Archive for category ディスク/ブック

Date: 10月 23rd, 2023
Cate: ディスク/ブック

Alice Ader(その3)

2010年1月に買ったアリス・アデールの「フーガの技法」。
聴いてすぐに感じたのは、
グレン・グールドがピアノで「フーガの技法」を演奏していたら──、だった。
同じ感銘を受けただろう、である。

だからといって、グールドとアリス・アデールの演奏がまったく同じということではなく、
いいたいのは感銘が同じということだ。

ここでもグレン・グールドのことばを引用しておくが、
グールド、こう語っている。
     *
芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
     *
グールドが語る《芸術の目的》を、アリス・アデールの「フーガの技法」に感じていた。

Date: 10月 15th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Alice Ader(その2)

アリス・アデールの「フーガの技法」を初めて聴いた日のことは憶えている。
それまでアリス・アデールのことはまったく知らなかった。
名前も聞いたこと、見たこともなかった。

若いピアニストではなかった。
現在、78歳のフランスのピアニストである。

「フーガの技法」を聴き終って、なぜ、この人をいままで知らなかったのか、
不思議でならなかった。

そのアリス・アデールが、2024年2月に来日する。
やはり初来日ということだ。

武蔵野市立武蔵野市民文化会館の小ホールで、
2月12日が「フーガの技法」、
17日がドビュッシー、ラヴェルなどのフランスの作曲家の小品。

チケット販売は、今日から始まっている。

Date: 10月 10th, 2023
Cate: ディスク/ブック

アンジェラ・ヒューイットのモーツァルト

アンジェラ・ヒューイットの名前は知っていた。
グレン・グールドと同じトロント出身のピアニストとして知っていた。

ずっと以前に、もうおぼろげだけどCDを買って聴いている。
バッハのピアノ協奏曲だったはずだ。

聴いていることは確かだけど、それきりだった。
悪いとは思わなかったけれど、印象に残るということもなかった。

アンジェラ・ヒューイットは、ハイペリオンに移籍している。
ハイペリオンは、別項で書いたように最近MQAでの配信を開始している。

アンジェラ・ヒューイットの最新録音、
モーツァルトのピアノ・ソナタも、MQAでTIDALで聴ける。

今回聴いたのは二枚目のほう。
MQAだから、ハイペリオンだから聴いてみよう、
そんな軽い気持からだったけれど、
最初に鳴ってきた音を聴いた時から、
内田光子のモーツァルトのピアノ・ソナタを聴いた時のことを思い出していた。

今回聴いたアンジェラ・ヒューイットのアルバムと曲目が重なる。
フィリップスからの内田光子のデビュー盤を聴いた時の情景が浮んできそうだった。

それから四十年ほど経ってのアンジェラ・ヒューイットのモーツァルト。
この演奏が最高とまではいわないけれど、
聴いていて、実に気持いい。

演奏も音も素晴らしい。
気持ちのよいピアノの音がしている。

Date: 10月 6th, 2023
Cate: ディスク/ブック

el Tango de Astor Piazzolla

“el Tango de Astor Piazzolla”。
ミルヴァのアルバムだ。

TIDALでは以前から配信されていた。
ただしFLACだった。
昨晩、MQAになっていないかなぁ、とかすかな期待をもって検索してみたら、
なんとMQAになっていた。

他のミルヴァのアルバムも、いくつかMQAになっている。
オルネラ・ヴァノーニは? と思って、
こちらも見ると、以前よりもMQAのタイトルが増えていた。

まだまだMQAになってほしい(MQAで聴きたい)アルバムはある。
それでもミルヴァの“el Tango de Astor Piazzolla”がMQAで聴けるようになったのは、
そうとうに嬉しい。

ミルヴァの歌の、なんとなまなましいこと。
歌を聴くということは、こういうことだ、と断言したくなる。

Date: 8月 21st, 2023
Cate: ディスク/ブック
1 msg

Live at Casals Hall 1987-Complete & Un-edited(その3)

