Archive for category 瀬川冬樹

ワイドレンジ考(その19)

4331Aについて井上先生は、ステレオサウンド 62号に
「システムとしては、バランス上で高域が少し不足気味となり、
3ウェイ構成が、新しいJBLのスタジオモニターの標準となったことがうかがえる」し、
4333Aについて「本格的な3ウェイ構成らしい周波数レスポンスとエネルギーバランスを持つシステムは、
4333Aが最初であろう」と書かれている。

瀬川先生は、41号に、「家庭用の高級スピーカーとしては大きさも手頃だし、
見た目もしゃれていて、音質はいかにも現代のスピーカーらしく、
繊細な解像力と緻密でパワフルな底力を聴かせる」L300の登場によって、
「4333の問題点、ことにエンクロージュアの弱体がかえっていっそう目立ちはじめた」と書かれている。

4331/4333から4331A/4333Aの変更点は、主にエンクロージュアにある。
使用ユニットにいっさい変更はない。
板厚が、43331/4333はすべて19mm厚だったが、フロントバッフル以外を25mm厚にしている。
バスレフポートが、4331/4333で、ウーファーの上部横だったのが、
ウーファーの斜下、エンクロージュアのかなり低いところに移動し、
ポートの径も多少小さくなっている。
2405の取付け位置もまた変更され、4320と同じ位置になっている。
こういった細かな改良を施したことによって「4333よりもL300が格段に良かったのに、
そのL300とくらべても4333Aはむしろ優れている」と瀬川先生は高く評価されている。

C50SMからスタートしたスタジオモニターは、4333Aとなり、
質の高いワイドレンジを実現したことになる。

Date: 10月 13th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その14)

瀬川先生は、定規やコンパスを使わずに、手書きでキレイな円を書かれていた、と
瀬川先生のデザインのお弟子さんだったKさんから聞いた。

訓練の賜物なのだろうが、そればかりでもないと思う。

紙に薄く下書きの線が引いてあったら、それをなぞっていけばいい。
そんな線がなくても、紙を見つめていると、円が浮んで見えてくるということはないのだろうか。

ナショナルジオグラフィックのカメラマンは、携帯電話についているカメラ機能でも、
驚くほど素晴らしい写真を撮ると聞く。
素晴らしいカメラマンは、ふつうのひとには見えない光を捉えているとも聞く。

卑近な例だが、友人の漫画家は、「うまいこと絵を描くなぁ」と私が感心していると、
「だって線が見えているから」と当り前のように言う。
イメージがあると、白い紙の上に線が見えてくるものらしい。

音も全く同じであろう。
聴きとれない音は出せない。

同じ音を聴いていても、経験や集中力、センス、音楽への愛情、理解などが関係して、
人によって聴きとれる音は同じではない。

そして見えない線が見えてくるように、いまはまだ出せない音、鳴っていない音を、
捉えることができなくては、まだまだである。
出てきた音に、ただ反応して一喜一憂しているだけでは、つまらない。

Date: 10月 7th, 2008
Cate: イコライザー, 瀬川冬樹

私的イコライザー考(その2)

3年前くらいに思いついたが、まだ試していないイコライザーについて書いてみる。

帯域のバランスを簡単に変化させるのは、スピーカーについているレベルコントロールだろう。
最近のモデルは省いているものが多いが、3ウェイ、4ウェイとなるほど、
レベルコントロールは重宝するといえる。

レベルコントロールの調整といえば、瀬川先生のことが浮ぶが、
ステレオサウンド 38号に井上先生が次のように書かれている。
     ※
システムの使いこなしについては最先端をもって任ずる瀬川氏が、例外的にこのシステムの場合には、
各ユニットのレベルコントロールは追い込んでなく,
メーカー指定のノーマル位置であるのには驚かされた。
     ※
このシステムとは、JBLの4ウェイ・スピーカー、4341である。
その後に使われていた4343も、レベルコントロールはほとんどいじっていない、と
どこかに瀬川先生が書かれていたと記憶する。

