Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 7月 10th, 2016
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10・その13)

その4)でSL1200も標準原器だと書いた。
けれど、SP10他、テクニクスの標準原器として開発されたモデルとは、
標準原器として意味合いが違う。

SL1200はあくまでもディスクジョッキーにとっての標準原器であり、
標準原器として開発されたモノではなく、
ディスクジョッキーによって広く使われることによって標準原器となっていったモノだから、
テクニクスがSL1200を復活させるというニュースを聞いたとき、がっかりしたものだった。

昨年の音展では、テクニクスのダイレクトドライヴのプロトタイプが展示されていた。
アクリルのケースの中で回転していた。
それを見て、テクニクスはSP10に代るターンテーブルの標準原器を開発しようとしている、
そういう期待を勝手にもってしまった。

けれど実際に製品となって登場したのはSL1200である。
このニュースを聞いて、テクニクスの復活は本ものだとか、
さすがテクニクス、とか、そんなふうに喜んだ人がいる反面、
私のように、テクニクスに標準原器を求めてしまう者は、がっかりしていたはずだ。

テクニクスは名器をつくれるメーカーとは私は思っていない。
SL1200を名器と捉えている人もいるようだが、そうは思っていない。
最近では、なんでもかんでもすぐに「これは名器」という人が増えすぎている。

テクニクスは、そのフラッグシップモデルにおいて標準原器といえるモデルをつくれるメーカーである。
そう考えると、テクニクスというブランド名がぴったりくる。

だが新しいテクニクスは、以前のテクニクスとはそこがはっきりと違っている。
少なくともいまのところは。

テクニクス・ブランドの製品が充実してくれば、それでテクニクスは復活した、といえるのだろうか。
簡単に「これは名器」といってしまうような人であれば、
テクニクスは復活した、と捉えるだろうが、
以前のテクニクスを知り、テクニクスのフラッグシップモデルを知る者にとっては、
いまのテクニクスは、新生テクニクスかもしれないが、
テクニクスの復活とは思いたくとも思えない──のが、本音ではないだろうか。

Date: 7月 10th, 2016
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10・その12)

名器ではなく標準原器を目指していたとしても、
アナログプレーヤー関連の製品においては、
ターンテーブルとカートリッジとでは少し違ってくる面がある。

テクニクスのEPC100Cは、MM型カートリッジの標準原器といえるモデル。
SP10はターンテーブルの標準原器といえる。

カートリッジは標準原器として存在していても、
その性能を提示するには、カートリッジ単体ではどうにもならない。
トーンアームが必要であり、ターンテーブルも必要とする。
もちろんアナログディスク(音楽が収録されたもの、測定用)を必要とする。

アナログプレーヤー一式が揃わないと、標準原器としての性能は提示できない。
一方ターンテーブルはといえば、
トーンアームもカートリッジがなければどうにもならないモノでもない。

粛々とターンテーブルプラッターが回転していれば、それである程度は提示できる。
SP10の場合であれば、キャビネット取り付けることなく水平な台の上に置いて、
回転させていればいい、といえる。
ターンテーブルプラッターに手を触れたりスタートボタンを操作することができれば、
単体で提示できる性能は増える。

測定には測定用レコード、カートリッジ、トーンアームなど一式が必要となる項目もあるが、
ターンテーブル単体でも測定できる項目もある。

ターンテーブルは単体で動作(回転)することのできる機器である。
アンプは電源を入れただけでは動作しているとはいえない。
やはり入力信号を必要とする。

スピーカーもそうだ。単体でどうにもならない。
入力信号があってはじめて振動板が動き、動作している状態といえる。
しかもターンテーブルは、プレーヤーシステムを構成する一部(パーツ)にも関わらず、
単体で動作できる。

スピーカーシステムを構成する一部(ユニット、エンクロージュア、ホーンなど)で、
単体で動作できるものはない。

こういうターンテーブルならではのある種の特異性が、
SP10のデザインを生んだとすれば、
テクニクスがどんなにあのデザインを酷評されようと細部の変更を除き、
まったくといっていいほど変更しなかった理由がはっきりしてくる。

Date: 7月 4th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その12)

これまでにも何度となく聴感上のS/N比について書いてきた。
これからも何度となく書いていくと思う。
そのくらい聴感上のS/N比は重要なことである。

聴感上のS/N比というくらいだから、物理的なS/N比がある。
測定データとしてのS/N比である。

LNP2のインプットアンプのゲインはNFBによって切り替えられている。
ということはゲインを0dBにした状態で、NFB量は最大になる。
20dBと0dBとでは、NFB量は20dB違うわけだ。

