音の名前、音の命名
さっき思いついたこと。
名刀といわれる刀には、名前がある。
ならば音に名前があってもいいじゃないか。
命名することで、何か変化が生まれるのかもしれない。
さっき思いついたこと。
名刀といわれる刀には、名前がある。
ならば音に名前があってもいいじゃないか。
命名することで、何か変化が生まれるのかもしれない。
8月のaudio wednesdayでのエラックの置き場所は限られていた。
ウェスターン・エレクトリックな594Aのホーンとして使われているJBLの2395、その音響レンズ中央の窪みのところに置いた。
594A+2395をどかしてしまえば、エラックの位置の自由度はぐんと増すけれど、それはやりたくない。
そうなると、そこしかない。
しかもエラックは、正面を向けたわけではなく、90度ずらしての配置。
水平方向無指向性だから、いいといえばいいけれど、こんないいかげんな置き方なのか、と思う人もいるだろうが、
この位置で、この向きでしか置けない。
肝心なのは音であって、どうにもうまく鳴らないなのであれば、なんとかするつもりはあったが、
鳴らしてみると、昨年4月の会でのアポジーの時のように、大きな問題は感じられない。
だからといってエラックの場所はどこでもいいわけではなく、置き場所を選ぶのも事実だ。
このことは菅野先生が導入された時のことを、ステレオサウンドに書かれている。
今回は2395がエラックの後ろにあるということは、エラックの後方の音は、
2395のスラントプレートの音響レンズによって拡散されているはず。
これによる影響、音の変化を確かめるにはホーンを移動するしかない。
このことはいつか検証してみたい。
野口晴哉氏のオイロダインを鳴るようにしたのは、2024年5月。
オイロダインの裏側にはカバーがかけられていた。このカバーを外すと、少なくとも五十年以上、
野口晴哉氏が所有されてからだと、おそらく六十年くらいか、
それだけの月日が経っているとは思えぬほどのコンディションだということが、
見ただけで伝わってきた。
これは、今回、デッカのリボン型トゥイーターを鳴らすため、その結線のため、
オイロダインの裏側に回って、改めて実感していた。
オイロダインもデッカも、スピーカー端子はネジ式である。
このネジの状態が、まるで違う。
デッカの方は、長い年月が経っていていることを感じさせる。
そうだよなぁ、五十年以上経っているのだからと思いながら、
ネジを外して、端子まわりをきれいにしていった後で、オイロダインに目を向けると、
造りが違うとは、こういうことをいうのだな、と感心するほどに、輝きを失っていない。
ネジひとつとっても、メッキ処理が大きく違うのか、と思える。
劇場で、スクリーンの後ろという、決してスピーカーにとって、いい環境とはいえないところで、
連続して何時間も音を鳴らしていくスピーカーとしての造りが、そこにはある。
デッカは、そういう使われ方を想定したスピーカーユニットではない。
あくまで家庭用のスピーカーであって、お金を稼ぐためのスピーカーと同次元で比較するのが間違っているのはわかっている。
それでも野口晴哉氏のリスニングルームで、この二つのスピーカーが近接して取り付けられていて、それを間近で接すれば、どうしても比較してしまう。
オイロダインは、くたびれない。そう感じていた。
管球王国で、私が毎号楽しみにしていたのは、vol.8から始まった「管球アンプ変遷史」だ。
井上卓也、上杉佳郎、石井伸一郎、三氏による、この記事は面白かった。
幸いなことに、「管球アンプ変遷史」は別冊「往年の真空管アンプ大研究」に収められていて、いまも読むことができる。
この連載記事の良さは、マランツのModel 1を取り上げているvol.11の中で語られている。
*
井上 機能も豊富に揃え、何にでも対応できるようになっていますしね。やはりマランツの一号機は凄いプリアンプだったんですね。
実は、僕は当時のマランツのアンプの中で、#1だけはあまり面白味のないアンプだと思っていたんです。けれども、今回実際に#1のシャーシ内部を見、回路図を丹念に調べてみて、いろいろと細かいことをやっているのがわかって、ずいぶん印象が変わりましたよ。#1が、こんなに面白いプリアンプだとは思っていなかった。
石井 このあたりは、一人で見ていてもなかなか気づかないことが多いんですね。今回はこうして3人でチェックしたことで、いろいろと新しい発見がありました。
*
この姿勢は、「管球アンプ変遷史」が終了しても継続されていれば、管球王国は充実した本であり続けたはず。