そういえばKEFのLS5/1Aはレベルコントロールがない。そのことが不満だとは書かれていないはず。

LS5/1Aにしても、4341(4343)も購入されている。それは気にいっておられたわけだし、
長い時間をかけて鳴らしこめるわけだ。

瀬川先生がスピーカーのレベルコントロールを積極的に使われるのは、
試聴などで、短時間で、瀬川先生が求められる音を出すための手段だったようにも思える。

レコード芸術の連載で、スピーカーは最低でも1年間、できれば2年間は、
特別なことをせずに、自分の好きなレコードを、
ふだん聴いている音量で鳴らしつづけることが大切だと書かれている。

惚れ込んで購入するスピーカーなら、帯域バランスに関しても、
大きな不満を感じられることはなかっただろう。
だからこそ、レベルコントロールをいじらずに、大切に鳴らし込まれていたのだろう。

38号の写真を見ると、4341の下には板が敷かれているが、
板と板の間に緩衝材のようなものを見える。
このあたりの使いこなしは積極的に行なわれていたようだ。

Date: 10月 2nd, 2008
Cate: 瀬川冬樹

スピーカーとの出合い

明日からインターナショナルオーディオショウがはじまる。
晴海でオーディオフェアが開催されていたときの状況と比較すると、
試聴条件ははるかによくなっている。

けれども入りきれないほどの人が集まったブースでは、
なかなかいい音で鳴ってくれないし、ほかの理由で本領発揮できないスピーカーもあろう。

「オーディオ機器は自宅試聴しないとほんとうのところはわからない。
特にスピーカーはその傾向が強い」という人もいる。
なじみのオーディオ店(というよりも人だろう)があり、
関心のあるオーディオ機器を自宅で聴けるのなら、それに越したことはない。

あえて言おう。どんなにひどい音で鳴っていたとしても、
自分にとって運命のスピーカーというものと出合ったときは、すぐにわかるはずだ。

瀬川先生が以前言われていた。
「運命の女性(ひと)と出逢ったならば、そのひとがたとえ化粧していなくても、
多少疲れていて冴えない表情をしていたとしても、ピンとくるものがあるはずだ。
スピーカーもまったく同じで、
ひとめぼれするスピーカーなら、ひどい環境で鳴っていても惹かれるものがある」

瀬川先生の、この言葉は自戒も含まれているように思う。

1968年に山中敬三氏から、「お前さんの好きそうな音だよ」と声を掛けられて、
山中氏のリスニングルームでKEFのLS5/1Aを聴かれたが、
「この種の音にはどちらかといえば冷淡な彼の鳴らし方そのもの」だったし、
しかも山中氏のメインスピーカーアルテックA5の間に置かれ、
左右の距離がほとんどとれない状態での音出しも影響してか、
LS5/1Aの真価を聴きとれなかったことへの……。

とにかくショウの3日間、直感を大事にして音を聴いてほしい。

Date: 9月 28th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その13)

瀬川先生の鳴らされていた音を聴くことは、もうできない。
けれど、瀬川先生の愛聴盤を聴くことは、その音をイメージするきっかけになるだろう。
廃盤になっていたものも、CDで復刻されている。
ヨッフムのレクイエムも出ている。
     ※
そのせいだろうか、もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
     ※
はじまりの鐘の音が収録されていないCDも出ているが、
ここはやはり鐘の音が収録されているほうで聴きたい。
グラモフォンから発売されている。

エリカ・ケートの歌曲集も昨年、CDになった。
     ※
エリカ・ケートというソプラノを私はとても好きで、中でもキング/セブン・シーズから出て、いまは廃盤になったドイツ・リート集を大切にしている。決してスケールの大きさや身ぶりや容姿の美しさで評判になる人ではなく、しかし近ごろ話題のエリー・アメリンクよりも洗練されている。清潔で、畑中良輔氏の評を借りれば、チラリと見せる色っぽさが何とも言えない魅惑である。どういうわけかドイツのオイロディスク原盤でもカタログから落ちてしまってこれ一枚しか手もとになく、もうすりきれてジャリジャリして、それでもときおりくりかえして聴く。彼女のレコードは、その後オイロディスク盤で何枚か入手したが、それでもこの一枚が抜群のできだと思う。
     ※
瀬川先生が書かれたものを読み返したり、
当時のステレオサウンドの試聴レコードのリストを参考にされれば、
どんなレコードを好んで聴かれていたかが、すこしだけだろうが、伝わってくる。