1960年の第六回ショパン・コンクールで、
マウリツィオ・ポリーニは18歳で優勝している。

この時の審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが、
「ここにいる審査員のなかで、ポリーニよりも巧みに演奏できる者がいるだろうか」、
そんな趣旨のことを述べていることは有名な話だ。

このルービンシュタインのポリーニへの讚辞は、
言葉通りに受けとめていいと思う反面、
ルービンシュタインの讚辞に裏に隠れていることを、
つまりルービンシュタインがいわんとしていることを、つい想像してみると、
ジョージ・セルが言っていたことと同じことのようにも思えてくる。

つまりピアノを鳴らすことに関して、ポリーニはすでにずば抜けていた。
けれど、ピアノを歌わすことに関しては、どうだろうか。

ポリーニは、ショパン・コンクール優勝のあと、十年ほど演奏活動から遠ざかっていることも、
よく知られている。

理由についても、いくつか諸説あるけれど、
ポリーニはルービンシュタインの讚辞の裏側まで、きちんと受けとめていたからではないのか。

Date: 8月 10th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Live at Casals Hall 1987-Complete & Un-edited(その2)

ホルショフスキーのカザルスホールでのライヴ盤(CD)は、
もう手元にない。

なので当時の記憶との比較でしかないのだが、
TIDALでのMQA Studioでの配信を聴いて、こんなに音、良かった(?)だった。

演奏が始まる前のホールのざわめき、拍手の音、
それからホルショフスキーが椅子を引いた時の音、
これらがとても生々しい。

まず演奏が始まる前に驚いていた。
CDを聴いていたころと、いまとではシステムがまるで違う。
そうであっても、当時のCDを他のアルバムでは聴いているのだから、
システムの音の変化は把握しているし、以前聴いているのであれば、
こんなふうに鳴るであろう、という予想はある。

ホルショフスキーのMQAでの音は、その予想よりもずっと良かった。
ホルショフスキーの演奏を聴いていたら、
ジョージ・セルの言ったことを思い出していた。

ずいぶん前に読んでことで、何に載っていたのかはもうおぼえていない。
こんなことを語っていた(はずだ)。

最近の演奏家は楽器を鳴らすことには長けている。
けれど楽器を歌わすことはどうだろうか……、
そんなことを語っていたと記憶している。

セルの時代からそうだったことは、いまの時代はどうだろうか──、
このことについて書いていくと長くなっていくのでやめておくが、
ホルショフスキーのピアノは歌っている。

MQAで聴いていると、そのことがより濃厚に感じられる。
MQAで、いまホルショフスキーを聴きなおしてほんとうによかった、といえるほどにだ。

Date: 8月 10th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Live at Casals Hall 1987-Complete & Un-edited(その1)

1987年のことだ。
まだステレオサウンドで働いていたころで、昼休み、仕事帰りに、
かなり頻繁にWAVEに通っていた。

クラシック売場にKさんがいた。
頻繁に行くのだから、顔をおぼえられていた。
なにかのきっかけでホルショフスキーのことが話題になった。

そういえばカザルスホールの落成記念で来日しますよ、とKさんに話した。
ホルショフスキーの来日を知らなかったようで、かなり驚いていたKさんは、
さっそくチケットを入手していた。

WAVEはコンサートのチケットも取り扱っていたので、
おそらくかなりいい席を確保されたのかもしれない。

ミェチスワフ・ホルショフスキーは、12月9日と11日をコンサートを行っている。
12月半ばごろ、WAVEに行ったら、Kさんから話しかけられた。
「ホルショフスキーのコンサート、ほんとうに素晴らしかったです。ありがとうございます」と、
私は単にコンサートがあるという情報を伝えたにすぎなかったのだが、
それでもKさんは感謝していた。

そのくらいホルショフスキーのコンサートは素晴らしかったのだろう。
そう思いながら、Kさんの話を聞いていた。

ホルショフスキーのカザルスホールでのコンサートは、CDになった。
Kさんがあれほど感動していたのだからと、買って聴いた。

いまとなってずいぶん昔のことなのだが、
いまになって書いているのは、当日のコンサートがSACDで発売になったと同時に、
TIDALでMQA Studio(44.1kHz)で配信されるようになったからだ。

