Archive for category きく

Date: 5月 26th, 2023
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その7)

5月28日に開催される野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会の会場となる
野口晴哉氏のリスニングルームにはクーラーが設置されていない、ときいている。

Date: 5月 7th, 2023
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その6)

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会の前売りはすべて完売とのこと。
当日券は若干数確保してあるそうだが、
状況によってはすぐの入場はできない場合もあるそうだ。

Date: 4月 28th, 2023
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その5)

「野口晴哉 リスニングルーム」で画像検索すると、
いくつかの写真が表示される。

1973年当時の写真もある。
1973年のFM新読本(FM fan 別冊)に掲載されたものである。
不鮮明な写真だけれども、見ることができる。

「世界のオーディオ」が1976年、さらにもう一枚の写真も検索結果として出てくる。
そこにはスタックスのコンデンサー型スピーカーESS6Aが写っている。

QUADのESLだけではなく、スタックスもある。
そしてリボン型トゥイーターのデッカ・ケリー。

ウェスターン・エレクトリックの594A、シーメンスのオイロダイン、
その他の往年のホーン型という浸透力の強い音のスピーカーをメインにすえながら、
ESL、ESS6A、デッカ・ケリーが揃っているのをみていると、
それだけであれこれ想像できて、楽しくなってくる。

「世界のステレオ」で野口晴哉氏のリスニングルームの写真を見た時、
すごいと思いながらも、聴く機会はおとずれないものと思っていた。
聴いてみたい、とは、だから思うことはなかった。
無理なのがわかっていたからだ。

それから四十年以上が経ち、聴く機会が訪れようとしている。

Date: 4月 24th, 2023
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その4)

パラゴン的なコンクリートホーンの開口部の左右の壁には、
スピーカーシステムが取りつけられている。

いわゆる壁バッフルなのだろう。
上下二段、下側は2080Fと2090Gの2ウェイ、
上側は音響レンズの形状からシーメンスのオイロダインと思われる。

興味深いと感じるのは、オイロダインの横に、
デッカ・ケリーのリボン型トゥイーターも壁に埋めこまれている点である。

「世界のステレオ」の記事の写真では、
壁のデッカ・ケリーの他に、小さなテーブルの上にもデッカ・ケリーが四本ある。

075から2405ヘの変更、
そしてデッカ・ケリーをこれだけ所有されていること。

野口晴哉氏が、どういう音を求められていたのか、
そのほんの一端ではあっても、うかがえるような気がしてならない。

Date: 4月 23rd, 2023
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その3)

ステレオサウンド 15号「オーディオ巡礼」に載っているシステムは、二系統。

ブロックダイアグラムの表記をそのままうつしておく。

 ウエスタンエレクトリック510Aウーファー4本
 ウエスターンエレクトリック530Aハイフレケンシーユニット
 JBL 075トゥイーター
 JBLネットワーク
 ウエスターン・エレクトリック594Aハイフレケンシーユニット
 マッキントッシュMC275パワーアンプ
 ビクターCF200チャンネルフィルター
 マランツ7プリアンプ
 JOBOターンテーブル
 SME3012トーンアーム
 シュアーカートリッジ

これが一つ目のシステムで、594Aに関しては図では一本だけなので、
モノーラル専用だったと思われる。
二つ目のシステムは下記のとおり。

 ウエストレックス2090Gハイフレケンシーユニット
 ウエストレックス2080Fウーファー
 マランツ8Bパワーアンプ
 EMTイコライザー
 EMT930stプレーヤー

「世界のステレオ」の記事にはブロックダイアグラムはない。
スピーカーは、ヴァイタヴォックスのCN191がある。
しかもこのCN191は、日本に輸入されていたモデルとは、ホーンを蔽うカバー部の細工が違っている。
本文によれば、ヨーロッパ仕様とのこと。

それからQUADのESLがあり、その中央にウェスターン・エレクトリックの757Aが、
一本だけ置いてある。

ESLの前には、その757Aを模したと思われるスピーカーが二基。
ホーンはJBLの2397が使われていることだけは写真からわかる。

ESLの後方の壁上部にはホーンの開口部がある。
コンクリートホーンの開口部なのだが、
一般的なコンクリートホーンとは違い、左右の開口部の中央に、
パラゴンを思わせる大きく湾曲したパネルがある。