まだ手もとに届いていないが、バルバラのSACDも購入した。
バルバラの声が、SACDではどう響くのか、瀬川先生が聴かれたらなんと言われるか、
そんなことを想像して届くのを待つのも、じつに楽しい。

Date: 9月 28th, 2008
Cate: 930st, 瀬川冬樹

空想鼎談

audio sharing で公開しているEMTの930stに関するユーザー鼎談は、
サウンドステージ誌の1992年秋号に掲載されたものである。

登場人物は、清滝錬一郎、久和亮平、吉田秋生の3氏。
この記事を audio sharing で公開しているため、
私がこの中の一人だと思われた方もいるかもしれない。

もう16年経ったから言ってもいいだろう。
3人とも私である。誰一人として実在しない。
私の中にある、いくつかのものを脹らませて、930stについて語った次第だ。

瀬川イズムの吉田氏、SUMOのThe Powerを愛用する久和氏、シーメンスのスピーカーの清滝氏──。

私自身も930stを使っていた。
正確にはトーレンス・ヴァージョンの101 Limited、シリアルナンバー102で、
最初に入ってきた2台のうちの1台。
シリアルナンバー101がいい、と言ったけど、「これは売らない」と言われ、102になった。
101 Limitedのシリアルナンバーは101から始まっている。

シリアルナンバー101と102は、トーンアーム929のパイプが黒色塗装。
その後、927Dstに買い替えのため手放した。

シーメンスのスピーカーも使っていた。
清滝氏と同じオイロフォンと言いたいところだが、コアキシャル・ユニットだ。
これを、ステレオサウンドの弟誌サウンドボーイが取材用に製作した平面バッフル、
ウェスターンの平面バッフルを模したもので、米松の1.8m×0.9mの大きさ。
これを6畳間にいれていたこともある。
エッグミラーのアッテネーターも使っていた。

SUMOのアンプは、The Powerではなく、The Goldを愛用していた。
瀬川先生が、熊本のイベントで、トーレンスのリファレンスのときに使用されていたのがThe Goldだったことも、
このアンプを選択したことにつながっているのかもしれない。

これらの断片から生れたのが、930stのユーザー鼎談で、
第二弾、第三弾として、4343篇、300B篇も考えていたが、諸般の都合で1回だけで終了となった。

Date: 9月 25th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その12)

瀬川先生は、レコードをターンテーブルに置かれた後、
必ず人さし指と中指で、レーベルのところをちょんと、軽く押えられる。
ターンテーブルに密着させるためではなく、
レコードに「今日もいい音(音楽)を聴かせてくれよ」という呼びかけのような印象を、
その行為を見ていて、私はそう感じた。

これを見たその日からさっそくマネしはじめた。
その他にも、カートリッジをレコードに降ろすとき、
右手の小指はプレーヤーのキャビネットに置き、
右手の動きを安定させる。
カートリッジの針がレコードの盤面に近づいたらヘッドシェルの指掛けから、指を素早く離す。
針がレコードに触れるまで持っていると、レコードを逆に傷つけてしまうからだ。

しかも、瀬川先生はレコードのかけ替えの時、ターンテーブルはつねにまわされたままだった。
すっとレコードを乗せて、すっと取られる。ためらっていると、レコードは傷つく。

これももちろんマネした。
ずっとマネしていると、いつか日かサマになる。

ステレオサウンドにいたとき、取材の試聴の時、つねにターンテーブルはまわしっぱなし。
一度もレコードを、そのせいで傷つけたことはない。

Date: 9月 19th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その11)

仕事で長距離の移動をされるとき、瀬川先生の旅の供は、
ステレオサウンドから、当時は年二回出ていたハイファイ・ステレオガイドと電卓だと、
ご本人からきいたことがある。

予算やテーマ(鳴らしたいレコードや、どんな音を出したいか)などを自分で設定して、
ページをめくり、このスピーカーに、あのアンプ、カートリッジはこれかな、と楽しくて、
いい時間つぶしになる、とのこと。

私も中学・高校生のとき、同じことをやっていた。
高価なオーディオ機器を、すぐに買えるわけではないけれど、
予算無制限だったら……とか、現実的な価格での組合せや、
自分ではあまり好んで聴かない音楽のための組合せだったら……、こんな感じで。

