Archive for category audio wednesday

Date: 7月 2nd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第六夜(いよいよ明日)

1月の序夜から始まったaudio wednesdayも半年(六回)が終った。
7月からの後半のスタートでは、もう一度、序夜で鳴らしたメリディアンのDSP3200を鳴らす。
序夜でのDSP3200の音を聴いていて、
そして聴き終ってからも、あることを考えていた。

DSP3200にエラックのスーパートゥイーター、
4PI PLUS.2を足したらどうなるのか。
その音を想像するだけで、ひとりワクワクしていた。

不安もないわけではない。
DSP3200はウーファーとトゥイーターの時間軸を揃えてある。
そこにスーパートゥイーター、
それも放射パターンが大きく違うモノを加えて、
果たしてうまくいくのか。

やってみないことと、わからない。
ワクワクがドキドキに変っていくのだろうか。

パワーアンプ内蔵のアクティヴ型だが、相棒といえるメリディアンの218との組合せでは、スーパートゥイーターを足すこともさほど難しいことではない。シンプルで完成されたシステムでありながらも、こういった拡張もまた可能である。

7月の音は、1月の序夜を聴いた人にぜひ聴いてもらいたい。

Speaker System: Meridian DSP3200
Super Tweeter: ELAC 4PI PLUS.2
Power Amplifier: Accuphase A20V
D/A Converter: Meridian 218

Date: 6月 23rd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜を終えて(その3)

昔からいわれていることを、実感していた。
モノーラル録音は、モノーラル再生すること、である。

つまりスピーカーを片側一本だけにして聴く。
そのことの重要性を、あらためて感じていた。

左右のスピーカーシステムの特性が、どの項目においても完全に一致していて、
聴いた印象においても、まったく同じ鳴り方をするのであれば、
さらに部屋の条件も、左右のスピーカー周りにおいてまったく同一であり、
とにかく部屋を含めて左右の特性、条件がすべてにおいて完全一致している、
そんな理想的な状態ならば、モノーラル録音を、左右のスピーカー二本で鳴らしても、
今回のような結果が得られるのかもしれないが、
それだけのことを実現するのは、まず無理といっていい。

ならばどちらか片方のスピーカー、もしくはモノーラル録音専用に、
一本だけのスピーカーを用意するか。どちらかである。

モノーラル録音を、左右二本のスピーカーで再生した場合、
左右のスピーカーから発せられた音は空間合成されるわけだが、
左右のスピーカーの音が完全に一致していることはまずありえない。
部屋の条件が、そこに加わるわけで、そういった状況下では空間での音の合成は、
打ち消される、もしくは弱まるところも生じているはずだ。

それはほんのわずかなことなのかもしれないが、
こうやってモノーラル録音を一本のスピーカーだけで聴いた時の、
演奏の表情の豊かさは、やはり二本のスピーカーでの再生は、
なにかが打ち消されている──、そうとしか思えない。

ヌヴーのヴァイオリンも素晴らしかったし、
カスリーン・フェリアーの歌も素晴らしかった。

菅野先生もモノーラル録音を聴かれるときは、片方のスピーカーだけで鳴らされていた。

Date: 6月 14th, 2024
Cate: audio wednesday, ディスク/ブック

フィガロの結婚(クライバー・その5)

7月3日のaudio wednesdayで、メリディアンのDSP3200をふたたび鳴らす理由のひとつが、
このエーリッヒ・クライバーによる「フィガロの結婚」を、
MQAで一人でも多くの人に聴いてもらいたいから、である。

ワンポイント録音だといわれる、この「フィガロの結婚」は、
「フィガロの結婚」という作品の美しさを、演奏(録音)された時代を背景に、
見事に聴き手に提示(展開)してくれる。

すでに書いているように、MQAで聴くといっそう、その感を強くする。
とはいえ、TIDALにエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」はあるが、
残念なことにMQAではないし、e-onkyoでもすでにMQAでの購入はできない。

もしかするとHDtracksで今年後半には聴けるようになる可能性はあるが、
それもはっきりといえるわけではない。

とにかくいまエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」をMQAで聴く機会は、
ひじょうに限られている。