この開口部の前に、ウェスターン・エレクトリックの594Aを、
JBLのHL90に装着した中高域ユニットがある。
HL90のスラントプレートは、一般的な使い方と上下逆に向いている。

トゥイーターはJBLの2405が594Aの上に取りつけられている。
2405は、ここだけではなく、
「オーディオ巡礼」でのシステムのT530Aの上にも使われている。

「オーディオ巡礼」のブロックダイアグラムをみればわかるが、
T530Aのホーンには、T550Aが組み合わされている。

T530A+T550Aは、JBLの375+537-500である。
「オーディオ巡礼」の時点ではトゥイーターは075だったのが、
六年後の「世界のステレオ」では2405になっているのは、興味深いところだ。

Date: 4月 23rd, 2023
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その2)

野口晴哉氏は、1976年6月22日に亡くなられている。
野口晴哉氏のリスニングルームが掲載されている朝日新聞社の「世界のステレオ」は、
1976年12月に出ている。

「野口晴哉コレクションより 幻の名器」、
この記事の冒頭には、こうある。
     *
 工業製品は技術の進歩にともなって、日ごと、その姿をかえてゆくものです。オーディオ機器もその例にもれることなく、数多くの製品が現われ、そして消えてゆきました。しかし、その中のいくつかは、消しても消えない光を放っていたのです。純技術的にはすでに過去のものでも、趣味性を重んじる愛好家にとっては、手の込んだ良き時代の製品がもつ人間味、音のうるおい、こうしたものはえがたい魅力なのです。オーディオでいう幻の名器とは、こうした魅力をもつ製品です。
 ここで紹介する製品はすべて故・野口晴哉氏のコレクション。氏は生前オーディオ愛好家として、また名器のコレクターとしても知られてました。惜しくも今年6月になくなられましたが、その直前までオーディオ製品を見る目は厳しく、すぐれた機器を手元におかれていたようです。今回、幸いにしてその一部を取材する機会にめぐまれました。幻の名器も、そここに見いだすことができます。
     *
「野口晴哉コレクションより 幻の名器」はカラー6ページの記事だ。
ステレオサウンド 15号「オーディオ巡礼」は1970年6月だから、
六年後のリスニングルームである。

「オーディオ巡礼」はリスニングルームの写真は、なぜかない。
「オーディオ巡礼」の扉は、
野口晴哉氏のクレデンザの前で正座されている五味先生の後ろ姿の写真だ。
本文中も、野口晴哉氏の写真、床や棚に置かれているスピーカーユニット、
それから簡単なブロックダイアグラムぐらいである。

「オーディオ巡礼」から「野口晴哉コレクションより 幻の名器」までの六年間で、
どういう変遷があったのかはわからない。
リスニングルームも同じなのか、改装されたのか、そのへんも記事からははっきりと読みとれない。

二つの記事をみていると、かなりかわっているともいえるのだが、
音はどうだったのだろうか。

「オーディオ巡礼」では、
《野口さんに会うのはコーナー・リボン以来だから、十七年ぶりになる》とある。
この十七年間でも、システムはかわっていたはずだ。

それでも、五味先生は書かれている、
《ちっとも変らなかった。十七年前、ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した》と。

Date: 4月 22nd, 2023
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その1)

野口晴哉氏の音楽室でのレコード鑑賞会が、
5月28日(日曜日)、14時から20時まで開催される。

オーディオマニアとしての野口晴哉氏を知っている人は、いまどのぐらいいるのだろうか。
ステレオサウンド 15号から始まった「オーディオ巡礼」で、
五味先生が最初に訪問されたのが野口晴哉氏だった。

そのことは別項で触れているし、引用もしているのでそちらを読んでいただきたい。

朝日新聞社が出していたムック「世界のステレオ」にも登場されていた。
野口晴哉記念音楽室にあるシステムは、
「世界のステレオ」掲載のシステムそのまま、ときいている。

野口晴哉氏が亡くなられてからは、誰もそのシステムに触れる人はいなかったそうだ。
それがようやくメインテナンスが施されつつある、ともきいている。

そういう状況なので、すべてのシステムが万全の調子で鳴るとは思えないのだが、
それでも、片鱗でも聴けるのであれば、やはり聴きたい。

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会は、入場料が必要だ。
前売りが3,000円、当日は3,500円、十八歳以下は無料。

