Archive for category 使いこなし

Date: 5月 16th, 2009
Cate: 井上卓也, 使いこなし, 長島達夫

使いこなしのこと(その4)

試聴・取材のため国内メーカー、輸入商社からお借りするスピーカーのなかには、
たいていは古い機種の場合だが、鳴らされることなく倉庫で眠っていたモノが届くことがある。

そういうスピーカーも、最低でも1週間、できればもっと時間はかけたいが、
ていねいに鳴らしつづけていれば、本調子に近づいていく。
とはいえ実際にそれほどの時間の余裕は、まずない。

そんなときは、半ば強制的に目覚めさせるしかない。
井上先生に教わった方法がある。
効果はてきめんなのだが、井上先生から、めったに人に教えるな、と釘を刺されているので、
申し訳ないが具体的なことについては書けない。

やりすぎない勘の良さをもっている人にならば、実際に目の前でやってみせることでお伝えできるが、
言葉だけでは、肝心なところが伝わらない危険があり、スピーカーを傷めてしまうことも考えられるからだ。

エッジにはふれる。ただしなでるわけではない。なでるな、とも言われている。
それともうひとつのやり方との組合せで、スピーカーの目覚めを早くする。

長島先生のやり方も、安易にマネをすると、やはりスピーカーを傷める、もしくは飛ばしてしまうので、
これ以上、詳細は書かないが、これらの方法は、取材・試聴という限られた時間内に、
いい音を出すために必要なものであり、個人が家庭内で、瀬川先生が書かれているように、
四季に馴染ませ、じっくりと取り組むうえでは、まったく使うべきことではない。

事実、私も、所有しているスピーカーに、井上先生、長島先生から教わった方法は実践していない。
必要がないからだ。やるべきことではないからだ。

それにしても、いわば、スピーカーを目覚めさせるための方法を、
なぜ「エージング」と言ってしまえるのだろうか。

Date: 5月 16th, 2009
Cate: 井上卓也, 使いこなし

使いこなしのこと(その3)

瀬川先生は書かれている。
     ※
オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま—-たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。
     ※
レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」からの引用だが、
スピーカーのエージングとは、まさにこういうことだと、私は考えているし、信じている。

好きなレコードを、好みの音量で鳴らしていく。
これは、なにも瀬川先生だけが言われていることではない。
井上先生も長島先生も、同じ考えで、以前流行ったFMチューナーの局間ノイズを長時間、
それもかなりの音量で鳴らしつづけるという方法は、どなたも認めておられない。

いま局間ノイズでエージングを早めよう、という人はいないだろうが、
それでも世の中には、エージングのためのCDとか、スピーカーのエッジをなでることを、
エージングを早める方法と称している人もいる。

はっきり言えば、こんなことでエージングを早められはしない。
エッジをなでると、音は変わる。
とくに長期間鳴らしていないスピーカーほど、その変化量は大きい。
でも、これはエージングによって、音が変わったわけではない。

実は井上先生も、エッジをなでることに似た方法を、ときどき用いられた。
しかし、これはスピーカーを目覚めさせるため、である。

Date: 3月 11th, 2009
Cate: 井上卓也, 使いこなし
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使いこなしのこと(その2)

エレクトロボイスのSentry500の素っ気無い仕上げを、家庭での使用を前提に、
木目仕上げのエンクロージュアと、
木製のCD(Constant Directivity=定指向性)ホーンを採用したSentry500SFVの発表後、
しばらくしてのことだったから、1984年ごろの、ステレオサウンド試聴室でのコトだ。

その日、ステレオサウンド編集部では試聴室を使う予定はなく、
HiViの筆者の方ふたりで、Sentry500SFVの試聴をやられていた。

試聴室隣の倉庫に、工具を取りに降りていったとき、試聴がはじまって1時間くらい経過した頃だったようだ。
試聴室に入らなくても、うまく鳴っているかどうかは、すぐにわかる。
覇気が感じられない音で鳴っているなぁ……、と思いながら、工具を探していたら、
試聴室の中から、「こっちに来て、なんとかしてほしい」という声が掛かった。

ふたりとも、鳴っている音に納得できずに、あれこれ試したものの、たいした変化は得られなかったとのこと。

ざっと見渡すと、いつものセッティングとは違う。
アンプの電源を落とし、スピーカーケーブルやピンケーブルもいったんすべて外し、
ACコードもすべてコンセントから外した。
それから、いつもの試聴のようにセッティングする。

なにもすべて外す必要はないのだが、
やはり一からすべて自分でやったほうが確実だからだ。
スピーカーもアンプもいっさい移動しないので、
またケーブルやその他のモノもいっさい換えないままだったので、時間にして、5分程度だ。

ふたたび電源を入れて、音を出す。
このくらい変わるだろうな、と予測していた音が鳴ってきた。
時間は短いし、何一つ換えなかったとはいえ、ある程度の変化量は予測していた。
井上先生の試聴で、毎回体験していることだからだ。

