで初めて聴いたのは、三十年以上前。

そうそう頻繁に聴く演奏ではない。
2022年にひさびさに聴いた時、二十年近く経っていた。

今回、昨晩のaudio wednesdayで、このフルトヴェングラーのブラームスをかけた。
ウェスターン・エレクトリックの757Aでかけた。
TIDALでメリディアンのULTRA DACを通して、アンプはマッキントッシュのMC275。

このラインナップでどういう音を想像されるか。
想像できないという人もいるだろうし、
757Aはそんな組合せで鳴らすスピーカーではない、という人がいてもいい。

人の想像力なんて、かぎられたものだ。
そんなことを実感した。

昨日は、まだ明るいうちから757Aを鳴らしていた。
いろんな曲をかけていた。
だから、このぐらいの音で鳴るであろう、という予測はついていた。
誰かが鳴らしているわけじゃない。
ほかならぬ自分で鳴らしているのだから、それが大きく外れることはないのだが、
このフルトヴェングラーのブラームスは大きく違った。

五味先生は
《何と感動的な光景だろうか。おそらく百年に一度、かぎられた人だけが立会えた感動場面だったと思う》
と書かれている。

そうだと私だって思っていた。
けれど昨晩の音は、《レコードでは味わえぬ》領域に一歩踏み出していた。

Date: 6月 5th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第六夜(ふたたびMeridian DSP3200)

今晩(6月5日)で、audio wednesdayは半分を終えた。
7月から後半が始まる。

7月こそ、第五夜で予定していた757Aレプリカをいくつかのことを試みて鳴らそうと考えていた。
けれど7月の第六夜は、
1月の序夜で鳴らしたメリディアンのDSP3200をもう一度鳴らすことにした。

序夜では少しばかりの準備不足もあったし、初めての空間ということも重なって、
結果としての音は満足できたものの、
私の中ではもっと鳴らせるはず、というおもいが残っていた。

ラインナップは序夜と同じになる。
メリディアンの218との組合せで鳴らす。

そして以前告知しているように、DSP3200にエラックの4PI PLUS.2を組み合わせる。

DSP3200のセッティングも序夜と基本的には同じになるが、
もっと左右に拡げて鳴らす。

Date: 6月 4th, 2024
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(ひさしぶりの3012-R Special・その2)

別項「ヴィンテージとなっていくモノ(マランツ Model 7)」の(その1)で、
クラシックスタンダードについて、少しだけ書いている。

山中先生が、ステレオサウンド 50号の特集で、
クラシックスタンダードを使われていた。

今回、SMEの3012-R Specialをひさしぶりにさわったことで、
戻っていく感覚を意識したわけだが、
こういう感覚を味わわせてくれるモノこそ、クラシックスタンダードなのかもしれない。

Date: 6月 4th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜(いよいよ明日)

Western Electric 757Aで聴くモノーラルだけの三時間。
明日(6月5日)のaudio wednesdayのテーマである。
5月1日の会に来られた方には、もう説明は不要だろう。
もう一度、ぜひ聴きたい──、
そう思う人がほとんどというくらいに最後に鳴らした757Aの音は素晴らしかった。

みすぼらしい外観の757A、しかも一基だけだからモノーラルでしか鳴らせない。
誰もが、「このスピーカー、鳴るの?」と思っていたことだろう。

私だって、たぶん鳴ってくれるはずだけど……、という不安も少しばかりあった。

最初にかけたのはカザルス・トリオによるハイドンのピアノ三重奏曲 第25番。
1927年の、この録音が、ひっそりと、実に品よく鳴ってくれた。
次にかけたのは、カザルスとゼルキンによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ 第一番(第一楽章)、
1953年の録音。これが実に活き活きと鳴ってくれた。二人の体温が伝わってきそうな感じでもあった。

どちらにも共通していえるのは、音楽の息づかいが濃く伝わってくることだ。

この日、757Aの音に接した人は、みな、もっと聴いていたいと思っていたはず。
私もそうだ。だから6月5日は、たっぷりと757Aを聴いてもらう。

Speaker System: Western Electric 757A
Power Amplifier: Accuphase A20V, McIntosh MC275
D/A Converter: Meridian ULTRA DAC

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

18時から音は鳴らしているけれど、
19時までの一時間は、質問、雑談の時間でもある。

音を鳴らし始めると、話す時間がほとんどなくなる。
とにかく聴いてもらいたいし、曲を途中で止めるのもできればやりたくないため、
曲の紹介を短めでやるくらいになってしまっている。

なので18時から19時までは、話のほうに少しはウェイトをおきたい。

会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。
大学生以下は無料。

Date: 6月 3rd, 2024
Cate: ナロウレンジ

ナロウレンジ考(その20)