すでにチケット申し込みは始まっている。
上記のリンク先をクリックしてほしい。

Date: 3月 17th, 2023
Cate: きく

聴けなかったからこそのたのしみ

ステレオサウンド 46号の特集は「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」、
この試聴テストには、ドイツのK+HのOL10というモデルが登場している。

OL10の試聴記の最後に、瀬川先生はこう書かれている。
《私がもしいま急に録音をとるはめになったら、このOL10を、信頼のおけるモニターとして選ぶかもしれない。》

これを読んで、無性にOL10が聴きたくなった。
といっても、46号は1977年に出ている。
まだ熊本に住んでいるころで、
熊本のオーディオ店でK+Hのスピーカーを扱っているところはなかった。

1981年に東京に出て来たからでも、オーディオ店でK+Hを見かけたことはなかった。
1982年からステレオサウンドで働くようになっても、K+Hのスピーカーを聴く機会は訪れなかった。

もう聴く機会はない、となかばあきらめているけれど、
それでもいいじゃないか、とおもう気持も持っている。

聴けなかったからこそ、
その音の良さを想像する楽しみがあるからだ。

OL10は、瀬川先生が、録音の仕事をするようになったら──、と書かれている。
ここだけで、OL10の音を想像する楽しみは、一段と増したからだ。

こういうひとことが書ける人こそがオーディオ評論家(職能家)である。

Date: 10月 23rd, 2022
Cate: きく

音楽をきく(その6)

マンガ「3月のライオン」の単行本には、
「先崎学のライオン将棋コラム」が載っている。

16巻には「棋士になるのを決めた日」が載っている。
     *
 すんごくリアルなことを書くと、入会する、そして棋士になるまでのパターンはふたつに分かれます。都会育ちの少年か、地方の少年か、です。
 都会に生まれ住むチビッ子天才の場合は、当然ながら家が近く、月二回の奨励会にも通いやすい。師匠だってすでについている、もしくは見つけやすいので、入会しやすい。また都会に住んでいると小学生の大会などが多い。そして、大会に出るということは、必然自分と同じくらいの才能を持った少年と接する機会が多くなり、子供同士も、時には親同士も仲良くなったりして自然とコミュニティが生まれ、この世界へ押し出しやすい環境ができるわけです。
 一方、地方の子はそうはいきません。まず、道場があまりない。これはまあ東京や大阪でも少ないので仕方ないのですが、問題は大会の数が都会とは違い、だから自分と同じレベルの小中学生と真剣勝負がしにくいということです。
 地方の小さな子供大会に出ると、まず優勝、それもぶっちぎりで勝つ。大人の大会に出ても上位に入る──。当然天才だあ、となります。だがここで壁にぶち当たる。
     *
同じだなぁ、と思いながら読んでいた。
東京に生れ、東京で育ち、家族や友人に音楽好きの人が多くいる、という環境、
田舎に生れ、田舎で育ち、家族や友人に音楽好きの人がほとんどいない、という環境。

これは前者が想像する以上に大きな違いである。

一ヵ月ほど前だったか、
ある歌手がストリーミング(サブスクリプション)について批判的なことを、
ソーシャルメディアに厳しい口調で投稿して、少し話題になっていた。

この人の投稿が話題になったときに、
この人は、音楽的にめぐまれた環境に生れ育った人なのか、
そんなことを思っていた。

この人にしても、最初は音楽の聴き手側からのスタートだったはずだ。

TIDALで音楽を聴くようになってから、
クラシックに関して落穂拾い的なことをやっている。
新しい録音を聴くだけでなく、聴いてこなかった古い録音も同じくらい聴いている。

クラシックに関してもそうであるのだから、
クラシック以外の音楽に関しても同じことをやっている。

Date: 9月 20th, 2022
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その25)