でも、実際はそうではなかった。
いまはどうなのかしらないが、私がいたころのステレオサウンドの封筒には、
下の方に青い文字でStereo Soundとあって、
その下には、発刊している雑誌名が並んでいた。
おそらく、いまもそうだろう思う。
こんなことを書いているのは、雑誌を休刊するということは、この封筒も作り直すことになる。
休刊した雑誌名が入っていても何とも思わないのであれば、そのまま使って無くなったら、休刊した雑誌名を省いた封筒を作ればいいとなるわけだが、
誌面づくりにこだわっていることを謳っている会社であれば、そのままというわけにはいかない。
かといって、休刊した雑誌名の上にシールを貼って隠すのも……、である。
社名、雑誌名入りの封筒を、各サイズ作り直すのにかかる費用はわからないけれど、
こういうところをケチるわけにはいかない、それぞれの出版社の顔でもあるだから。
管球王国が、10月発売のvol.118で休刊となる。
二年前のvol.110から、kindle unlimitedで管球王国が読めるようになった。
それから編集長も交代している。
てこ入れか、と思っていた。
管球王国の発売を楽しみにしていた人もいようが、私はよく続けているな、と感じるようになっていた。
創刊当時の管球王国は、面白かった。発売を楽しみにしていた。
それも数年で終ってしまった。あとは惰性で続いていると感じていたし、
取り扱っている書店は、ここ十年ほどで減ってきている。
いつ休刊となっても不思議ではないと思っていたので、上に書いたように、よく続けているな、と感じていた。
個人的に寂しさはないが、是枝重治氏のアンプ製作記事が読めなくなるのか、と残念に感じるところはある。
ラジオ技術も、実質休刊のようなもの。
真空管アンプの製作記事を載せるのは、無線と実験だけになってしまう。
是枝重治氏が無線と実験に書かれるとは思えない。
(その2)で触れている7月26日の、少人数での会で鳴らしたシャルラン レコードの響き方に、
聴いていた人たちの反応を感じて、一度、ワンポイント録音を集めてのaudio wednesdayをやりたい、と思っていた。
シャルラン レコード以外にも、ワンポイント録音はある。(その3)でテラークや「カンターテ・ドミノ」、それからエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」を挙げたが、他にもある。
モノーラル時代のワンポイント録音、
ステレオ時代になってからでは、アナログのワンポイント録音、デジタルのワンポイント録音がある。
これらを聴いていくだけでも楽しくなるだろうが、私がぜひ聴いてみたいのは、
BOSEの901は、ワンポイント録音をどう表現するかだ。
ステレオサウンドで働いていたおかげで901は、聴く機会が何度もあったが、
ワンポイント録音を聴いた記憶はない。
少なくともワンポイント録音を集めて聴いたことはない。
901でワンポイント録音を聴くという記事を、オーディオ雑誌で見た記憶もない。
昨年12月のaudio wednesdayで鳴らした901は、まだ野口晴哉氏のリスニングルームに置いてある。
「私、音楽好きです」
誰かに、これを言うのは簡単だ。誰でもできる。
音楽が好きな人なんだなぁ、と誰かから思われることも、そう難しいことではない。
音楽好きだから、あんなに音楽に詳しいんだなぁ、と誰かから思われることも、
多少の努力はいるものの、ものすごく難しいことではない。
音楽を毎日聴く人は、音楽好きな人なのか。
音楽を毎日聴かない人は、音楽好きではない人なのか。
音楽が好きとは、どういうことなのか。なんなのか。
音楽好きと、自分で思い込むために、やっていないだろうか。
「好き」に些かの疑問も抱かずに、好きといえるのか。
オーディオをながいことやってきて、ここに来て感じているのが、このことだ。
一週間前のaudio wednesdayでは、アナログディスクのみをかけた。
リクエスト以外のディスクは、すべて野口晴哉氏のコレクションから選んでいる。
輸入盤を中心に選んだ。
その中の一枚が、ヨッフムとシュナイダーハンによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だった。
野口晴哉氏のコレクションを眺めながら、この盤、聴いたことがないことに気づいて選んだ一枚。
協奏曲をそれほど好んで聴かない。
もちろんまったく聴かないわけではなくて、好きな演奏家の録音ならば聴くけれど、