だからこそDSP3200での「フィガロの結婚」である。

Date: 6月 12th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜・選曲について・反省

ジャクリーヌ・デュ=プレのバッハもかける、と5月28日に書いている。
6月5日当日、もちろんかけるつもりだった、というよりも、絶対かける、と決めていた。

なのにすべてが終って片づけをしているときに、
ジャクリーヌ・デュ=プレのバッハをかけていなかったことに気づいた。

Date: 6月 12th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 半年を終えて

ステレオサウンド 32号掲載の伊藤先生の連載「音響本道」。
「孤独・感傷・連想」というタイトルの下に、こう書いてあった。
     *
孤独とは、喧噪からの逃避のことです。
孤独とは、他人からの干渉を拒絶するための手段のことです。
孤独とは、自己陶酔の極地をいいます。
孤独とは、酔心地絶妙の美酒に似て、醒心地の快さも、また格別なものです。
ですから、孤独とは極めて贅沢な趣味のことです。
     *
1月の序夜から始まった今年のaudio wednesday。
6月の会で半分を終えた。
5月には、野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会もあった。

これら七回の音をふりかえって、《喧噪からの逃避》といえる音は出ていた(出していた)。

Date: 6月 8th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜を終えて(その2)

audio wednesdayの開始は19時。
開場は18時で、開始までの一時間も、音楽をかけているけれど、
最初の一曲として鳴らすのは、19時からの音楽だ。

今回はグレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲をかけた。
もちろんモノーラルしかかけられないので、1955年録音のほうである。
アリアと続く変奏曲をいくつかかけて、次の曲にうつる。

ジネット・ヌヴーとハンス・シュミット=イッセルシュテットによる
ブラームスのヴァイオリン協奏曲。ライヴ録音である。
第一楽章を最後までかけた。

この演奏は、いろんな盤で聴いている。
アナログディスクでは二枚、
CDでは三枚の、それぞれ異る盤で聴いている。

今回TIDALで聴けるアルバムは、CDでも持っていて聴いている。
ヌヴーのヴァイオリンが、これまで聴いてきたどれよりも表情豊かだったことに、
内心驚いていた。

すごい演奏だ、とは最初に聴いた時から感じていた。
そのすごさに少しばかり耳を奪われすぎていたのか、
ここまで表情豊かだったとは、正直気づかなかった。

だからといって、表情に乏しいヴァイオリニストだと思っていたわけではない。
むしろ逆であり、それだから、
今回、こんなにも(ここまで)表情豊かだったのか、と驚いた次第。

Date: 6月 6th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜を終えて(その1)

昨晩は、audio wednesday 第五夜。
ウェスターン・エレクトリックの757Aをモノーラルで鳴らしたから、
曲もすべてモノーラル録音と言う制約つき。

スピーカーの757AとパワーアンプのマッキントッシュのMC275は、
まだ年代的に近い同士だが、
D/AコンバーターのメリディアンのULTRA DAC、
音源となるroonのNucleusと周辺機器はわりと新しい機器であり、
年代的には五十年ほどの開きがある。

むちゃくちゃな組合せと思われるかもしれないが、大事なのはそこから鳴ってくる音であり、
満足していたの私だけではなく、
今日、facebookに二人の方からコメントがあったが、満足されていた、とあった。

モノーラルで鳴らすことは、以前のaudio wednesdayでやったことがある。
その時よりも、今回のほうが楽しく充実していたのは、TIDALのおかげでもある。

次に鳴らしたい(聴きたい、かけたい)曲が浮んできたら、すぐにかけられる。
あのディスクをもってくればよかった……、というおもいはしなくてすむ。
リクエストにもある程度応えられる。

12月、もう一度、やろうと考えている。

Date: 6月 6th, 2024
Cate: audio wednesday, ディスク/ブック

二年ぶりに聴くBrahmus: Symphony No.1(Last Movement, Berlin 23.01.1945)