黒田先生の「カザルス音楽祭の記録」(ステレオサウンド 24号)を思い出す。
     *
 端折ったいい方になるが、音楽にきくのは、結局のところ「人間」でしかないということを、こんなになまなましく感じさせるレコードもめずらしいのではないか。それはむろん、カザルスのひいているのがチェロという弦楽器だということもあるだろうが、スターンにしても、シゲティにしても、ヘスにしても、カザルスと演奏できるということに無類のよろこびを感じているにちがいなく、それはきいていてわかる、というよりそこで光るものに、ぼくは心をうばわれてしまった。
 集中度なんていういい方でいったら申しわけない、なんともいえぬほてりが、室内楽でもコンチェルトでも感じられて、それはカザルスの血の濃さを思わせる。どれもこれもアクセントが強く、くせがある演奏といえばいえなくもないだろうが、ぼくには不自然に感じられないし、音楽の流れはいささかもそこなわれていない。不注意にきいたらどうか知らないが、ここにおいては、耳をすますということがつまり、ブツブツとふっとうしながら流れる音楽の奔流に身をおどらせることであり、演奏技術に思いいたる前に、音楽をにぎりしめた実感をもてる。しかし、ひどく独善的ないい方をすれば、この演奏のすごさ、女の人にはわかりにくいんじゃないかと思ったりした。もし音楽においても男の感性の支配ということがあるとしたら、これはその裸形の提示といえよう。
     *
ウェスターン・エレクトリックの757Aの音を聴いてからというもの、
黒田先生の、この文章を思い出している。

《音楽にきくのは、結局のところ「人間」でしかないということを、こんなになまなましく感じさせる》、
そういう音を聴くと、ナロウレンジかワイドレンジかなんて、
どうでもいいことのように吹き飛んでいく。

けれど一方で、そんなふうに感じさせないナロウレンジの音もある。

Date: 6月 3rd, 2024
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(ひさしぶりの3012-R Special・その1)

ステレオサウンドを辞めてからSNEの3012-R Specialに触れる機会はまったくなかった。
なので、今回の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会では、
三十数年ぶりに3012-R Specialに触れたことになる。

あまりにもひさしぶりすぎるので、腕がなまっているかも──、
そんな心配も少しはあったけれど、いざ3012-R Specialに触れれば、
そんな不安は消えてしまっていた。

これも「戻っていく感覚」なのだと、おもっていた。

Date: 6月 2nd, 2024
Cate: ナロウレンジ

ナロウレンジ考(その19)

5月のaudio wednesdayでウェスターン・エレクトリックの757Aを聴いていて、
ふと100Fのことも思い出していた。

100Fのことは、(その3)と(その4)で書いている。

(その3)で書いたことを、引用しておく。

ステレオサウンドの取材で出合ったのがウェスターン・エレクトリックの100Fである。
裏板の銘板には、LOUD SPEAKER SET、とあるとおりアンプ内蔵の、いわゆるパワードスピーカーだ。

100Fは、電話交換手のモニター用としてつくられたもの、ときいている。
見た目は古めかしい。
最初見た時は、こんなものもウェスターン・エレクトリックか……と思ったぐらいだから、
正直、あなどっていた。

記憶に間違いがなければ、たしかBGMを鳴らすときに100Fを使われた。
だから音量は小さめ、電話交換手のモニター用だから、
人の声(会話)が明瞭に聞こえることを目的として開発されたものだろうから、ワイドレンジではない。
せいぜい上は4〜5kHzぐらいまでか。下は100Hzぐらいであろう。
内蔵アンプも、電源トランスを排除しコストを抑えた設計・構造。
それなのに、耳(というよりも意識)は、100Fの方を向いていた。

私がハタチぐらいのころ、100Fを聴いている。
四谷三丁目にあった喫茶茶会記にも100Fはあったし、鳴っていた。

100Fという型番からもわかるように、100Aから100Fまである。
スピーカーユニットは5インチで、AからEまではフィールド型で、
Fのみがアルニコ磁石になっている。

私が聴いたのは100Fのみ。
その100Fの音を、757Aを聴いていて思い出していた。

100Fはモノーラルでしか聴いていない。
これをステレオで鳴らしたら(聴いたら)と当時は思っていた。
そして、このままスケールアップした音は得られないのだろうか、とも。

757Aは、私にとって100Fの音をいろんな意味でスケールアップした音に聴こえた。

Date: 6月 1st, 2024
Cate: 会うこと・話すこと

店で買うと云うこと(その4)

今月下旬に引っ越すことになった。
いくつか理由があってのことだが、とにかく部屋探しは十一年ぶり。
そのころとはこんなに違ったと感じていたのは、iPhoneでの検索だった。