NFBをかけることでS/N比も改善される。
ならばインプットアンプの物理的なS/N比は0dBが、もっとも良くなる、といえる。

さらにアンプ全体のS/N比はレベルダイアグラムも関係してくる。
インプットアンプのゲインを高くするということは、
このアンプの手前にあるポテンショメーター(INPUT LEVEL)を、その分絞ることになる。

つまりインプットアンプに入力される信号レベルは低くなり、その分S/N比的には不利になる。
ノイズ量が同じならば信号レベルが高い方がS/N比は高くなるのだから。

インプットアンプのゲインを0dBにしたほうが、物理的なS/N比に関しては有利である。
測定してみれば、違いは出てくるはずである。
頭でっかちな聴き手であれば、ゲイン0dBで使う方が、S/N比が高いからいいに決っている──、
となるのかもしれない。

LNPはLow Noise Pre-amplifierを意味しているのだから、
それをインプットアンプのゲインを高くして、ポテンショメーターでゲイン分だけ絞るような使い方は、
本来的な使い方ではない、という人がいるかもしれない。

けれどLow Noise Pre-amplifierだから、こういう使い方ができるともいえる。
つまり聴感上のS/N比をよくする使い方(ゲイン設定とレベル設定)ができる。

Date: 7月 3rd, 2016
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(silver version・その4)

しなかった後悔は、あとひとつある。
瀬川先生のLNP2のシリアルナンバーを記憶しなかったことだ。

いまだったら即シリアルナンバーを憶えるのに、なぜかあのときはしなかった。
数ヵ月はステレオサウンドの倉庫にあったのだから、確認する機会はいつもあったのに。

もうあえない、と思っていたからなのだろうか。
よくわからないけれど、後悔している。
LNP2だけではない、スチューダーのA68のシリアルナンバーも憶えておくべきだった。

いまになってひどく後悔している。
シルバーパネルのLNP2の話を読んで、
もしかするともう一度あえるかもしれない──、そう思いはじめているからだ。

それともシリアルナンバーなど記憶していなくとも、
あのLNP2にであえれば、直感がささやいてくれるのを期待したい。

Date: 7月 3rd, 2016
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(silver version・その3)

30年以上前のあの時、もし「欲しい」と意思表示していたとしても、
瀬川先生のLNP2を自分のモノとする可能性は、きわめてゼロに近かった。

ならば意思表示してもしなくても同じだ、とは考えていない。
意思表示をしなければ、当り前すぎる話だが、可能性はゼロのままだ。
まったくないわけだ。

けれど強く意思表示をすれば、ほんのわずかは変ってくる。
それでも遠いものは遠いことには変りはないけれども。

いまになっても、意思表示しておけば……、と後悔している。

三年近く前に「EMT 930stのこと(購入を決めたきっかけ)」を書いた。
衝動買いといえる買い方だった。
いまになって思うのは、
瀬川先生のLNP2に意思表示ができなかったことの後悔からだったのかもしれない、ということ。

若いときは、たいていはふところに余裕がない。
そんなときに、私にとってのLNP2にあたるモノと出合うかもしれない。

お金がないと、欲しい、ともいえない。
その気持はよくわかる。私がそうだったからだ。
意思表示したい気持さえ抑え込んでしまう。

でも、それだけは止した方がいい。
可能性はほとんど変らなくても、「欲しい」という意思表示だけはしたほうがいい。
たとえ笑われたとしてもだ。

Date: 7月 3rd, 2016
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(silver version・その2)

マークレビンソンのLNP2が製造中止になって、もう三十年以上が経つ。
今回のシルバーパネルのLNP2はRFエンタープライゼス扱いの時期のモノだから、
さらに前のモノということになる。