東芝ライフスタイルから、TY-XKR1というラジカセが先日発売になった。

ラジカセといっても、いまではCDラジカセが一般的になり、
カセットテープがついていないモノもある。

TY-XKR1は文字通りのラジカセ(ラジオとカセット)で、
スピーカーは10cm口径のコーン型が一発。モノーラル再生仕様である。

外形寸法はW26.5×H12.3×D10.0cmと、むしろ小型。
私が中学生の頃、使っていたラジカセよりも小さい。

価格は八千円ほど。
ちょっと買ってみようかな、という気持になった。

ここ二年ほど、グラシェラ・スサーナのカセットテープ(ミュージックテープ)を、
十本ほどヤフオク!で落札している。

これらスサーナのテープを、いまTY-XKR1で聴いたら、どんな感じなのだろうか。
TY-XKR1にドルビーはついていない。そうだろう、と思う。

いまドルビー搭載のラジカセ、カセットデッキの新製品はないのだから。
ドルビーなしでも、まったくかまわない。

私が落札したスサーナのミュージッテープのうち、ドルビーなのは一本だけ。
あとはドルビーはかかっていない。

それにTY-XKR1は外部入力端子がついている。
ここに、iPhone+PAW S1の出力を接続して聴いてみるのもいいかも──、
そんなことも想像している。

TY-XKR1の音に期待しているわけではない。
それでも、カセットテープをモノーラルで再生して、いまどう感じるのか。

三年前の7月のaudio wednesdayで、
グッドマンのAXIOM 150でのモノーラル再生を行っている。

ソニーのカセットデッキにマッキントッシュのプリメインアンプ。
モノーラル再生とはいえ、そこそこのシステムでの音だった。

TY-XKR1は、ラジカセ。
比較にならないほど貧弱なシステムといえる。

その音は、三年前の音ともずいぶん違うはず。
四十数年前、ラジカセで聴いていた音と、どれだけ違うのだろうか。

違いを聴きたいのではなく、どう感じるのかの違いを知りたい。

Date: 7月 21st, 2022
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その24)

ラジカセで聴きたいなんて、まったく思わない──、
そういうオーディオマニアもいるだろう。

それはそれでいい。
他人の私があれこれいうことではない。
それでも、古くからのステレオサウンドの読者ならば、
47号掲載の黒田先生の「ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」を、
もう一度読みなおしてほしい。

黒田先生は、ここでテクニクスのコンサイス・コンポについて書かれている。
キャスターのついた白い台に、コンサイス・コンポだけでなく、
B&Oのアナログプレーヤー、ビクターの小型スピーカー、S-M3をのせてのシステム。

これでレコードをあれこれきいた五時間について書かれていたのを、
当時、高校生の私は読みながら、いいなぁ、こういうシステム、
大人になったら実現したいなぁ、と思っていた。
     *
 いかなる再生装置できく場合でも、誰もが、そのとききくレコードできける音楽の性格にあわせて、音量を調整する。もしブロックフレーテの音楽を、マーラーのシンフォニーをきくような音量できくような人がいたとすれば、その人の音楽的センスは疑われてもやむをえないだろう。音楽が求める音量がかならずある。それを無視して音楽をきくのはむずかしい。
 ただ、多くの場合、リスニング・ポジションは、一定だ。ということは、スピーカーからききてまでの距離は、常にかわらないということだ。ブロックフレーテの音楽をきくときも、マーラーのシンフォニーをきくときも、音量はかえるが、リスニング・ポジションは、かえない。すくなくともぼくは、かえないできいている。それはそれでいい。
 ところが、キャスターのついた白い台の前ですごした5時間の間、そのときかけるレコードによって、耳からスピーカーまでの距離をさまざまにかえた。もっとも、それは、かえようとしてかえたのではなく、後から気がついたらそれぞれのレコードによって、台を、手前にひきつけたり、むこうにおしやったりしてきいていたのがわかった。むろん、そういうきき方は、普段のきき方と、少なからずちがっている。そのちがいを、言葉にするとすれば、スライドを、スクリーンにうつしてみるのと、ビューアーでみるのとのちがいといえるかもしれない。
 それが可能だったことを、ここで重く考えたいと思う。若い世代の方はご存じないことかもしれぬが、ぼくは、子供のころ、ラジオに耳をこすりつけるようにして、きいた経験がある。そんなに近づかないとしても、ともかくラジオで可能な音量にはおのずと限度があったから、たとえば今のように、スピーカーからかなりはなれたところできくというようなことは、当時はしなかった。いや、したくとも、できなかった。そこで、せいいっぱい耳をそばだてて、その上に、耳を、ラジオの、ごく小さなスピーカーに近づけて、きいた。
 当然、中波だったし、ラジオの性能とてしれたものだったから、いかに耳をすまそうと、ろくでもない音しかきけなかった。にもかかわらず、そこには、というのはラジオとききての間にはということだが、いとも緊密な関係があった──と、思う。そのためにきき方がぎごちなくなるというマイナス面もなきにしもあらずだったが、あの緊密な関係は、それなりに今もあるとしても、性格的に変質したといえなくもない。リスニング・ポジションを一定にして、音量をかえながら、レコードをきく──というのが、今の、一般的なきき方だとすれば、あのラジオのきき方は、もう少しちがっていた。
 そういう、昔のラジオをきいていたときの、ラジオとききてとの間にあった緊密な関係を、キャスターのついた白い台の上にのった再生装置一式のきかせる音は、思いださせた。それは、気持の上で、レコードをきいているというより、本を読んでいるときのものに近かった。
     *
《ブロックフレーテの音楽をきくときも、マーラーのシンフォニーをきくときも、音量はかえるが、リスニング・ポジションは、かえない。》
確かにそうである。