積極的にいろんな演奏家の録音を聴いているわけではない。
そんな協奏曲への接し方をしているものだから、この盤(ヨッフムとシュナイダーハン)も聴いていなかった。
聴いていなかったから、その存在を知らなかったわけではない。
知っていたけれど、聴いていなかった。
初めて聴いて、ヨッフムはやはりいい指揮者だな、と感じていた。
ヨッフムは、昔から聴いている。
それでもヨッフムの良さがわかるようになったきたのは、ある程度、齢をとってからだった。
昔(21のころ)、伊藤先生の仕事場で、モーツァルトを聴きたいと言ったところ、
伊藤先生がかけてくれたのは、コリン・デイヴィスの盤だった。
伊藤先生の仕事場に、モーツァルトの交響曲のレコードがどれだけあったのか、
どういう盤があったのかは、これ以外まったく知らない。
正直、コリン・デイヴィス? と思っていた。
でも、いまならわかる。
同じように、いまヨッフムの良さを噛みしめている。
いま書店に並んでいるステレオサウンド 236号の特集は、
「オーディオの新時代の担い手たち」で、リスニングルーム訪問記事である。
ステレオサウンドの次の号の特集は──、という話は、時々耳に入ってくることがある。
今号の特集は、若いオーディオマニアを取り上げる、ぐらいの話は耳にしていた。
若いオーディオマニアのリスニングルームの訪問記事。
まず思ったのは、文字通りの若いオーディオマニアの登場だった。
オーディオ店から紹介してもらったり、個人でウェブサイト、ブログをやっている人に声をかけたりすれば、記事はできあがるが、
それでは広告に直接的に結びつかない、ともすぐに思った。
広告のことを考えて、このテーマでやるならば、
各メーカー、輸入元、オーディオ店で働いている若い人を取り上げるのだろうな──、と思った。
実際ほぼその通りで、輸入元の若い人がいないのは、
決していないわけではないだろうに、なぜだろう、と思うところはある。
今号の特集は、悪くないと思っている。こんな書き方をするのは、
今号だけで終ってしまうのであれば、悪くない特集止まりだが、
このテーマは拡げて連載にしていけると思うから、そうなってくれれば、いい企画となる。
スピーカーシステムの最高域を補うトゥイーターのことを、一般的にスーパートゥイーターと呼ぶが、
野口晴哉氏のオイロダインにデッカのリボン型トゥイーターは、
その使い方(結線)からして、スーパーではなくサブトゥイーターという認識の方がいい。
そんなトゥイーターの使い方で、いったいどれだけ音が変るのか。
8月の会で、ウェストレックス・ロンドンのシステムに、
エラックのリボン型トゥイーターを足した時ほどの誰の耳にもわかりやすい変化ではないが、
明らかに音は変化している。
今回は、とにかくデッカを鳴らすことだけを優先して、
カットオフ周波数の細かな設定は一切やっていない。
なんとなく、このくらいの周波数でカットオフしよう、
コンデンサーの値は、このくらいになるから、近い値のコンデンサーを買ってきただけだ。
まず音を鳴らす。そしてしばらく聴く。調整はそれからでいい。鳴らさないことには、何も始まらない。
私の耳には、何が大きく違って聴こえたかというと、
音楽のタメ(演奏のタメ、歌い方のタメ)が、よく出るようになったと感じた。
その分、音楽がより濃厚に感じられる。
そしてこの「タメ」が、最新のオーディオが鳴らすのと、
往年の高能率スピーカーが鳴らすのとでは、大きく違っているところとも感じる。
それは何もオーディオの世界だけではなく、演奏家もそうだと思っているし、感じている。
シーメンスのオイロダインの最低域と最高域を、
エレクトロボイスの30Wとデッカのリボン型トゥイーターで補う。
これを聞いて、マークレビンソンのHQDシステムを思い出す人もいれば、
ステレオサウンド 38号を読んだことのある人ならば、上杉先生のシステムを思い出すはずだ。
HQDシステムは、QUADのESLを中心に、最低域をハートレーの224HS、最高域をデッカのリボン型(ホーンは外されている)で補っている。
しかもESLはダブルスタックという、かなり大がかりな構成。
上杉先生のシステムはオイロダインを中心に、最低域はエレクトロボイスの30W(しかもダブルウーファー)、トゥイーターはテクニクスのホーン型。
こちらも相当に大がかりな構成である。
野口晴哉氏が、30Wをどう使おうとされていたのか。いまとなっても、誰も知らないしわからない。
オイロダインにデッカのリボン型トゥイーターだから、ここに30Wだろう、と私が勝手に推測したいるだけだ。