そういうアンプが、どこかからひょっこりと現れる。
それまで噂でしかなかったモノの所在がはっきりとなる。

時間とともに記憶は曖昧になるものだ。
けれど、こういうモノが突如として現れることで、鮮明なものに書き換えられていく。

LNP2にはいくつかの特別なLNP2がある。
シリアルナンバー1001のLNP2、シルバーパネルのLNP2の他に、
私には特別なLNP2が、もう一台ある。

瀬川先生が愛用されていたLNP2である。
私がステレオサウンドで働き始めたころ、
試聴室隣の倉庫の棚にLNP2があった。

ステレオサウンド試聴室でリファレンス機器として使っていたLNP2の他に、
もう一台、特別なLNP2があった。
瀬川先生の遺品のLNP2である。

しばらくそこにあった。
経済的余裕があれば、どうしても手に入れたかったLNP2である。
でも、当時まだ10代だった私には、どうやっても手が届かないモノであり、
欲しい、と意思表示すらできなかった。

あのときスチューダーのパワーアンプA68もあった。
KEFのLS5/1Aもあった。

所在がわかったのはLS5/1Aのみである。
LNP2とA68は、いまも音を鳴らし続けているのだろうか。

Date: 7月 3rd, 2016
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(silver version・その1)

マークレビンソンのLNP2に深い関心をもってきた人ならば、
シルバーパネルのLNP2があることは、どこかで聞いていることだろう。

そのことは知っていた。
以前、なにかの雑誌に載っていた、ということも聞いていた。
残念ながら、その雑誌を私は見ていなかった。

でも日本にシルバーパネルのLNP2があることは確かだった。
シルバーパネルのLNP2のことは、LNP2好きが集まれば、話題にのぼることもある。
とはいえ、ほとんど情報がないだけに、あったらしいよね、ぐらいで終ってしまっていた。

あのLNP2はどこに行ってしまったのか。所在はわからなかった。
けれど、先日、ある方のウェブサイトにシルバーパネルのLNP2の写真が出ていた。
雑誌からコピーではなく、新しく撮られた写真が載っていた。

以前はよく個人のウェブサイトを見ていた。
でも十年ほど前から、あまり読まなくなってきた。
定期的にアクセスするオーディオの個人サイトはほとんどない、といえる。

その数少ないウェブサイトで、シルバーパネルのLNP2が突如として現れた。
写真を見て、そうか、ツマミは黒なのか、と思った。

GASのコントロールアンプThaedraのホワイトパネルのような感じだろうか、と、
シルバーパネルのLNP2の存在を知ったとき、そうイメージしていた。
ツマミが黒なのはそのとおりだったが、パネルの仕上げは写真を見る限り、
白ではなくあきらかにシルバーといえる。

ホワイトパネルのThaedraのことを、パンダThaedraと勝手に呼んでいるけれど、
シルバーパネルのLNP2は、パンダLNP2とは呼べない雰囲気がある。
ここがLNP2とThaedraというコントロールアンプの性格の違いでもあるのだが。

リンク先にはシルバーパネルのLNP2の詳細はあまり書かれていない。
シルバーパネルということで想像してしまうのは、やはり同じシルバーパネルのML6だ。
もしかするとシルバーパネルのLNP2もML6同様、銀線を内部配線に使っているのだろうか。

でもツマミが黒だから(ML6のツマミは黒ではない)、銀線ではないのだろうか。
バッファーアンプは搭載されているのだろうか、
ツマミが黒ではなく通常のLNP2と同じ仕上げのモノがついていたら、どんな感じだったのか、
そんなことを想像していた。

これらの想像は写真を見てしばらくしてからのものであり、
シルバーパネルのLNP2を見て、最初に感じたのは、別のことだった。

「ステレオのすべて ’73」に載っていたRA1501のことが、最初に浮んでいた。
RA1501とは伊藤先生製作のコントロールアンプである。
フロントパネル中央にVUメーターがあり、ツマミは左右対称に配置されている。

いわばLNP2と基本レイアウトは同じである。
RA1501はほとんどがブラックパネルである。
けれど「ステレオのすべて ’73」に載っているRA1501は、そうではない。
不鮮明な写真なのだが、そこで受けた印象とシルバーパネルのLNP2の印象が重なってきた。

伊藤先生とマーク・レヴィンソン。
ふたりの違いは大きい。国の違い、世代の違い……。
ふたりを一緒にするな、といわれそうだし、そうだと思うところは私の中にはあるけれど、
シルバーパネルのLNP2を見て、それでもふたりが重なってくる感じが、いまもしている。

Date: 6月 18th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その11)

アクースタットのModel 3を聴いたとき19歳だった。
欲しい、と思ったことは告白しておく。
無茶苦茶高価なスピーカーではなかったから、かなり無理すれば手が届かないということはなかった。