ただ当時のハイファイ・ステレオガイドは、
アルバイトのできない中学生には、かなり高価な本だった。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: KEF, LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹

LS5/1Aにつながれていたのは(その2)

FMfanの巻頭のカラーページで紹介されていた
瀬川先生の世田谷のリスニングルームの写真に写っていたLS5/1Aの上には、
パイオニアのリボントゥイーターPT-R7が乗っていた。

LS5/1Aの開発時期は1958年。周波数特性は40〜13000Hz ±5dB。
2個搭載されているトゥイーター(セレッションのHF1300)は、位相干渉による音像の肥大を防ぐために、
3kHz以上では、1個のHF1300をロールオフさせている(トゥイーターのカットオフ周波数は1.75kHz)。
そのまま鳴らしたのでは高域のレスポンスがなだらかに低下してゆく。
そのため専用アンプには、高域補正用の回路が搭載されている。
専用アンプは、ラドフォード製のEL34のプッシュプル(LS5/1はリーク製のEL34プッシュプル)だが、
瀬川先生は、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、真価を発揮してきた、と書かれている。

いくつかのアンプを試されたであろう。JBLのSE400Sも試されたであろう。
その結果、スチューダーのA68を最終的に選択されたと想像する。

もちろんA68には高域補整回路は搭載されていない。
おそらくLNP2Lのトーンコントロールで補正されていたのだろう。
さらにPT-R7を追加してワイドレンジ化を試されたのだろう。

これらがうまくいったのかどうかはわからない。

瀬川先生の世田谷のリスニングルームにいかれた方何人かに、
このことを訊ねても、PT-R7の存在に気づかれた人がいない。
だから、つねにLS5/1Aの上にPT-R7が乗っていたわけではなかったのかもしれない。

LNP2とA68のペアで鳴らされていたであろうLS5/1Aの音は、想像するしかない。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹

LS5/1Aにつながれていたのは(その1)

「なぜ、これだけなの?」と思ったのも、ほんとうのところである。 
1982年1月、ステレオサウンド試聴室隣の倉庫で、
瀬川先生の愛機のLS5/1A、LNP2L、A68を見た時に、
そう思い、なんともさびしい想いにとらわれた。 

それからしばらくして、4345がどこに行ったのかをきいた。
それでも、なぜ、これだけなのか、と当時はずっと思っていた。 

けれど、いま思うのは、この3機種こそ、
瀬川先生にとっての愛機だったのだということである。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その10)

瀬川先生が「良い音とは」について、熊本のオーディオ店でのイベントで語られたことは、興味深い。

良い音を体の健康状態に例えられて、健康なときは、体の存在感を意識しない。
でも怪我をしたり病気にかかると、怪我をしたところや病気になったところを意識してしまう。
だからその存在を意識させないのが、良い音の最低条件である、と。

なぜ最低条件かと言うと、話の続きがあるからだ。

おいしいものを食べたときに舌の存在を意識する。
さらに下世話な話になるけど、ヘソの下にあるモノも快感によって、
その存在を主張するし、存在を意識する。
良い音とは、そういうものだろう、ということだった。

瀬川先生が、もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれたら、
失望されたかもしれないと思う理由が、ここにある。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

S氏

五味先生の著作の中に登場するS氏は、齋藤十一氏のことである。 

昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
齋藤邸のリスニングルームでタンノイの音を、はじめて体験されている。

瀬川先生は、ステレオサウンド刊「世界のオーディオ TANNOY」に、その日のことを書かれている。
     ※
 はじめてタンノイに音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだが、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。
 いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     ※
「編集者 齋藤十一」という単行本が、冬花社から出ている。
愛聴レコードリストも載っている。

Date: 9月 16th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 組合せ

ある組合せ

スペンドールのBCII、ラックスのLX38、ピカリングのXUV/4500Q、 
この組合せは、私にとって、いまでも特別なものである。 

熊本のオーディオ店のイベントに定期的に来られていた瀬川先生。 
ある時、イベントが終了して、まだすこし時間に余裕があったので、
瀬川先生が「今日ここにあるオーディオ機器で、聴いてみたい組合せや機種はありますか」
と言われたので、真っ先に手を上げてお願いしたのが、上記の組合せである。 