でも、筆者の方ふたりは、こちらが驚くほど、驚かれていた。
そして、チューニングによる音の変化と受けとめられたようだ。

自慢話をしたいわけではない。
ここで、私がやったことはチューニングではなく、あくまでもセッティングであり、
それをやり直しただけだということを理解していただきたい。

Date: 3月 6th, 2009
Cate: 井上卓也, 使いこなし

使いこなしのこと(その1)

オーディオにおいて、使いこなしは重要だと、ずっと以前から言われつづけているにも関わらず、
読者側から見て、系統立てて説明し、あらゆる状況に対して応用がきくヒントを与えてくれる記事を、
音の出ない、写真と文字だけの誌面で伝えることは、頭で想像している以上に難しさがある。

私がステレオサウンドで担当した使いこなしの記事のひとつは、ふたりの読者が参加された井上先生によるものだ。
あのときは、まだ22歳だったから、1985年。この取材で、舘さん(早瀬さん)と出会い、
私がステレオサウンドを辞めたあとも、変らぬ態度で接してくれて、
今年の夏で、まる24年のつきあいになる。

去年だったか、インターネットでのオーディオの掲示板で、ステレオサウンドの記事のなかで、
印象に残っているのはどれか、という内容のもので、
この井上先生の使いこなしの記事をあげておられる方がいた。
さらにmixiでも、この記事を、いまも読み返し参考にしているという文章に出合った。

担当編集者としては嬉しい限りではあるが、1985年の記事である……、という思いもある。

いま読み返しても、おもしろいだろう(手もとにその号がないので読み返せないが)。
けれど、こんなことを言ってもどうにもならないが、
いまならば、同じ取材からでも、違う誌面展開で記事をつくる自信はある。

あのころは、使いこなしという言葉の中に、セッティング、チューニング、エージングが含まれ、
それぞれは違い、しかし、その境界は曖昧であることに気がついていなかったからだ。

このことをきっちりと私が認識していたならば……、と思うのだが、いまさら、である。

Date: 11月 22nd, 2008
Cate: 使いこなし

視点を変えるだけの話

個人サイトやブログに「このアンプの不満点は電源コードを交換できないこと」とあるのを見かける。
「電源コードで音色をチューニングできない」とつづく。
先日も、あるサイトで、マランツ#七の不満点として、このことが書かれていた。

電源コードが着脱し気になっていないモノでも、まったくアンプ本体に手を加えることなく、
電源コードを、あれこれ試すことができるモノもある。
リアパネルにACアウトレットを備えているアンプがそうだ。
マランツ#7はアンスイッチドを1つ、スイッチドを5つ持つ。

必要なのは、試したい電源コードの両端をACプラグにすることである。
これをACアウトレットに挿せば、電源コードとして使える。

アンスイッチドを使えば、アンプ本体の電源スイッチがそのまま使えるし、
スイッチドならば電源スイッチをパスできる。
視点を、ほんのすこし変えるだけで電源コードを交換できる。

注意点はもともとついていたACプラグに安易に触ると、とうぜんビリッとくるので、絶縁すること。

自慢のように聞こえるだろうが、高校生の時にすでにやっていた。
当時使っていたプリメインアンプは、サンスイのAU-D907Limited。
このアンプの音を少しでも良くしたいと思っていて考えついた。
電源スイッチをパスしたかったのである。

そのとき試したのはオヤイデから出ていたスターカッドタイプのもので、
たしかLi50とかいう型番だった。
芯線の絶縁体はピンクと白で、軟銅線を使ったしなやかなコードだった。
これをスイッチドに接続して聴いていた。

ほんのちょっと視点を変えるだけの話である。

Date: 9月 19th, 2008
Cate: 使いこなし

木村伊兵衛か土門拳か

5月29日発売の週刊文春に掲載されている福田和也氏の 
「ハマってしまったアナタに ──木村伊兵衛か土門拳か──」は、 
オーディオについて考えるヒントを与えてくれる(以下引用)。 
     *
土門は被写体に真っ向勝負を挑み、理想の構図、ピントを求めて大きなカメラを何百回とシャッターを切りつづけた。学生時代に絵描きを志した土門にとって、写真は映画同様、自己の世界観を存分に投影しうる、人間主体の芸術でした。
 ところが、土門がその存在を終生意識し続けた木村伊兵衛にとって、写真はもっと不如意なものでした。カメラを使いこなすことは、カメラという機械のメカニズムを受け容れ、自らを合わせていくこと。写真は人間主体の芸術ではなく、むしろその主体性の限界を示してくれる存在で、その限界から先はカメラに結果を委ねるしかない。(中略)
 一眼レフであり、コンパクトであれ、木村のようにその性能に意思を委ねるもよし、土門のようにすべてのパラメーターと格闘して意思の実現を目指すもよし。いずれにせよ、写真は自己認識に関わる豊饒な遊び。だから愉しいのです。 
      *
オーディオにも不如意なところは数多く存在する。それをどう捉えるか、どう処理するのか。 
木村伊兵衛スタイルの人もいるだろうし、土門拳スタイルの人もいるだろう。

どちらがいい悪いではない。