しかもきちんとしたオーディオで聴く場合には、
そのオーディオが置かれている部屋(リスニングルーム)に行く必要もともなう。

ラジオ、ラジカセはそうではない。
簡単に持ち運びできるモノだ。

47号の黒田先生の文章を読んで、そのことに気づかされたし、
いまこうやってラジカセについて書いていると、やはり、そのことがすぐに浮んでくる。

Date: 7月 20th, 2022
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その23)

友人のAさんから、ソニーのラジカセ(一万円を切る価格)を買った、という連絡があった。
朝とか深夜、オーディオのシステムの電源を入れるのも億劫と感じるときに、
ラジカセがあると満足だ、ということだった。

Aさんもオーディオマニアだから、ラジカセの音をいいとは思ってはいないけれど、
十分満足している、というのはよくわかる。

私も同じような感じだからだ。
ラジカセはいまは持っていないけれど、
昨晩書いた「シンプルであるために(iPhoneとミニマルなシステム・その3)」、
そこでのiPhone+PAW S1、それにヘッドフォンのシステムは、
私にとってラジカセといえるものだ。

カセットテープこそ聴けないが、
iPhoneにインターネット・ラジオのアプリをインストールすればラジオが聴けるし、
TIDALやその他のストリーミングを使えば、好きな時間に好きな音楽を聴ける。
もちろんCDをリッピングしてiPhoneにコピーしておくことで、CDも聴ける。
しかもMQAで聴ける。

とにかくなにがいちばんいいかというと、電源を入れるというか、
iPhoneをスリープを解除するだけで、すぐに聴きたい音楽を聴ける。

本格的なオーディオのシステムでも、電源を入れれば、音はすぐに出てくる。
けれどそれだけで本領発揮とはいえない。
電源を入れ、音楽を鳴らしているウォームアップの時間をある程度要してからが、
そのシステムの音といえる。

その過程における音の変化を確かめるのもオーディオマニアだから、
関心もあるし、そういうものだと割り切っている面もある。
とはいえ、そういうことにまったくわずらわされることなく、
すっと音楽を聴きたい時がある。

そのための、なんらかのシステムが常にあってほしい。

Date: 6月 5th, 2022
Cate: きく

音楽をきく(その5)

私が10代のころ、レコード(LP)は高かった。
当り前のことだが、本は買えば読むための機器は必要としない。

レコードは違う。
それを再生する装置が必要となる。

それに本は図書館という存在があった。
学校にもあったし、市立の図書館もある。

東京だと図書館にレコードもあるけれど、
私の田舎ではなかった、と記憶している。

レコードと接する機会が田舎と都会とでは、そうとうに違う。
レコードはそうであっても、FMがあるだろう、といわれそうだが、
FMの民放が増えてきたのは、もう少しあとのことで、私が田舎にいたころは、NHKのみだった。
FMの民放は、隣りの福岡にはあったけれど、その電波は届かず、である。

とにかく、いろんな音楽を聴きたい、と思ったところで、かなわなかった。
私だけのことではないはずだ。
私と同世代、そして田舎暮しの人は同じだったのではないだろうか。

それでも家族に音楽好き、そうとうな音楽好きがいれば、少しは変ってこよう。
けれど、そんな人は私の周りにはいなかった。

東京に来て知ったのは、音楽に関してひじょうに恵まれた環境にいた人が、
少なからずいる、ということだった。

とにかく聴ける環境が違いすぎていた。
音楽評論家になる(なった)という人たちは、
10代のころに、どれだけ多くの音楽を聴いていたかは、とても重要なこととなっている。