仮にそうだったとしよう。それでもHQDシステムや上杉先生のシステムとは、違うといえば違う。
オイロダインは出力音圧レベル104dBという高能率型。
デッカのリボン型トゥイーターは公表されていないが、なんとなくではあるが、90dB前後だろう。
10dBほどの違いがあり、こういう場合、本来ならばデッカに専用アンプを持ってきて、マルチアンプシステムになる。
けれど既に書いているようにJBLのN8000を介してデッカは接続されているから、
デッカの受持帯域の音圧レベルは、オイロダインよりも低い。
野口晴哉氏が、いくつものスペアを所有されていて、
今回の会で鳴らしたデッカのリボン型トゥイーターもそうだ。
オイロダインの横で鳴っているペアの他に、あと四本ある。
これを眺めていると、オイロダインには出されていたのに、ウェストレックス・ロンドンの方には──、という疑問がわく。
なぜオイロダインにだけデッカなのか、
ウェストレックス・ロンドンにも予定されていたのか。
野口晴哉氏のスピーカーは、劇場用スピーカーの流れを汲むモノが多い。
というかほとんどがそうだ。
そうでないのはQUADとスタックスのコンデンサー型くらい。
オーディオ雑誌の記事でしか知らない人は、野口晴哉氏はワイドレンジ指向ではない、と思っていても仕方ない。
けれどデッカのリボン型トゥイーターがあるし、JBLの075、2405もある。
実はこれだけでなく、屋根裏にはエレクトロボイスの30Wが二本ある。
言うまでもなく30Wは、その型番からわかるように30インチ(76cm)口径のウーファーだ。
この30Wを、どう使われるつもりだったのか。
たぶん、ここに取り付けられるはずだったのでは──、と思うところはある。
そこだとして、30Wは、どのスピーカーとの組合せとなったのか。
ヴァイタヴォックスのCN191のスピーカーの位置からして違う。
594Aのシステムか、オイロダインか、ウェストレックス・ロンドンなのか。
可能性が高いのは、オイロダインなのではないだろうか。
今月のaudio wednesdayも暑かった。先月ほどではなかったけれど、暑さは残っていた。
来月はもう10月だから、さすがに暑いということはないはず。涼しいはず。
だからワーグナーだけの会にする予定だ。
シーメンスのオイロダインで、最初から最後までワーグナーだけをかける。
人によっては退屈な時間となるし、苦痛に近くなるかもしれず、辛抱の三時間となるだろう。
ワーグナーは、最初から面白おかしく、楽しく聴ける音楽をつくっていない。
それでも聴き続けることで、美しい旋律に心奪われることが起こる。
そんなワーグナーの音楽を、終始退屈な音楽にしてしまうスピーカー(音)もある。
ゆえにオイロダインで、ワーグナーを遠ざけてきた人に聴いてもらいたいだけでなく、ワーグナーの音楽をわかっている(つもり)の人も、含めて、だ。
昨晩(9月3日)のaudio wednesdayは、シーメンスのオイロダインを鳴らした。
野口晴哉氏のリスニングルームには、ウェスターン・エレクトリックの594Aを中心としたシステムの他に、
今回のオイロダイン、ウェストレックス・ロンドンの2080Fと2090Gのシステム、
ヴァイタヴォックスのCN191、ウェスターン・エレクトリックの757A(モノーラル)、そのレプリカがある。
いまは他のところに移動されているが、QUADのESLの、昔のリスニングルームの写真を見ると、置いてあったのがわかる。
スタックスのコンデンサー型スピーカーとイヤースピーカー(ヘッドフォン)もある。
野口晴哉氏にとって、メインのスピーカーは、どれだったのか。おそらく594Aのシステムなのだろうが、
594Aを手に入れられたのは、亡くなられた年の1月だから、
試行錯誤の途中だったのかもしれない。
野口晴哉氏のリスニングルームの裏側、天井裏は倉庫になっている。
そこには、これまで使ってこられたオーディオ機器が置かれているだけでなく、
スピーカーユニットのスペアが、けっこうな数、保管されている。
箱に収まっているモノ(しかも箱は中身と関係なかったりする)も多数あり、
全てを確認しているわけではないが、驚くのはオイロダインだ。
オイロダイン本体が、裏に六台ある。
壁に取り付けられて鳴っているオイロダインを含めて八台、所有されていたわけだ。
音響レンズも元箱に入ったまま保管されている。
これらを見つけた時、昂奮した。
スケールが違いすぎる。
それだけでなく、野口晴哉氏は、オイロダインが一番好きだったのかもしれないと思っていた。