このとき、スピーカーは他にJBLの4341があったし、
アンプもマークレビンソンのLNP2やSAEの2500、
カートリッジもピカリングの他に10機種ほど用意されていた。 

BCIIは、別のイベントの時に聴いたことがあった。 
XUV/4500Qは、その日のイベントで聴いたばかり。 
LX38の音は、(たしか)耳にしたことはなかった。
十分にその素性を掴んでいるモノはひとつもなかった。
けれども、これら3つの組合せが、パッと頭にひらめいた。

もっと高価な組合せもお願いできたけれども、
どうしても聴きたかったのは、この組合せで、
BCIIの音に惹かれていただけに、もっともっといい音でBCIIを聴きたい、と思って、である。 

「BCIIにラックスのLX38で、カートリッジはXUV/4500Qでお願いします」と言ったところ、
瀬川先生が「これはひじょうにおもしろい組合せだ。ぼくも聴いてみたい組合せ」と言われ、
わくわくされている感じを受けた。 

そして鳴ってきた音は、いまでも憶えている。 

一曲鳴らし終わった後に、「いやー、これはほんとうにいい音だ。玄人の組合せだ!!」と言われ、
ちょうど最前列の真ん中の席が空いていたので、そこに座られ、
瀬川先生のお好きなレコードを、もう1枚かけられて、
そのときの楽しそうに聴かれていた表情と、「玄人の組合せ」という褒め言葉が、
二重にうれしかった。 

なにせ当時高校2年生(16歳)だった私は、
特に「玄人」という言葉が、うれしくてうれしくて、
ひそかに「才能あるんだな、オレ」と自惚れていた。 

「BCIIとLX38ですこし甘くなりがちになるところを、XUV/4500Qでピリッとさせる。
見事な組合せだ。BCIIとLX38がこんなに合うとは思わなかった」とも言われた。 

その約半年後に、ステレオサウンドの別冊として出たコンポーネントの組合せの本に、
カートリッジは異っていたけど、菅野先生も、BCIIとLX38を組み合わされている。

スペンドール、ラックス、ピカリングは、
私にとって、いわゆる黄金の組合せ、もしくは三位一体の組合せ、である。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: 104aB, KEF, 瀬川冬樹, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その6)

インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。 

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。 

この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。 

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。 
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」とひじょうに高く評価されている。 
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
1975年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により、
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、
#104aBにモデルチェンジしている。

Date: 9月 14th, 2008
Cate: 4345, 瀬川冬樹

4345につながれていたのは(その1)

瀬川先生の終の住み処となった中目黒のマンションでのメインスピーカーは、JBLの4345。
アナログプレーヤーは、パイオニア・エクスクルーシヴP3を使われていた。
アンプは、マーク・レビンソンのペアだと思っていた。
ML7Lのことも高く評価されていた(ただし、これだけでは満足できないとも書かれていたけど)し、
パワーアンプは、やはりレビンソンのML2Lだと、そう思いこんでいた。

けれど、昨年11月の瀬川先生の27回忌の集まりの時に、
当時サンスイのAさんの話では、アキュフェーズのC240とM100の組合せだった、とのこと。
たしかにステレオサウンドに掲載されたM100の新製品のページは瀬川先生が書かれていたし、
そうとう高い評価以上に、その文章からは音楽に浸りきっておられる感じが伝わってきた、と記憶している。
C240もお気に入りだったらしいから、この組合せで鳴る4345の音と、
ステレオサウンドの記事で、世田谷のリスニングルームで行なわれた、
オール・マークレビンソン(ML2L、6台)で鳴っていた4343とは、もう別世界だろう。

4343と4345の鳴り方の違い、マークレビンソンのアンプとアキュフェーズのアンプの音の違い、
それから世田谷で使われていたEMT927Dstとマイクロの糸ドライブ、
それらとエクスクルーシヴP3の性格の違い、
この時期のステレオサウンドの新製品の記事、
SMEの3012R、JBLの4345、アキュフェーズのM100を記憶の中から呼び起こす。

そこに共通するものを感じるのは私だけだろうか。