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Date: 10月 13th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その12)

きもちを思い出すとともに、もうひとつ思っていたことがある。

義を見てせざるは勇なきなり、である。

勇(勇気)は、長い時間持っておく必要はない。
川崎先生の正面に座っていたのだから、
そこから川崎先生のところに歩いていき、挨拶をして、菅野先生との対談をお願いするだけ。
時間にすれば、一分とかからない。三十秒もあればいい。
その短い間だけ勇をもっていればいいだけのことである。

だから、川崎先生の話が終った後、二年前にはおじけづいてしまったことがやれた。
それに私が菅野先生と川崎先生の対談をやろうと思った川崎先生の文章のタイトルは「得手」である。

私の「得手」はオーディオである。
「得手」に川崎先生が書かれている。
     *
すでに郷愁かもしれないが、オーディオは私が得意とする分野だ。
 デジタル時代になって、アナログ再生に深く関与できた青春は終わったと思っていた。しかし、今この得意領域に立ち戻るつもりだ。それは、20年間もの醸造時間をかけてきた祈念ですらあるわけだ。
     *
2000年のE-LIVEでは、川崎先生のところへ行き、名刺交換し話されている人たちを羨ましくも思えた。
この人たちは、デザインの仕事をしているんだろうな……、と。

この時気づかなかったこと、
川崎先生の「得手」も私の「得手」もオーディオである。
オーディオマニアとしての川崎先生に、オーディオマニアとして会いに行けばいいことに、気づいた。

「得手」を、川崎先生はこう結ばれている。
     *
 まだまだ不得手なことがあることに気付いた。しかもそれは得手だった音響についてのデジタル化のデザインがテーマだ。最も得手になる、それもトップクラスの得手になる自分を早く発見したい。
     *
「トップクラスの得手になる自分」──、
だからこそDesign Talkとの出逢いは、私にとって第二章の始まりである。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その11)

三回目のE-LIVEで、川崎先生の講演が終ってすぐに、川崎先生のところに行った。
この日、最前列の中央の席に座っていた。川崎先生にもっとも近い距離の席である。

2000年のE-LIVEのときもそうだったが、講演終了後、何人かの人が川崎先生のところへ行く。
すごい行列ができるわけではないから、しばらく待っていればいいことなのだが、
待っている間に気持が萎えるか、2000年のときのようにおじけづくのをさけるためにも、その席に座っていた。

名詞を渡した。
名刺といっても、前日にMacとプリンターでつくったもの。
audio sharingの文字を大きくして、
あとはURLとメールアドレスだけの名刺だった。

そして「オーディオ評論家の菅野先生と対談をしていただけないでしょうか」と切り出した。

この時の川崎先生の表情は、いまもはっきりと憶えている。

──こう書くと、これまでの逡巡は何だったか、と思われるかもしれないが、
実を言うと、まったく迷っていなかったわけではない。

この日、川崎先生は「いのち・きもち・かたち」について話された。
これをきいてしりごみしそうになっていた。

けれど、「いのち・きもち・かたち」が背中を押してくれもした。

「いのち・きもち・かたち」。
川崎先生の話をききながら、自分にあてはめていた。

私のいのちはなにか。
答はすぐに出た。オーディオマニアである。
きもちは──。
すぐに出なかった。
かたちは──。
すぐに出た。audio sharingがそうだ、と。

もう一度、きもちは──、と問う。
audio sharingをつくろうとおもいたったときの「きもち」を思い出した。

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その10)

2001年4月。
あるオーディオ店で菅野先生のイベントがあることを知った。
出掛けていった。またPowerBook G3を携えてである。

この時、菅野先生からaudio sharingでの公開の許諾をいただいた。
菅野先生の連絡先は知っていた。
でも電話や手紙ではなく、直接お会いして、こういうことをやっていると伝えたかったから、こうしたわけである。

菅野先生はaudio sharingのトップページを見て「美しいじゃないか」といわれた。
これは嬉しかった。
みっともないトップページではないとわかっていても、それだけでは足りなかったからだ。

川崎先生はデザイナーである。
だから菅野先生の一言が、嬉しかったし自信にもなった。

E-LIVEは2001年も開催された。
だがこのときは川崎先生ではなく、MAC POWERの編集長がゲストだった。

この年の夏に菅野先生の文章を公開した。
あとは川崎先生に会える機会(E-LIVE)を待つだけである。

2002年6月1日、五反田の東京デザインセンターで、三回目となるE-LIVEが開催された。

Date: 10月 11th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その9)