二年前の9月に、フルトヴェングラーのブラームスの交響曲第一番のことを書いた。

五味先生の「レコードと指揮者」からの引用をもう一度しておく。
     *
 もっとも、こういうことはあるのだ、ベルリンが日夜、空襲され、それでも人々は、生きるために欠くことのできぬ「力の源泉」としてフルトヴェングラーの音楽を切望していた時代──くわしくは一九四五年一月二十三日に、それは起った。カルラ・ヘッカーのその日を偲ぶ回想文を薗田宗人氏の名訳のままに引用してみる──
「フルトヴェングラーの幾多の演奏会の中でも、最後の演奏会くらい強烈に、恐ろしいほど強烈に、記憶に焼きついているものはない。それは一九四五年一月二十三日──かつての豪華劇場で、赤いビロードを敷きつめたアドミラル館で行なわれた。毎晩空襲があったので、演奏会は午後三時に始まった。始まってまもなく、モーツァルトの変ホ長調交響曲の第二楽章の最中、はっと息をのむようなことが起った。突如明りが消えたのである。ただ数個の非常ランプだけが、弱い青っぽい光を音楽家たちと静かに指揮しつづけるフルトヴェングラーの上に投げていた。音楽家たちは弾き続けた。二小節、四小節、六小節、そして響はしだいに抜けていった。ただ第一ヴァイオリンだけが、なお少し先まで弾けた。痛ましげに、先をさぐりながら、とうとう優しいヴァイオリンの旋律も絶え果てた。フルトヴェングラーは振り向いた。彼のまなざしは聴衆と沈黙したオーケストラの上を迷った。そしてゆっくりと指揮棒をおろした。戦争、この血なまぐさい現実が、今やはっきりと精神的なものを打ち負かしたのだ。団員がためらいながらステージを降りた。フルトヴェングラーが続いた。しばらくしてからやっと案内があって、不慮の停電が起りいつまで続くか不明とのことであった。ところが、この曖昧な見込みのない通知を聞いても、聴衆はただの一人も帰ろうとはしなかった。凍えながら人びとは、薄暗い廊下や、やりきれない陰気な中庭に立って、タバコを吸ったり、小声で話し合ったりしていた。舞台の裏では、団員たちが控えていた。彼らも、いつものようにはちりぢりにならず、奇妙な形の舞台道具のあいだに固まっていた。まるでこうしていっしょにいることが、彼らに何か安全さか保護か、あるいは少なくとも慰めを与えてくれるかのように。フルトヴェングラーは、毅然と彼らのあいだに立っていた。顔には深い憂慮が現われていた。これが最後の演奏会であることは、もうはっきりしていた。こんな事態の行きつく先は明瞭だった。もうこれ以上演奏会がないとすれば、いったいオーケストラはどうなるというのだ。」
 このあと一時間ほどで、待ちかねた演奏会は再開される。ふつう演奏が中断されると、その曲の最初からくりかえし始められるのがしきたりだが、フルトヴェングラーはプログラムの最後に予定されたブラームスの交響曲から始めた、それを誰ひとり不思議とは思わなかった。あのモーツァルトの「清らかな喜びに満ちて」優美な音楽は、もうこの都市では無縁のものになったから、とカルラ・ヘッカーは書きついでいるが、何と感動的な光景だろうか。おそらく百年に一度、かぎられた人だけが立会えた感動場面だったと思う。こればかりはレコードでは味わえぬものである。脱帽だ。
     *
この日のブラームスの交響曲第一番の最終楽章のみ録音が残っている。
CDで初めて聴いたのは、三十年以上前。

そうそう頻繁に聴く演奏ではない。
2022年にひさびさに聴いた時、二十年近く経っていた。

今回、昨晩のaudio wednesdayで、このフルトヴェングラーのブラームスをかけた。
ウェスターン・エレクトリックの757Aでかけた。
TIDALでメリディアンのULTRA DACを通して、アンプはマッキントッシュのMC275。

このラインナップでどういう音を想像されるか。
想像できないという人もいるだろうし、
757Aはそんな組合せで鳴らすスピーカーではない、という人がいてもいい。

人の想像力なんて、かぎられたものだ。
そんなことを実感した。

昨日は、まだ明るいうちから757Aを鳴らしていた。
いろんな曲をかけていた。
だから、このぐらいの音で鳴るであろう、という予測はついていた。
誰かが鳴らしているわけじゃない。
ほかならぬ自分で鳴らしているのだから、それが大きく外れることはないのだが、
このフルトヴェングラーのブラームスは大きく違った。

五味先生は
《何と感動的な光景だろうか。おそらく百年に一度、かぎられた人だけが立会えた感動場面だったと思う》
と書かれている。

そうだと私だって思っていた。
けれど昨晩の音は、《レコードでは味わえぬ》領域に一歩踏み出していた。

Date: 6月 5th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第六夜(ふたたびMeridian DSP3200)

今晩(6月5日)で、audio wednesdayは半分を終えた。
7月から後半が始まる。

7月こそ、第五夜で予定していた757Aレプリカをいくつかのことを試みて鳴らそうと考えていた。
けれど7月の第六夜は、
1月の序夜で鳴らしたメリディアンのDSP3200をもう一度鳴らすことにした。

序夜では少しばかりの準備不足もあったし、初めての空間ということも重なって、
結果としての音は満足できたものの、
私の中ではもっと鳴らせるはず、というおもいが残っていた。

ラインナップは序夜と同じになる。
メリディアンの218との組合せで鳴らす。

そして以前告知しているように、DSP3200にエラックの4PI PLUS.2を組み合わせる。

DSP3200のセッティングも序夜と基本的には同じになるが、
もっと左右に拡げて鳴らす。

Date: 6月 4th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜(いよいよ明日)