ひさしぶりに聴くホルショフスキーのライヴ録音。
1987年の録音だから、44.1kHzのPCM録音のはずで、SACDは変換しての制作であろう。

44.1kHzのPCM録音をDSDに変換することに否定的なわけではないが、
そこにメリットを強く感じているわけでもない。
私は、MQAにしてほしいと思う。

Date: 7月 30th, 2023
Cate: ディスク/ブック

SOUTH PACIFIC(その6)

“SOUTH PACIFIC”にしても、アルテックのA4にしても、
別項で書いているスピーカーの音が嫌いな人にとっては、
どちらも、そして両方を組み合わせた音は、とうてい楽しめるという音ではない──、
そんなことになるだろうと思っている。

そのことが悪いとも思っていない。
けれど……、とおもうこともある。

Date: 7月 23rd, 2023
Cate: ディスク/ブック

SOUTH PACIFIC(その5)

瀬川先生の「たのしい」は、アルテックのA5のところでも登場する。
     *
瀬川 根本的に同意見なんですけれども、A4で非常にいいなと大づかみに感じた部分が、そっくりそのまま、ぜんたいに、ちょっとスケールが小さくなるのは当然で、みなさん、おそらくこの写真をごらんになると、A4をバックにしたA5がいかに小さく見えるか、逆に言えばA4というのが、いかに大きなスピーカーかということにお気づきにあると思う。
 A4でも感じた音の魅力、声がすばらしく明瞭、新鮮、なめらか、声帯がとてもなめらかという感じで、聴きなれた歌手の声でさえ、いっそう上手になったように、たのしく聴けます──この〝たのしい〟っていうのは、ぼくはなん度も使っちゃってるみたいだけれども、〝たのしさ〟というのが、ここの信条でしょうね。
 なんと言うんだろう──、音を無理におさえつけない、とにかく、音のほうが鳴りたがっている、鳴りたがっている音をそっくり、きれいに出してくれるという感じですね。
     *
ステレオサウンド 60号の特集は、何度も読み返している。
アルテックのスピーカーの音も、その後、何度か聴く機会があった。

瀬川先生のいわれる〝たのしい〟も、それなりに理解していたつもりだった。
けれど、“SOUTH PACIFIC”をMQAで聴いて、
まるで理解が足りなかったことに気づいた。

Date: 7月 23rd, 2023
Cate: ディスク/ブック

Solveigs Sang(その2)

その1)を書いた時点では、
アメリングのソルヴェイグの歌が、MQAで聴けるようになるなんて、ほとんど期待していなかった。

デ・ワールト指揮のペール・ギュントで、
アメリングはソルヴェイグの歌を歌っているわけだが、
エド・デ・ワールトのペール・ギュントのアルバムは、いまでもFLACでの配信のままだが、
5月のアメリングのMQAの配信の開始によって、
ソルヴェイグの歌はMQAで聴けるようになっている。

MQAで聴ける環境を持っている人は、一度聴いてほしい。

Date: 7月 23rd, 2023
Cate: ディスク/ブック

キャスリーン・バトルのアルバムも

5月にエリー・アメリングのアルバム、
7月にピエール・ブーレーズのストラヴィンスキーのアルバムが、
TIDALでMQAで配信されるようになった。

いよいよユニバーサル・ミュージックもMQAでの配信に力を入れてくれるのか、
そんなふうに期待できそうな風を感じていた。

数日前、今度はキャスリーン・バトルのアルバムがMQAで配信され始めた。
キャスリーン・バトルということに、それほど嬉しさは感じていないが、
1980年代のデジタル録音をふくめてMQAで、ということは素直に嬉しい。

今後、どうなるのかはわからないけれど、
今年は昨年までとは少し違うようだ。
ユニバーサル・ミュージックのMQAへの期待は大きくなっていくばかり。

Date: 7月 19th, 2023
Cate: ディスク/ブック

花図鑑(その2)

これまでTIDALで聴ける薬師丸ひろ子のアルバムは「時の扉」だけだった。
MQAで聴ける。

しばらく、この一枚だけだった。
いつかは他のアルバムも聴けるようになるだろう、と期待しつつも、
無理かな……、という気持も持ち始めていたところに、
「歌物語」もMQAで配信されていることに気づいた。