2000年8月16日に、audio sharingを公開した。

audio sharingは、菅野先生と川崎先生の対談を実現するためにつくった「場」である。
audio sharingをつくった理由はそれだけではない、他にも大きな理由がある。

とにかく「場」をつくらないことには(持たないことには)、対談をやることはできない。
この「場」をつくるために、1999年12月末に仕事を辞めていた。

仕事を続けながら、毎日少しずつこつこつとやっていくのが、
賢明といわれるやり方なのはわかっていたけれど、それではいつになるのかはわからない。
とにかく公開できるようなかたちを早くつくっておきたかった。

2000年5月には人に見せられるぐらいにはなっていた。
ちょうどそのころ、五反田の東京デザインセンターでE-LIVEが開催された。
E-LIVEは、ディスプレイ専門メーカーのEIZO主催で、川崎先生のトークショーがある。

ここで、菅野先生との対談のことを話すことができるのではないか、と考えた。
それでPowerBook G3を携えてE-LIVEに行った。

この日、会場には増永眼鏡のMP690が展示されていた。
アンチテンションのフレームである。

このMP690を見て、おじけづいた。
まだ見せられない、と。

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(余談)

1998年12月に、ひとつだけ実行したことがある。
メガネを川崎先生のデザインのモノにした。

アンチテンションのMP690の発売をきっかけに取扱店が一気に増えたが、
それまでは日本橋の三越本店別館のメガネサロンだけでしか取り扱っていなかった。
十数年前まで、東京でもただ一店のみだった。
(アンチグラヴィティのMP621だけはサングラスとして、六本木AXISのLIVING MOTIFでも取り扱ってはいた)

だから、そこへ行った。
行けばわかるのだが、ここは他のメガネ店とはちょっと違う。
売れているフレームの多くはかなり高価なモノばかりで、
私が行った時も、隣の人が払っていた金額は私が払った金額の約十倍だった。

そんな三越のメガネサロンに、たしかに川崎先生のフレームが並べられていた。
けれどお目当てのフレームはなかった。
店員にたずねた。
増永眼鏡に問い合せてくれて、どのフレームなのかを確認して取り寄せてもらうことになった。

私が欲しかったのはMP649。
それまでMP649は入荷していなかった。店員も知らなかったそうだ。

私が注文して初めて入荷したことになる。
つまりMP649に関しては、東京でのただ一店の取扱店ですら初めての入荷ということは、
私が少なくとも東京では最初に手にしたことになる。
しかも、おそらくしばらくは他の人は誰もMP649をかけていなかった。

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その8)

ステレオサウンド編集部にまだ勤めていたら、この人に会えるのに……、と思った日がもう一度あった。
1998年11月18日である。
毎月18日はMAC POWERの発売日である。
12月号のDesign Talkは、「得手」とつけられていた。

ここでオーディオについて書かれていた。
いつになくオーディオについて長く書かれている、嬉しいな、と思いながら読み進めていくうちに、
「レコード演奏家」という言葉が出てた。そして「オーディオ評論家のS・O氏」ともあった。

オーディオ評論家のS・O氏、菅野先生のことである。
     *
同氏には、車・パイプ・西洋人形という収集品についても彼なりの美学を聴かせていただいた。生意気盛りの私は、そこからモノの美学性を衝撃的に学ぶことができた。
 S・O氏からいただいたLPレコードは宝モノになっている。また、日本でもトップのミキサーである彼の推薦新譜批評は読み続けてきた。いずれ、また会える機会が必ずあると思って楽しみにしている。
 当時はイヤなオーディオ評論家もいた。そんなやつに限って私のデザインを全面否定した。否定されたからイヤな評論家だというのではない。その評論家の趣味性や音・音楽・音響の「得意」性を疑っていたのだ。S・O氏は、初対面でこの人はデザインが語れると直感できた人物である。
 もう私などS・O氏には忘れられてしまっているかもしれない。オーレックス(’70年代の東芝のハイファイ・システム)ブランドで、エレクトレットコンデンサー・カートリッジのアンプ「SZ-1000」のデザインについてアドバイスをいただいた。その機種が私の東芝時代最後のデザインとなった。
     *
MAC POWER、1998年12月号のDesign Talkを読んで、もう一度そう思ったわけだ。
ステレオサウンド編集部にいたら、すぐさま菅野先生と川崎先生の対談を企画するのに……と。