だからといって、自分の環境を嘆きたいのではなく、
いまの時代は、もうそうではなくなっている、といいたいだけである。

TIDALをはじめ、ストリーミングで世界中の音楽が満遍なく聴ける。
それこそスマートフォンとイヤフォンがあれば、鑑賞にたえる音で聴ける。

Date: 6月 5th, 2022
Cate: きく

音楽をきく(その4)

私が生れた田舎は、さほど人口も多くない。
それでも当時は書店は何軒もあった。
いま思い出してみると、少なくとも六軒はあった。
すべて個人経営の書店である。

いま住んでいるところは書店の数が減ってきている。
人口は私の田舎よりも多いにも関わらずだ。

昔は、そのくらいあたりまえのように身近に書店がいくつもあった。
それでも田舎の書店は大きいわけではなかった。

その田舎からバスで一時間、熊本市内には大きな書店があった。
数ヵ月に一度、その書店に行くのが楽しみだった。

往復のバス代だけで二千円ほどかかるから、
読みたい本がすべて買えるわけではなかった。
書籍代よりもバス代のほうが高いのだから。

東京で暮すようになって、まず行ったのは三省堂書店だった。
ウワサには聞いていた。
実際に行ってみて、こんなに大きいのか、とその規模に驚いたものだ。

熊本市内の大きな書店よりもはるかに大きい。
しかも新宿には紀伊國屋書店もある。
東京のすごさを感じていたものだが、
それでもレコード店に関しては、三省堂書店、紀伊國屋書店に匹敵する規模のところは、
東京といえどまだなかった。

六本木にWAVEができるまでは、なかった、といっていいだろう。
秋葉原には石丸電気のレコード専門のビルがあったけれど、
それでも三省堂書店、紀伊國屋書店の規模かといえば、そうとはいえなかった。

私の田舎では、レコード店は少なかった。
書店は私が住んでいる時代に新しい店が二軒できたけれど、
レコード店はそうではなかった。

そういう環境で18まで育った。
東京に来て、それからステレオサウンドで働くようになって、
10代のうちに聴けた音楽の量に関して、同世代であっても、
田舎暮しと都会暮しではそうとうな差があったし、
さらにまわりに音楽好きな人たちがいる、という環境の人とは、
その差がさらに広がる。

Date: 5月 15th, 2022
Cate: きく

音楽をきく(その3)

「どうでもいいことがどうでもよくはなくて、しかしどうでもよくはないものがなくても音楽はきける」、
これは「ステレオのすべて ’77」掲載の黒田先生の文章のタイトルである。

黒田先生自身によるタイトルなのか、編集者によるものなのか、
そこは判然としないが、私は黒田先生がつけられたのではないだろうか、と勝手に思っている。

ここには二枚のディスクが登場する。
一枚はフルトヴェングラーのベートーヴェンのレコードである。
もう一枚はシンガーズ・アンリミテッドのレコードである。

これらのレコードをきいている男は同じではなく、二人である。
フルトヴェングラーのレコードをきいている男は、
倉庫のようなところで、裸電球の下でフルトヴェングラーのベートーヴェンをきいている。

シンガーズ・アンリミテッドのレコードをきいている男は、
高級マンションの一室で、調度品も周到に選ばれていて、
そういう環境で、シンガーズ・アンリミテッドの歌をきいている。

黒田先生は《音楽の呼ぶ部屋がある》とも書かれている。
そして、こうまとめられている。
     *
 要するに、お気に召すまま──だとは思う。みんなすきかってにやればそれでいい。倉庫のようなところでシンガーズ・アンリミテッドをきこうと、気取った猫足の椅子にふんぞりかえってフルトヴェングラーをきこうと、誰もなにもいわない。しかし、無言のうちに、そこでひびいた音楽が、そのききてを裁いているということを、忘れるべきではないだろう。
     *
黒田先生が、この文章を書かれた時よりも、
いまは実にさまざまなところで音楽がきける時代だ。
スマートフォンとイヤフォンがあれば、それこそトイレの個室でも音楽をきける。

そういう時代だから、
「どうでもいいことがどうでもよくはなくて、しかしどうでもよくはないものがなくても音楽はきける」、
このタイトルをじっくりと読み返してほしい。