なんとなく歩きながら、いい感じの建物だな、と思って、
建物の名前を検索すると、すぐに情報が得られる。
間取り、家賃、空き部屋があるのかどうかなどがすぐにわかる。

そうやって探していた。
でも、決めた部屋は、駅前の不動産屋での案内を見ての物件だった。

この物件もインターネットで検索してくると表示される。
けれど、インターネットの検索結果では空き部屋ナシとなっている。

空き部屋はあって、そこを契約してきたわけで、
インターネットだけに頼っていては、他の物件を選んでいたであろう。

もちろん、今回私が契約した物件よりも、もっといいところがある可能性はある。
それでも実際に不動産屋に行って得られる情報もある、ということだ。

インターネットの便利さ、ありがたさを感じながらも、
いまのところ、それだけでは不十分なところもある、そのことを今回も実感していた。

Date: 5月 31st, 2024
Cate: SME, アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(SME 3012-R Special・その2)

SMEのトーンアームなら、
3012-R Specialよりもひとつ前のモデル、
3012 Series IIのほうが優秀という声があるのは知っている。

3012-R Specialは妥協のトーンアームだという人がいるのも知っている。

私は3012 Series IIは使ったことがない。
3012-R Specialよりも優秀なのかもしれない──、と思いつつも、
トーンアームとしての完成度の高さでみたら、やはり3012-R Specialだと私は思っている。

特にユニバーサルトーンアームとしての完成度は、3012-R Specialが上だと言い切る。

SMEのトーンアームとしての特徴であるナイフエッジ。
構造的にもラテラルバランスがきちんととれていて、その性能(感度)を発揮する。

3012-R Specialはラテラルバランスがとりやすい。
カートリッジをつけ替えて、ゼロバランスをとり、ラテラルバランスをとり、針圧をかける。
それからトーンアームの高さやインサイドフォースキャンセラーを調整する。

これらを手早くきちんとやれるのか。
そういうことを含めてのバランスのよさということで、3012-R Specialを私はとるし、
だからこそユニバーサルトーンアームとして唯一の存在とも思っている。

しかも私の目には、3012 Series IIよりも3012-R Specialが美しくみえる。
優雅ともいいたい。

今回ガラードの301との組合せをながめていて、
プレーヤーキャビネットが光をどこまでも吸収するような黒に仕上げられていたら──、
そんなことを想像していた。

目に映るのは、301と3012-R Specialとカートリッジ、そしてレコードのみ。

Date: 5月 30th, 2024
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その17)

5月26日の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会には、
約九十人が集まった。

これだけの人が入ってくると、音はどう変化するのか。
一人、二人、三人……五人くらいまでの音の変化はなんどか体験している。
けれど九十人となると、想像しようとしてもなかなか難しい。

オイロダインが鳴るようになったのが六日前の月曜日。
火曜日と水曜日の音は聴いている。といっても時間にするとそれほど長かったわけではない。

それで当日。
オイロダインの音を一人でも聴いている。
二人、三人……と人が増えていった音を聴きながら、
九十人のときの音は破綻するのか、それとも劇場用スピーカーなのだから、
ものともしない音を響かせてくれるのか。

後者の予感はあったし、そう期待したかった。

当日、最初にかけたフィッシャー・ディスカウとムーアによるシューベルトの「音楽に寄せて」。
ボリュウムの位置は、少しだけ上げていたけれど、
特に不都合は感じさせない鳴り方だった。

こういうところが劇場用スピーカーの実力なのか。
その15)、(その16)で取り上げている「フロリダ」というダンスホールでの、
ウェスターン・エレクトリックの話も、そうだろう。

「フロリダ」にどれだけの人が集まっていたのかは知らないが、
ウェスターン・エレクトリックのシステムを揃えるに、
そして毎月の使用料がそうとうに高価だったことはわかる。

つまりそれだけのお金をウェスターン・エレクトリックに払っても利益があるほどに、
人が「フロリダ」に集まっていたわけで、
このことは、それだけの人が集まってもいい音が鳴っていたからこそのはずだ。

Date: 5月 29th, 2024
Cate: SME, アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(SME 3012-R Special・その1)

5月26日の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会でのアナログプレーヤーは、
別項で書いているようにガラードの301にトーンアームはSMEの3012-R Special、
カートリッジはEMTのTSD15をアダプターを介して取りつけた。

昇圧トランス、ヘッドアンプは使わずに、
マランツのModel 7のPhono端子に直接挿している。
そのためシステム全体では逆相になっている。

このことも別項で書いているが、
東京に来て最初に買ったオーディオ機器が、3012-R Specialである。
当時、限定ということだったので、とにかく、このトーンアームだけは手に入れなければ──、
そのおもいだけで手にしたモノだ。

ステレオサウンドの試聴室でも、3012-R Proがリファレンストーンアームだった。

だからというわけではないが、今回、ひさしぶりに3012-R Specialに触れて、
やっぱり使いやすいトーンアームだな、よく出来たトーンアームだな、
3012-R Specialこそがユニバーサルトーンアームだな、
そんなことを思っていた。

それにレコードをかけている時も、盤面の上に弧を描いていく3012-R Specialは、
やっぱり美しい、とも思っていた。