若かったから、そういう無茶もやれないわけでもなかった。
それでも欲しい、と思いながらも、欲しい! とまではいかなかった。

若さは馬鹿さで、突っ走ることはしなかった。
それはなぜだろう、と時折考えることもあった。

ある日、ステレオサウンドのバックナンバーを読んでいた。
32号、チューナーの特集号を読んでいた。

伊藤先生の連載「音響本道」が載っている。
32号分には「孤独・感傷・連想」とある。

タイトルの下に、こう書いてあった。
     *
孤独とは、喧噪からの逃避のことです。
孤独とは、他人からの干渉を拒絶するための手段のことです。
孤独とは、自己陶酔の極地をいいます。
孤独とは、酔心地絶妙の美酒に似て、醒心地の快さも、また格別なものです。
ですから、孤独とは極めて贅沢な趣味のことです。
     *
ここのところを読み、なにかしら感じた人は、ぜひ本文も何らかの機会に読んでほしい。

私がそうだ、これだったのか、と思ったのは、
《孤独とは、酔心地絶妙の美酒に似て、醒心地の快さも、また格別なもの》のところだ。

醒心地の快さ──、
私はアクースタットのModel 3から感じとることができなかった。
だから欲しい! とはならなかった、といまはおもう。

Date: 6月 17th, 2016
Cate: Marantz, Model 7

マランツ Model 7はオープンソースなのか(その3)

ウィリアムソンアンプはイギリスから登場した。
ほぼ同時代にアメリカからはオルソンアンプが登場している。

向うを張る、という表現があるが、
オルソンアンプはまさしくウィリアムソンアンプの向うを張る、といえるパワーアンプである。

オルソンアンプはRCAのスピーカーLC1による生演奏すり替え実験に使われていることでも知られている。
ウィリアムソンアンプとは、違いはどこにあるのか。
似ているところもある。
位相反転はどちらもP-K分割である。
出力段はどちらも三極管接続である。

電圧増幅段にはどちらも6J5と6SN7が指定されている。

けれど決定的に違うのは、オルソンアンプは無帰還アンプであるということ。
三極管接続した6F6を四本使ったパラレルプッシュプルで、出力は5W。

ここもウィリアムソンアンプと違うところである。
出力段のバイアスも違う。ウィリアムソンアンプは固定バイアス、オルソンアンプは自己バイアス。
よってオルソンアンプにはDCバランスの調整もない。

電源部もウィリアムソンアンプはコンデンサー入力のチョークコイル使用に対して、
オルソンアンプはチョークコイルを省いている。

ウィリアムソンアンプの追試・実験は当時の日本では困難であったが、
オルソンアンプはそうではないように、一見思える。
出力トランスの問題もないし、チョークコイルも不要だし、
アンプ製作にかかるコストも負担が少ないオルソンアンプはすんなり作れたか、というと、
どうでもそうではなかったらしい。

まず電源部。
オルソンアンプは450WV・50μFのコンデンサーを使っている。
チョークコイルを省いているための、この容量であるわけだが、
当時の日本製の電界コンデンサーで、
この規格のものとなると入手困難か非常に高くつくものであったらしい。

それだけでなく出力段の6F6の使い方も、
アメリカ製の6F6の使用を前提としているため、
日本製の6F6を使ってオルソンアンプをそのまま作ってしまうと、
最大定格以上のプレート電圧がかかってしまうため、わずか数日で6F6がダメになってしまう、とのこと。

RCAの6F6を使えば問題なく動作するそうだ。

いまならばオルソンアンプをそのまま再現することは特に難しいことでない。
けれどウィリアムソンアンプ、オルソンアンプが発表された1950年ごろの日本は、そうではなかった。

Date: 6月 17th, 2016
Cate: Marantz, Model 7

マランツ Model 7はオープンソースなのか(その2)

オーディオ機器の中で、オープンソースに成りえるのは、やはりアンプであろう。
スピーカーシステムだとエンクロージュアは木工を得意とする人ならば、
同等かそれ以上のモノをつくれる。

けれどスピーカーユニットはそうはいかない。
細かな仕様まで公開されていたとしても、
個人がその仕様書を見て、同じユニットをつくれるかというと、そうとうに困難である。

フレームはどうするのか、マグネットは……。
振動板は……、そんなことを考えてみると、
スピーカーのオープンソースは難しい、といえるし、
アンプの方がオープンソースに向いている、ともいえる。