なんとかして自分で対談を実現したい気持とともに、
おそらくMAC POWERかステレオサウンドが先に実現してしまうだろうな、とも思っていた。

だが一年建っても、どちらの編集部もやらなかった。
やらなかったから、やろう、とようやく決心した。
1999年が終ろうとしていた。
草月ホールで川崎先生の講演から五年半が経っていた。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その7)

五味先生がオーディオマニアの五条件として、
金のない口惜しさを痛感していることを挙げられている。

ハイドンの交響曲第四十九番について書かれている。
こう結ばれている。
     *
少々、説明が舌たらずだが、音も亦そのようなものではないのか。貧しさを知らぬ人に、貧乏の口惜しさを味わっていない人にどうして、オーディオ愛好家の苦心して出す美などわかるものか。美しい音色が創り出せようか?
     *
金のない口惜しさは、それまでも何度か痛感している。
それでも、このときほど、痛感したことはなかった。
いままでの痛感は、痛感といえるほどではなかった、と思うほど、
この日、Design Talkを読みながら、金のない口惜しさを痛感していた。

同時に、五味先生が書かれていた「金のない口惜しさを痛感していること」は、
こういうことなのかもしれない、ともおもっていた。

そういえば、あの日も雨が降っていたな、と思い出していた。

名古屋市立大学に行きたい……、けれど無理である。
また遠く感じた日だった。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その6)

何をしてきたのか。
ある日からしてきたことは、Design Talkを読みつづけることだった。

読んでいくうちに、オーディオマニアだということがわかった。
草月ホールでの講演をきいたとき、もしかしてオーディオマニアなのだろうか、とおもいはしたけれど、
確信は持てなかった。

Design Talkには、真空管アンプのことも書かれていた。
モノーラルで一台のみ、とあった。
少しずつわかってきた。
JBLの4343を鳴らされていることもわかった。

オーディオという共通項がある。
そのことで会えるようになるのかどうかはわからなかったけど、わかっただけで嬉しかった。

それでもDesign Talkを読むしかなかった。
1996年、名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授に着任されることをDesign Talkに書かれていた。
この号のMAC POWERを読んだ日のことも、はっきりと憶えている。

雨が降っていた。
車の助手席で読んでいた。

この日ほど、金のない口惜しさを痛感した日はない。

Date: 10月 4th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その5)

この日、感じていた「遠さ」は、
「プラトンのオルゴール」展の直後に、講演をきいたということもある。

ステレオサウンドを辞めてから五年以上が経っていた。
この日だけは、ステレオサウンド編集部にまだ勤めていたら、この人に会えるのに……、
と正直にいえば、そうおもった。

デザインを勉強してこなかった私に、壇上にいる人に会える日はくるのだろうか。
そう思うと、ますます遠く感じていた。

ステレオサウンドにいれば、記事を依頼するという形で、すぐにでも会えたであろう。
それでも、「ステレオサウンドの」という看板なしに会いたい気持が強かった。

人は生れた時代、生れた場所によって、会えない人がいる。
これはどうすることもできないことである。
私は、五味康祐、岩崎千明のふたりに会うことは出来なかった。
1977年は中学生だったし、1980年は高校生だった。東京ははるか遠いところであった。

この「遠さ」はどうすることもできなかった。
受け入れるしかない。

けれど、この日感じた「遠さ」は、自分でなんとかしなければならない遠さであることはわかっていた。
だからといって、その日から、何かを始めたわけではなかった。

Date: 9月 22nd, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その4)

Design Talkを読んで、そこに書かれていることをすべて理解できていたわけではなかった。
MAC POWERの次号が出るまでの一ヵ月、何度か読みなおしていた。

次号が出る。Design Talkを読む。
一度読んだだけではすべてを理解できないから、また次の号が出るまでの一ヵ月、何度か読むことになる。

これをくり返していた。
そうやって一年、二年がすぎ、1994年に「デジタルなパサージュ」がやっと出た。
これで読み逃していた数回分のDesign Talkが読める。

1994年はそれだけではなかった。
乃木坂にあるギャラリー間で、川崎先生の個展「プラトンのオルゴール」展が開催された。
そして赤坂の草月ホールで講演会もあった。

「プラトンのオルゴール」展に行った後で、草月ホールに行った。
この日の、私の受けた衝撃は大きかった。

衝撃が大きかったから、遠い……、と感じていた。
ほんとうに遠い、と。

この人に会いたい(この人の前に立ちたい)と思っていたから、遠いと感じていた。

Date: 9月 20th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その3)

