Archive for category スピーカーの述懐

Date: 1月 16th, 2013
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その2)

スピーカーは音は出しても、何も語らない。
こういうふうに、ほんとうに鳴らしてほしい、とか、
こういうふうに調整してくれれば、もっともっと能力を発揮できるのに……、
などと語ってくれるわけではない。

もしスピーカーが、そんなことを語ってくれたら、
スピーカーのいままでの、いい音を出すための苦労の何割かはなくなってしまうかもしれない。
スピーカーは、なにひとつ具体的なことは語らない。

けれど、そのスピーカーが鳴らす音、音楽を聴くことで、
聴き手が、具体的なことをそこから感じとることは決して不可能なことではない。

私は、オーディオはスピーカーとの協同作業だと思っている。
協同作業だからこそ、スピーカーから学ぶことがある。
学ぶことがあれば、考えることも生じてくる。
だから、これまでもいろいろと考えてきたし、いまもあれこれ考えている。
これから先も考えるのは、スピーカーとの協同作業において、スピーカーが語ることができないから、ともいえる。

ステレオサウンド 72号に掲載されている上弦(シーメンス音響機器調進所)の広告は、
伊藤先生が書かれている。
「スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。」

スピーカーはそんなことはもちろんいわない。
おくびにも出さない。

協同作業であるからこそ、試されている、といえるのではないのか。

Date: 1月 8th, 2013
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その1)

スピーカーはアンプからの電気信号を振動板の動きに変え音を発するメカニズムである。
でも、といおうか、当然、といおうか、スピーカーはしゃべらない。

スピーカーが音にするのは、あくまでもアンプから送られてきた電気信号である。
もしスピーカーが意志があったとしても、その意志を電気信号に変え、
スピーカーにとって前段といえるアンプにフィードバックでもしないかぎり、スピーカーはなにひとつ語らない。

いま、1970年代のオーディオ雑誌を中心に、
レコード会社の広告、オーディオメーカーの広告、輸入商社の広告をもういちど見直している。

オーディオの広告のありかたもずいぶん変ってきた、と感じる。
オーディオ雑誌におけるオーディオの広告とは、
広告というポジションだけに、昔はとどまっていなかったところがある。

すべてとはいわないけれど、一部の広告は、ひとつの記事として読める内容を持っていた。
だから私は、オーディオ雑誌を手にした最初のころは記事はもちろんなのだが、
広告も熱心に読んでいた。広告から学べることもあった。

1970年代の広告といえばいまから40年ほど前のものだ。
いまのオーディオ雑誌に載っている広告を、40年後に見直すとしたら、
どういう感想をもてるだろうか、とつい比較しながらおもってしまう。

そんなことを年末から集中的にやっていた。
ある広告の、あるキャッチコピーが、数多くの広告を集中的に見たなかでひっかかった。

Lo-Dのスピーカーシステムの広告に、こうあった。
あるスピーカーの述懐

これを目にしたとき、ブログのテーマにしよう、と思った。
どういう内容にするのかは何も浮ばなかったけれど、
何も語ることのできないスピーカーが、
そのスピーカーの使い手(鳴らし手)のかける音楽を、どう鳴らすかによって、
スピーカーは間接的に語っている──、
そうとらえれば、「あるスピーカーの述懐」というタイトルとテーマで書いていけることは、
きっといくつも出てくるであろう。