ラジオ技術の1949年3月号に、ウィリアムソンアンプの記事が載っている。
Wireless World(1947年4月号、5月号)に発表された記事を元にしたものである。

KT66の三極管接続を出力段に使いながらも、NFBをかけている。
しかもかなりNFB量(20dB)は多いものだった。

記事には回路図やシャーシーに関するだけでなく、出力トランスの仕様まで出ていたそうだ。
いいかげんな出力トランスでは、ウィリアムソンアンプなみのNFBはかけられない。
実際のウィリアムソンアンプにはパートリッジ製が使われていたそうだ。

日本には、その頃ウィリアムソンに使える出力トランスはなかった、と聞いている。
オーディオフェアの第一回開催時に、
山岸無線というメーカーがウィリアムソンアンプ用のトランスを展示しているが、
実はケースだけであり、中身はなかったそうである。

この時代、日本ではウィリアムソンアンプの追試をやろうとしても無理だった。
管球式パワーアンプでは、出力トランスがネックになることがある。

もうひとつの例を挙げれば、マッキントッシュの管球式パワーアンプがある。
当時すでに日本にもマッキントッシュのアンプの情報は入ってきていて、
ずいぶんマッキントッシュ型の出力トランスの試作は行われた、と聞いている。
しかしレアショートの問題があって、同等のトランスはつくれなかった、そうだ。

この話はよく聞いている。
そのころの日本のトランスは絶縁材ひとつとっても、十分な性能・品質でなかった、と。

Date: 6月 16th, 2016
Cate: Marantz, Model 7

マランツ Model 7はオープンソースなのか(その1)

私が読みはじめたころの無線と実験には、
毎号、国内外のオーディオ機器の回路図が載っていた。

それ以外にも、オーディオ雑誌には、
過去のオーディオ機器の回路図が載っていることはけっこうあった。

有名なところではマランツのModel 7とマッキントッシュのC22。
同時代の、管球式コントロールアンプとしてもっとも知られる存在の二台は、
フォノイコライザーの回路が対照的ともいえる。

技術解説の記事、コピー製作の記事などで、
Model 7、C22の回路図はたびたび登場していた。
トランジスターアンプでも、JBLのSG520、SA600などの回路図も、割と載っていた方だ。

ある時期から、メーカー製のオーディオ機器の回路図が載る記事は減ってきた。
いまはどうか、というと、インターネットの普及により、
過去の製品に限れば、回路図だけでなくサービスマニュアルも公式、非公式で公開されている。
探すのにほとんど苦労はいらない、といえる状況になってきている。

サービスマニュアルとなると、
回路図だけでなくシャーシー構造、調整の仕方など、詳細な情報が載っている。
QUADの405のサービスマニュアルを見ると、405は小改良が加えられている、といわれてきたことが、
はっきりとわかる。
405から405-2になるまでにもいくつかのヴァージョンがある。

自分が気に入っているオーディオ機器のサービスマニュアルは、非常に勉強になる。
便利な時代である。

同時に、そういったサービスマニュアルを手にして見ていると、
これはオーディオのオープンソースといえるのだろうか、と考えてしまう。

オープンソース(open source)は、コンピューター関係から来ているわけで、
言葉通りであれば、ソースコードを公開する、という意味になる。

ソースコードは、オーディオではいわゆる回路図である。
オーディオ機器は回路図だけではまったく同じモノがつくれるわけではない。
ならばオーディオの世界では回路図が公開され、
細かな仕様まで公開されているとなると、オープンソースといえるのだろうか。

例えばマランツのModel 7ほど、オーディオ雑誌で取り上げられているアンプはない。
回路図の掲載回数においてもそうだし、Model 7の技術解説記事も多い。
日本マランツは1978年にModel 7とModel 9のキットを出している。
Model 7KとModel 9Kはトータルで80万円という、キットとしては最も高価なモノだった。

これに製作のコストがかかる。
目に見えるコストとそうでないコストがかかるわけで、その意味でも決してお買得な買物ではなかった。
それでもModel 7KとModel 9Kが存在していたということは、
オーディオ機器のオープンソースということを考えるにあたって、重要なことのように思える。

Date: 6月 16th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その10)