Western Electric 757Aで聴くモノーラルだけの三時間。
明日(6月5日)のaudio wednesdayのテーマである。
5月1日の会に来られた方には、もう説明は不要だろう。
もう一度、ぜひ聴きたい──、
そう思う人がほとんどというくらいに最後に鳴らした757Aの音は素晴らしかった。

みすぼらしい外観の757A、しかも一基だけだからモノーラルでしか鳴らせない。
誰もが、「このスピーカー、鳴るの?」と思っていたことだろう。

私だって、たぶん鳴ってくれるはずだけど……、という不安も少しばかりあった。

最初にかけたのはカザルス・トリオによるハイドンのピアノ三重奏曲 第25番。
1927年の、この録音が、ひっそりと、実に品よく鳴ってくれた。
次にかけたのは、カザルスとゼルキンによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ 第一番(第一楽章)、
1953年の録音。これが実に活き活きと鳴ってくれた。二人の体温が伝わってきそうな感じでもあった。

どちらにも共通していえるのは、音楽の息づかいが濃く伝わってくることだ。

この日、757Aの音に接した人は、みな、もっと聴いていたいと思っていたはず。
私もそうだ。だから6月5日は、たっぷりと757Aを聴いてもらう。

Speaker System: Western Electric 757A
Power Amplifier: Accuphase A20V, McIntosh MC275
D/A Converter: Meridian ULTRA DAC

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

18時から音は鳴らしているけれど、
19時までの一時間は、質問、雑談の時間でもある。

音を鳴らし始めると、話す時間がほとんどなくなる。
とにかく聴いてもらいたいし、曲を途中で止めるのもできればやりたくないため、
曲の紹介を短めでやるくらいになってしまっている。

なので18時から19時までは、話のほうに少しはウェイトをおきたい。

会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。
大学生以下は無料。

Date: 5月 28th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第五夜・選曲について

「今日はカザルスはかけないんですか」
5月26日の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会で、そういわれた。

「今日はかけないんです。でもaudio wednesdayでは必ずかけます」
とこたえた。
「行きます」と返ってきた。

私に直接いってきた人は一人だけだったが、
他にも数人の方が「カザルスはかけないんですか」といわれていた、とのこと。

6月5日のaudio wednesdayは、
ウェスターン・エレクトリックの757Aでのモノーラル録音のモノーラル再生。
カザルスももちろんかける。

そしてジャクリーヌ・デュ=プレのバッハもかける。
デュ=プレがBBCに残した録音がCDとして世に出たのは、いまから三十年以上前。

デュ=プレはどうしてバッハを録音しなかったのか──。
デュ=プレの演奏にふれたときから、ずっーとそう思い続けてきた。

だから、やっぱり残っていた(録音していた)。
そのことを喜ぶとともに、年代的にはステレオ録音でもおかしくないのに、
モノーラル録音だったことに、すこしばかりがっかりした。

デュ=プレが残したバッハは一番と二番のみ。
全曲ではないけれど、聴ける、というそのことに感謝しかない。

757Aの音を聴くまでは、なぜモノーラルなの? だったのが、
いまではモノーラルでよかったかもしれない、と思い直している。

6月5日、カザルスとデュ=プレ、ふたりのバッハをかける。

Date: 5月 10th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜を終えて(その8)

ウェスターン・エレクトリックの757Aについて、
まだまだ書きたいことがある。

でも、今回はこのへんにしておこう。
6月5日のaudio wednesdayでも、757Aを鳴らす。
三時間、すべて757Aの時間だ。

そこでもまた書きたいことが、いろいろと出てくるはずだから。

今回、757Aでかけた曲は、
カザルス・トリオ(ティボー、コルトー、カザルス)による
ハイドンのピアノ三重奏曲 第二十五番(第一楽章と第二楽章)、
1927年の録音と、
カザルスとゼルキンによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ 第一番(第一楽章)、
1953年の録音である。

この後に、カザルスによるバッハの無伴奏チェロ組曲をかけるつもりだったが、
アンカーのモバイルバッテリーがちょうど残量ゼロになったため、かけずじまいになってしまった。

壁のコンセントからAC電源をとれば、音は鳴らせるのだけど、
次回の楽しみということで、カザルスのバッハは聴いていない(かけていない)。

Date: 5月 8th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜を終えて(その7)