気づいたのは数日前。
いつから配信されるようになったのかははっきりとわからないが、
そう経っていないはずだ。

e-onkyoがMQAをやめてしまったため、
薬師丸ひろ子の歌声をMQAで聴こうと思ったら、TIDALということになる。

「花図鑑」も、TIDALで配信される日がくるかもしれない。

Date: 7月 15th, 2023
Cate: ディスク/ブック

SOUTH PACIFIC(その4)

ステレオサウンド 60号で、菅野先生はアルテックのA4について、こう語られている。
     *
菅野 まったく、瀬川さんが言われるようにそりゃ本物と近いとか遠いとかいうようなことを、もう考えさせない、もう出てくる音が実に魅力的なんです。
 例の〝サウス・パシフィック〟のレコードでびっくりしたのが、あの声。相当音量をあげて映画をほうふつさせようという鳴らしかたをしていたんですが、人間の声としたらああいうものは非常にむずかしいはずです。
 オーケストラの音は、何十年かまえにとって、声はもうまったくいまとったというようにフレッシュでみずみずしくて、リアリティがあって、ほんものよりもほんものらしいというやつだ。それがなんともこたえられない魅力でした。こういう声の再生はやっぱりアルテックじゃないと無理なんじゃないでしょうか。
     *
“SOUTH PACIFIC”のサウンドトラックを、TIDALでMQAで再生して、
最初に鳴ってきた音を聴いて感じたのは、おおむね菅野先生が語られていることと同じだった。

映画は1958年公開なのだから、録音は1957年か1958年。
当然、録音器材は管球式のモノばかりのはずだ。

そのことから、こんな感じの音なのだろう、という予想をしていた。
その予想というのは、同時代のクラシックの録音を聴いての印象をもとにしたものだった。

けれど、鳴ってきた音は、大きく違っていた。
《本物と近いとか遠いとかいうようなことを、もう考えさせない、もう出てくる音が実に魅力的》、
まさにそういう音だった。

色がついているといったらいいのだろうか。
聴いてやっとわかった。
瀬川先生が、60号の特集「サウンド・オブ・アメリカ」に、
この“SOUTH PACIFIC”を持参された理由がわかる。

Date: 7月 14th, 2023
Cate: ディスク/ブック

SOUTH PACIFIC(その3)

“SOUTH PACIFIC”のことをなぜ書き始めたのか。
理由は──、もう想像がつくという人がいるだろうが、
TIDALにあったからで、しかもMQAで配信されていたからだ。

数日前、そういえば、とふっと“SOUTH PACIFIC”のことを思い出した。
TIDALにあるだろうな、と思ったら、やっぱりあった。

ステレオサウンド 60号のころの私は、“SOUTH PACIFIC”をアルテックで聴いてみたい、
と思いながらも、“SOUTH PACIFIC”のレコードを欲しい、と思っていたわけではなかった。

探すこともしなかった。
そういうディスクのことを、急に思い出したのは、
完全な状態とはいえないものでも、あるところでアルテックのA4に触れたからなのかもしれない。

60号に登場するA4とユニット構成はほぼ同じ。
ホーンがより大型の1505Bで、210エンクロージュアには左右のウイングがない。

ネットワークは家のどこかにあるはずだけど……、
けれど見つからず、とりあえず288-16Kのローカットだけをコンデンサーだけで行う。

A4が収まっている部屋なのだから、スペース的に広いとはいうものの、
A4のためのスペースとしては狭い。

とりあえず鳴らしてみよう、そんな感じでの音出しだったにもかかわらず、
やはりアルテックなのだった。

そんな表現をされても、
アルテックのシアター用スピーカーの音を一度も聴いたことのない人は、
わからないよ、といわれるのは承知のうえで「やはりアルテック」だった。

その音が、“SOUTH PACIFIC”を思い出させたのだろうし、
TIDALで“SOUTH PACIFIC”を聴いたあとに、60号を読み返す。

何かを書きたくなった次第。

Date: 7月 12th, 2023
Cate: ディスク/ブック

SOUTH PACIFIC(その2)