ステレオサウンド別冊 Sound Connoisseur(サウンドコニサー)で、
黒田先生は”Friday Night In San Francisco”について、こう語られている。
     *
このレコードの聴こえ方というのも凄かった。演奏途中であれほど拍手や会場ノイズが絡んでいたとは思いませんでしたからね。拍手は演奏が終って最後に聴こえてくるだけかと思っていたのですが、レコードに針を降ろしたとたんに、会場のざわめく響きがパッと眼の前一杯に広がって、がやがやした感じの中から、ギターの音が弾丸のごとく左右のスピーカー間を飛び交う。このスペクタキュラスなライヴの感じというのは、うちの4343からは聴きとりにくいですね。
     *
まさしく、この通りの音がアクースタットのコンデンサー型スピーカーから鳴ってきた。
《会場のざわめく響き》が拡がる。
もうこの時点で耳が奪われる。
そのざわめきの中から、ギターの音が、まさしく《弾丸のごとく》飛び交う。

私は黒田先生とは逆にアクースタットで聴いた後に、JBLのスピーカーで聴いた。
確かにスペクタキュラスな感じは、聴きとりにくかった。

アクースタットの音は、新しい時代の音だ、といえた。
では、全面的にJBLのスピーカーよりも優れているのかといえば、そうではない。
いつの時代も、どのオーディオ機器であれ、すべての点で優れている、ということはまずありえない。

アクースタットの音は、黒田先生も指摘されているように、
かなり内向きな音である。
それこそ自分の臍ばかりを見つめて聴いている──、
そんなふうになってしまいそうな音である。

いわゆるコンデンサー型スピーカーというイメージにつきまといがちな、
パーカッシヴな音への反応の苦手さ、ということはアクースタットからはほとんど感じられなかった。

けれど《三人のプレーヤーの指先からとびだす鉄砲玉のような、鋭く力にみちた音》かというと、
ここには疑問符がつかないわけではない。

黒田先生は「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、
パコ・デ・ルシアがきわだってすばらしく、
ジョン・マクラフリンはちょっと弱いかな、と書かれているが、
その後、このディスクを手に入れて自分で鳴らしてみると、
アクースタットでの、あの時の音は、パコ・デ・ルシアの音がちょっと弱いかな、
と思わせてしまうところがあったことに気がつく。

順番が変るわけではないから、
ジョン・マクラフリンはちょっと弱いかな、が、もう少し弱くなる。

こんなことを書いているが、
アクースタットで初めて聴いた”Friday Night In San Francisco”の音は、
私にとって、このディスクの鳴らし方のひとつのリファレンスになっている。

Date: 6月 15th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その9)

”Friday Night In San Francisco”のことを、まったく知らないわけではなかった。
1981年12月に出たステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’82」の巻末に、
「オーディオ・ファンに捧げるNEW DISC GUIDE」というページがある。

黒田恭一、歌崎和彦、坂清也、安原顕、行方洋一の五氏が、
1981年に発売された新譜レコードから、演奏だけでなく、録音・音質の優れたものを選ぶ、という記事。

黒田先生が挙げられていたのは、まずカラヤンの「パルジファル」。
そうだろうと思いながら読んだ。
ステレオサウンド 59号でも、この「パルジファル」について書かれていたからだ。

この他に六枚のディスクを挙げられていて、
その中に”Friday Night In San Francisco”があった。
     *
「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」(CBSソニー30AP2136)をとりあげておこう。ノーマルプライスの盤(25AP2035)でもわるくないが、とりわけ音の力という点で、やはりひとあじちがう。一応500円の差はあるようである。それで「マスターサウンド」シリーズの方のレコードをあげておく。
 アル・ディ・メオラ、パコ・デ・ルシア、それにジョン・マクラフリンがひいている、ライヴ・レコーディングによるギター・バトルである。ライヴ・レコーディングならではの雰囲気を伝え、しかも三人のプレーヤーの指先からとびだす鉄砲玉のような、鋭く力にみちた音がみごとにとらえられている。パコ・デ・ルシアがきわだってすばらしく、アル・ディ・メオラがそれにつづき、ジョン・マクラフリンはちょっと弱いかなといった印象である。
 冒頭の「地中海の舞踏/広い河」などは、きいていると、しらずしらずのうちに身体から汗がにじみでてくるといった感じである。このトラックはパコ・デ・ルシアとアル・ディ・メオラによって演奏されているが、まさに火花をちらすようなと形容されてしかるべき快演である。音楽もいいし、音もいい。最近は、とかくむしゃくしゃしたときにはきまって、このレコードをとりだしてかけることにしている。
     *
読んではいたけれど、その日まで”Friday Night In San Francisco”のことは忘れていた。
アクースタットのModel 3から鳴ってきたパコ・デ・ルシアとアル・ディ・メオラ、
このふたりのギターの音に衝撃を受けて、聴き終ったころに、そういえばと思い出していた。