Design Talkというタイトルの下に、こう書いてあった。

ドリームデザイナー
川崎和男

ドリームデザイナーは初めてきく言葉だった。
どういう職業なのか。
言葉通りならば、夢をデザインする人、夢を形にする人になる。

川崎和男、どういう人なのかまったく知らなかった。

いまならば、インターネットで検索して、どういう人なのか知ることができる。
1991年か1992年当時は、そんなことはできなかった。
ただそこに見知らぬ名前があるだけだった。

だがイニシャルがKKだ、と思った。
同じアルファベットがふたつ続く。
グレン・グールドもGG、同じアルファベットがふたつ続く。

Design Talkを読んだ。
私が読んだDesign Talkは一回目ではなかった。
少なくとも数回は連載されていた。
一回目から読まなければ、とも思った。

そして、この人の書くものはすべて読もう、と思っていた。

私にとって五味先生の文章は、オーディオの始まりになった。
いわば第一章のはじまりである。

Design Talkとの出逢いは、第二章の始まりである。

Date: 9月 8th, 2014
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その6)

高校生の時から星新一の小説にはまった。
いわゆるショートショートである。
数年間はまっていた。

書店に行き、星新一の文庫本を見つけたら即買って帰宅しては一気に読んでいた。
ほとんどすべての星新一の作品は読んでいる。
何本のショートショートを読んだのだろうか。

星新一のショートショートの中で「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」に関係して思い出す一篇がある。
こんな話だった。

ある男のもとに天使のような者がやってくる。
願いをかなえる、という。
ただしライバルには、その願いの二倍のものを与える、という条件つきで。

男はいう、「○○のところへ行ってくれ」と。
○○とは男がライバルと思っている存在である。

天使のような者は、だから○○のところへ向う。
男は、自分のところへ大きな幸運がやってくるものだと期待して待っていた。
けれど、そんなものはやって来なかった。

男は○○をライバルだと思っていた。
○○は男をライバルだとは思っていなかった。

そんなショートショートだった。
読後、ライバル同士といわれていても、実のところはそういうものかもしれない、と思った。

だが岩崎千明と瀬川冬樹は、そうではなかった。
ふたりは、互いにもっとも手強いライバルだと意識し合っていた。

Date: 9月 7th, 2014
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その5)

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代よりも、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代が長くなった。
かなり長くなった。

私がオーディオマニアとして生きてきた時代は、ほぼ岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代である。
当り前のことだが、これからも「いない時代」は続いていく。

岩崎先生は1977年に48歳で、瀬川先生は1981年に46歳で亡くなられた。
それまでふたりの書かれたものを熱心に読んできた人たちは、
とっくにふたりの享年よりも長く生きている。

私だってそうである。ふたりを年齢だけは追い越している。
あと数年したら五味先生に対しても、そうなる。

私は、このことを意識している。
そうやってオーディオをやってきているのは、私だけでないことは知っている。
名前は出さないけれど、あの人もあの人も、とそう多くはないけれど数人の人の顔が浮ぶ。

もうそういう人は少数なのかもしれない、とつくづく感じさせるのがSNSだ。
特にfacebookにおいて、強く感じている。

Date: 7月 29th, 2014
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その2)

日曜日に「ゴジラ」を観てきた。
ラストシーンでゴジラは海へと去っていく。
だが最終的にどこへ去っていくのかはわからない。
ただ海へと去っていく。

ゴジラの映画を何本も観てきた者にとっては、見慣れた光景である。

ゴジラは去っていくもの、どこかへと去っていく、という意識がどこかにある。
ゴジラは1954年公開の初代のイメージから、核の象徴といわれてきた。
だが、今回の「ゴジラ」のラストシーンを観ながら、
地球(ガイア)が生み出した生物ということを強く意識していた。

ラブロックによるガイア理論は1960年代にはいってからである。
ゴジラはガイア理論よりも早く生れている。
ボンジョルノも、もしかするとゴジラを核の象徴としてではなく、
地球(ガイア)が生み出した巨大生物として認識していたかもしれない。

ガイア理論のガイア(Gaia)はギリシア神話の女神であり、Gで始まっている。
ゴジラ(Godzilla)もGから始まっている。
だから会社名もGから始まるようにしたのではないだろうか。

ボンジョルノも、この世を去っていった。
あと一年ほど生きていたら、「ゴジラ」を観れたのに……、とおもう。
ボンジョルノは2014年の「ゴジラ」をどう観ただろうか。