“SOUTH PACIFIC”をアルテックのスピーカーで、一度でいいから聴いてみたい。
ステレオサウンド 60号を読んだ人ならば、そう思われた方も少なくないはずだ。

その音で、日常的に詩文の好きな音楽を聴きたいと思うわけではないけれど、
それでも聴いてみたい、というよりも聴いておきたい音というのがある。

とはいえアルテックのA4で“SOUTH PACIFIC”というのは、叶わぬこととあきらめてもいた。
60号に登場するA4のシステム構成は次の通り。

エンクロージュアは210、ウーファーは515Eのダブル、
ドライバーは288-16K、ホーンは1005Bにスロートアダプター30210を組み合わせたモノ。
ネットワークはN500FAである。

210エンクロージュアには両サイドに補助バッフルがつく。
その際の外形寸法は、W205×H213×D100cm。
この210の上に大型のマルチセルラホーンがのるわけだから、
はっきりと劇場用のスピーカーシステムである。

かなりの大型スピーカーシステムを縦いに持ち込む人が多い日本でも、
A4を自宅で聴いています、という人は、どれだけいたのだろうか。

60号に掲載されているザ・スーパーマニアには、
A4をお寺の本堂に置かれている方が登場しているが、
それでも高さ的にはA4が窮屈そうにみえる。

60号の特集の試聴で使われたのは、ステレオサウンド試聴室ではなく、
54畳ほどのかなり広い空間である。
     *
瀬川 ただ、幸か不幸か、日本の住宅事情を考えますと、きょうはここは54畳ですね。ここでA4を鳴らすと、もうA4では部屋からはみ出しますね。大きすぎる。A5になって、どうやら、ちょうどこの部屋に似あうかな、でも、もうすこし部屋が広くてもいいなという感じになってくるでしょう。
 ただ現実にはわれわれ日本のオーディオファンは、A5を6畳に入れている人が現にいますよね。一生懸命鳴らして、もちろん、それはそれなりにいい音が出ているけれども、きょうここで聴いた、この開放的な朗々と明るく響く、しかもなんとも言えないチャーミングな声が聴こえてくる。このアルテック本来の特徴が残念ながら、われわれの部屋ではちょっと出しきれません。どんなに調整しこんでも……。
 逆に菅野さんが言われたように、このシリーズはクラシックが鳴りにくいと言われた、それがむずかしいと言われた。むしろ6畳なんかでアルテックを鳴らしている人は、そっちのほうに挑戦してますね。
 つまり、このスピーカーは、ほっとくとどこまでも走っていきたくなるあばれ馬みたいなところがある。そこがまた魅力でもあるんだけれども、そこをおさえこみ、おさえこみしないと、6畳ですぐそばじゃとっても聴けないですね。そこをまたおさえこむテクニックはたいしたものだと、ぼくは思います。実際、そういう人の音をなん度も聴かせてもらっているけれども。
 でも、それが決してアルテックの本領じゃない。やっぱり、アルテックの本領は、この明るさ、解き放たれた自在さ、そしてこれは今日的なモニタースピーカーのように、原音にどれほど忠実かという方向ではないことは、このさい、はっきりしておかなくちゃいけない。物理的にどこまで忠実に迫ろうかというんじゃなくて、ひとつの音とか音楽を、ひとりひとりが心のなかで受けとめて、スピーカーから鳴る音としてこうあってほしいな、という、なにか潜在的な願望を、スッと音に出してくれるところがありますね。
 実にたのしいと思うんです。この音を聴いてても、ぜったい原音と似てないですよ。だけど、さっきサウンド・トラック盤をかけた、あるいはヴォーカルをかけた、あのときの歌い手の声の、なんとも言えず艶があって、張りがあって、非常に言葉が明瞭に聴き取れながら、しかも力がある。しかし、その力はあらわに出てこない。なんともこころよい感じがする。
 あの鳴り方は、これぞ〈アメリカン・サウンド〉だ、と。
     *
「たのしい」とある。
この瀬川先生の「たのしい」は、この後にも出てくる。