Date: 6月 7th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その8)

LNP2のゲインを20dBにしたとき、
スーパーギタートリオの”Friday Night In San Francisco”はどんなふうに鳴ったのか。

10dBにすると、演奏者との距離が近くに感じられる、と書いた。
20dBにすると、演奏会場の広さが感じられるようになってくる。
天井の低い、そして狭いライヴハウスの空間から広い空間へとかわる。
そのことによって演奏者との距離が遠くに感じられるようになるのか。

ある意味、そういえるところはある。
けれど20dBにしたLNP2の音には、
《ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さ》がある。

だから、同じ音量レベルであっても、20dBのLNP2の音の方が、
こまかな音まではっきりと再現される。
その意味では、20dBのLNP2の音の方が、演奏者との距離が近い、ともいえるし、
10dBのLNP2の音の方が、実は遠い、といえることになる。

ステレオ再生のつくり出す音像は、いわば虚像であり、
その虚像に対しての距離感の感じ方は、けっしてひとつではないようだ。
10dBの音と20dBの音、どちらを近くに感じ、遠くに感じるか。

私は20dBの音が、ほんとうの意味で「近い」と感じる。
それに20dBの音は、会場のざわめきも心地よい。

私が”Friday Night In San Francisco”を聴いた最初のスピーカーは、
アクースタットのModel 3だった。コンデンサー型のフルレンジスピーカーである。

1982年、ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurでの取材だった。
”Friday Night In San Francisco”は試聴レコードにはなかった。
けれど、アクースタットの音に何かを感じとられた黒田先生が、
このレコードを、といわれたのがスーパーギタートリオの”Friday Night In San Francisco”だった。

そうやって聴いたレコードだけに、二重の意味で衝撃だった。

Date: 6月 6th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その7)

その6)で引用した瀬川先生の文章を、
もう一度読んでほしい。
そこには、こう書かれている。
     *
これは非常に大切なことだがその両者とも、ディテールをここまで繊細に再現しておきながら、全体の構築が確かであった。それだからこそ、細かな音を鳴らしながら音楽全体の姿を歪めるようなことなくまたそれだからこそ、細かな音のどこまでも鮮明に聴こえることが快かったのだと思う。細かな音を鳴らす、というだけのことであれば、これら以外にも、そしてこれら以前にも、さまざまなオーディオ機器はあった。けれど、全景を確かに形造っておいた上で、その中にどこまでも細やかさを求めてゆく、という鳴らし方をするオーディオパーツは、決して多くはない。
     *
《全体の構築が確か》なこと。
そのためには「場」が必要であり、それに見合った「場」の質が求められる。

ゆえに私はLNP2のゲイン設定にこだわる。
瀬川先生は、ステレオサウンド 43号ではこう書かれている。
     *
+20dBまでだったゲイン切換が+40dBまでになったが、これを絞り気味に使うとどうも音が冴えないので、ややオーバーゲインで使わざるをえないのが難しい。
     *
本当にゲインを10dB、0dBと絞り気味で使うと《音が冴えない》。
逆にいえば、冴えない音とは、LNP2のゲインを絞りすぎた音である。

LNP2のインプットアンプのゲインを20dB以上で使うことから、
LNP2の使いこなしは始まる。

扱いやすさだけならば、ゲインを0dBにしてINPUT LEVELのポテンショメーターはあまり絞りこまずに設定する。
けれど実際にはそうではない。
ゲインを高めにする。こうするとINPUT LEVELのポテンショメーターはかなり絞ったところでなる。
特にCDプレーヤーのライン出力は、チューナーやテープデッキよりも高いため、よけいに絞ることになる。

ここであまりにも絞りすぎると、S/N比の劣化につながる。
インプットアンプに対して過大入力にならないように設定する。

LNP2のブロックダイアグラムは、一般的なコントロールアンプと違う。
LNP2を使いこなそうと思うのであれば、ブロックダイアグラムは空で描けるぐらいであったほしい。
ブロックダイアグラムが描けるということは、レベルダイアグラムが描けるということにつながるからだ。