ウェスターン・エレクトリックの757Aを聴き終って、思い出していたのが、
吉田秀和氏の、ゼルキンについて書かれた文章だった。
以前、別項で引用しているが、もう一度読んでほしい。
     *
 そのうち、私は、レコード会社の人からきいた、一つのエピソードを思い出した。
 もう大分前のことになるが、現代の最高のピアニストの一人、ルドルフ・ゼルキンが日本にきた時、その人の会社でレコードを作ることになった。ゼルキンはベートーヴェンのソナタを選び、会社は、そのために日本で最も優秀なエンジニアとして知られているスタッフを用意した。日本の機械が飛び切り上等なことはいうまでもない。約束の日、ゼルキンはスタジオにきて、素晴らしい演奏をした。そのあと彼は、誰でもする通り、録音室に入ってきて、みんなといっしょにテープをきいた。ところが、それをきくなり、ゼルキンは「これはだめだ。このまま市場に出すのに同意するわけにいかない」と言い出した。理由をきくと「これはまるでベートーヴェンの音になっちゃいない」という返事なので、スタッフ一同、あっけにとられてしまった。今の今まで、そんな文句をいわれた覚えがないのである。
 ことわるまでもないかも知れないが、レコードというものは、音楽家が立てた音をそっくりそのまま再現するという装置ではない。どんなに超忠実度の精密なメカニズムであろうと、何かを再現するに当って、とにかく機械を通じて行う時は、そこにある種の変貌、加工が入ってこないわけにはいかないのである。そう、写真のカメラのことを考えて頂ければ良い。カメラは被写体をあるがままにとる機械のようであって、実はそうではない。カメラのもつ性能、レンズとかその他のもろもろの仕組みを通過して、像ができてくる時、その経過の中で、被写体は一つの素材でしかなくなる。あなたの鼻や目の大きさまで変ってみえることがあったり、まして顔色や表情や、そのほかのいろんなものが、カメラを通じることにより、あるいは見えなくなったり、より強度にあらわになったりする。そのように、音楽家が楽器から出した響きも、録音の過程で、音の高い部分、中央の部分、低い部分のそれぞれについて、あるいはより強調され、ふくらませられたり、あるいはしぼられ、背後にひっこめられたり等々の操作を通過してゆく間に、変貌してゆく。
 その時、「本来の音」を素材に、そこから、「どういう美しさをもつ音」を作ってゆくかは、技師の考えにより、その腕前にかかっている。レコードの装置技師は、いわゆる音のコックさんなのだ。もちろん、それでも、いや、それだから、すぐれた技師は、発音体から得られた本来の音のもつ「美質」を裏切ることなしに、その人その人のもつ音の魅力をよく伝達できるような「音」を作るといってもいいのだろう。
 だが、ゼルキンが「これはベートーヴェンの音じゃない」といった時、日本の最も優秀な技術者たちは、その意味を汲みかねた。「何をもってベートーヴェンの音というのか?」困ったことに、それをいくら訊きただしてみても、ゼルキン先生自身、それ以上言葉でもって具体的に説明することができず、ただ「これはちがう、ベートーヴェンじゃない」としかいえない。それで、せっかくの企画も実を結ばず、幻のレコードに終ってしまった──というのである。
(「ベートーヴェンの音って?」より)
     *
5月1日にかけたカザルスとゼルキンによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ。
「これはまるでベートーヴェンの音になっちゃいない」、
絶対に、そうはいわれなかったという自負はある。

Date: 5月 6th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜を終えて(その6)

アルテックの604が、604Eから604-8Gになった際に、
インピーダンスが16Ωから8Ωとなった。
その理由として、トランジスターアンプにとって16Ωよりも8Ωのほうがパワー的に有利だから、
そんなことがいわれていた。

たしかにトランジスターアンプの場合、16Ω負荷よりも8Ω負荷のほうが、
パワーは二倍になる。

けれど、この理由づけは、中学生の時に読んだ時から少し疑問もあった。
真空管アンプの場合、出力トランスを備えているから、
負荷が16Ωであろうと、8Ω、4Ωであってもパワーは同じである。

なのに、真空管アンプ時代のスピーカーのインピーダンスは、
16Ω、15Ωと表示されているものが大半だった。

ウェスターン・エレクトリックの757Aも、そんな真空管アンプ時代のスピーカーである。
757Aの時代、トランジスターアンプは存在していなかった。

ならば当時の常識で捉えるならば、757Aのインピーダンスは16Ωと思ってしまう。
けれど実際は4Ωである。
8Ωでもなく4Ωである。

757Aのネットワーク702Aは、
28μFのコンデンサーと0.91mHのコイルからなる12dB/oct.のスロープ特性てある。
クロスオーバー周波数は、ほぼ1kHzである。

なぜ4Ωなのか。
コイルの値を小さくしたかったからではないのだろうか。