Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その12)
さきほどTIDALを眺めていたら、
ヨハンナ・マルツィのアルバムが増えていた。
ブラームス、メンデルスゾーンの協奏曲とシューベルト作品集である。
どちらもMQA Studio(192kHz)で聴ける。
ならばとe-onkyoを見てみると、
マルツィのバッハの無伴奏はflacだけで、MQAはない。
なぜこんなことになっているのか。
まったくわからない。
さきほどTIDALを眺めていたら、
ヨハンナ・マルツィのアルバムが増えていた。
ブラームス、メンデルスゾーンの協奏曲とシューベルト作品集である。
どちらもMQA Studio(192kHz)で聴ける。
ならばとe-onkyoを見てみると、
マルツィのバッハの無伴奏はflacだけで、MQAはない。
なぜこんなことになっているのか。
まったくわからない。
さきほどe-onkyoのサイトをみてみたら、
ヨハンナ・マルツィのアルバムが増えている。
2月25日配信のバッハの無伴奏にくわえて、
ブラームスとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、
シューベルトのヴァイオリン作品集の二枚の配信が始まっている。
この二枚は、MQA Studio(192kHz)で聴ける。
けれどバッハの無伴奏に関しては、flac(192kHz)のみである。
MQA Studioでの配信がない。
TIDALは、というと、今日現在、
ブラームス、メンデルスゾーンの協奏曲、シューベルトの作品集はない。
今回のEMI録音の2022年リマスターに関しては、バッハの無伴奏のみである。
けれど、このバッハは(その10)で書いているように、MQA Studio(192kHz)である。
なんらかの権利関係でそうなっているのか。
MQAで積極的に聴いていこうと思っていると、
TIDALだけでなくe-onkyoの存在も無視できない。
3月4日に、金子三勇士の「Freude(フロイデ)」が発売になる。
発売されていないのだから、まだ聴いていない。
でもウワサは聞いていて、ものすごくいい録音らしい。
ピアノの録音といえば、
菅野先生のところで聴いたプレトニョフのシューマンは、ほんとうにすごかった。
それまでの優秀録音のピアノの音とは一線を画していた。
けれど、プレトニョフのシューマンを聴いた人の多くがそう認めていたわけでもなかった。
私の自分のシステムでのみ聴いていたら、
誰かのシステムでしか聴いていなかったら、
これほどすごい録音とは感じなかったはずだ。
菅野先生のところで聴いて、その凄さを認識できたといっていい。
「Freude」が、そのへんどうなのかは、いまのところわからない。
プレトニョフのシューマンと同じ方向での素晴らしさだったら、
意外にも高い評価は得られない可能性もあろう。
TIDALでも聴けるようになるのだろうか。
MQAで聴けるのだろうか。
ヨハンナ・マルツィのEMIへの録音が、
2022年リマスターで発売になるというニュースがあったのは、わりと最近のこと。
192kHz、24ビットでのリマスター、とあった。
とうぜんMQAでの配信も始まる──、そう確信していても、
こればかりは実際に始まってみないことには、
ふくらみきった希望という風船は、いつしかしぼんでいくこともある。
今日、TIDALで聴いた。
ヨハンナ・マルツィのバッハの無伴奏が、
MQA Studio(192kHz、24ビット)で聴ける。
3月になれば、EMIへの他の録音も聴けることになるであろう。
もしそうならなくてもマルツィのバッハの無伴奏は聴ける。
これまでマルツィを、それほど熱心に聴いてきたわけではない。
一部の熱狂的な聴き手のように、マルツィを聴いてきたわけではない。
そんな私でも、今回のマルツィのバッハがMQAで聴けるようになったのは、
素直に喜んでいる。
13歳の秋、「五味オーディオ教室」と出逢った。
それから四十五年と数ヵ月。
「五味オーディオ教室」との出逢いで、
オーディオという世界があることを知った。
オーディオという世界の奥深さを知った。
それだけではない。
私にとっていまでも「五味オーディオ教室」が大事なのは、
「五味オーディオ教室」から五味康祐という一人の人間の情熱を感じとれたからだ。
ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」。
読んだ記憶がある、という人は多いだろう。
私も、その一人で、読んだ記憶がある──、
けれどすぐには詳細まで思い出せたわけではなかった。
iPhoneで検索して、「少年の日の思い出」のあらすじを読んで、
そういえばそういう内容だったなぁ、と思い出した程度でしかない。
中学生のころに一度読んでいる。
それきりである。
まだ「五味オーディオ教室」と出逢う前のころだ。
なぜだかふいに「少年の日の思い出」が頭に浮かんだ。
「ぼく」とエーミール、二人の蝶(蛾)のコレクション。
詳細は省く。
読んだ記憶のある人が多いはずだし、
手元に本がなくても、検索してあらすじを読めば、
あぁ、そうだった──、と思い出す人が少なくないと思うからだ。
「少年の日の思い出」は、「ぼく」とエーミールがなにかのきっかけで仲直りするわけではない。
並の小説家ならば、そういう結末にしたのかもしれないが、
「少年の日の思い出」は、「ぼく」が自身のコレクションを押し潰していく。
うまくいいあらわせないのだが、
オーディオ、レコード・コレクションに関しても、
「少年の日の思い出」と近いこと・同じことがあってもおかしくない──、
そう思うだけでなく、
「五味オーディオ教室』と出逢ったあとに「少年の日の思い出」を読んでいれば、
というおもいを、いま感じている。
4月8日に、内田光子の「ディアベリ変奏曲」が発売になる、というニュース。
六年ぶりのアルバムである。
個人的には、内田光子のバッハを聴きたいのだが、
内田光子の新たな演奏、
しかも70を超えてからの最初の演奏(録音)が聴けるのは、やはり嬉しい。
日本盤はMQA-CDなのも、嬉しいかぎりだ。
二匹目のドジョウといえる“THE BERLIN CONCERT”。
今回ジョン・ウィリアムズは、
ウィーン・フィルハーモニーではなくベルリン・フィルハーモニーを振っている。
スター・ウォーズの「帝国のマーチ」も、今回の“THE BERLIN CONCERT”にもある。
ウィーンもベルリンも、どちらも素晴らしい演奏といえるけれど、
スター・ウォーズを一作目から映画館で観てきた世代の私にとって、
今回のベルリンとの「帝国のマーチ」のほうをとる。
演奏のうまさが上とかではなく、
ダース・ベイダーが登場してきそうな感じが、ベルリンとのほうが濃い。
スター・ウォーズという作品に、なんの思い入れのない人ならば、
ウィーンとのほうがいい、というかもしれない。
けれど私はそうじゃないし、友人のAさんもそうじゃない。
Aさんも、私と同じ感想だとのこと。
ちなみに私はTIDALで聴いている。
MQA(192kHz)で聴いている。
今年は2022年。
グレン・グールドの生誕90年で、没後40年。
ソニー・クラシカルは、なにか出してくるのだろうか。
それとも2032年の生誕100年、没後50年までおあずけとなるのだろうか。
何も出てこないような気もするけれど、
それでもまぁいいや、と思えるのは、TIDALでMQA Studioで聴けるようになったからだ。
そのTIDALだが、第一四半期に日本でのサービス開始となる、らしい。
カザルスの演奏は、ソニー・クラシカルからも出ているおかげで、
TIDALでMQA Studioで聴ける。
といっても、これまで発売されたすべての録音が聴けるわけではない。
モーツァルトの交響曲がない。
CD(アメリカ盤)は持っているし、リッピングしているから聴けるのだが、
やはりMQA Studioで聴いてみたい。どうしても聴きたい。
TIDALでMQA Studioで聴けるようになるのかどうかは、
いまのところわからない。
カザルスによる剛毅な音楽は、
太い血管を血がたっぷりと、そして勢いよく通っているからなのだろう。
そんな感じを受ける。
そんな演奏を毛嫌いする人がいるのは知っている。
優美さに欠ける──、そんなことをいう人もいる。
野暮とすらいう人もいる。
それはそれでいいけれど、剛毅な音楽だからこその音楽の優しさを、
そういう人は知らないのか。
昨年末の数日、ケント・ナガノのベートーヴェンの交響曲を集中して聴いていた。
ソニー・クラシカルから出ていたのは知っていたけれど、これまで聴いてこなかった。
TIDALにあるから、今回聴いた。
MQA Studio(44.1kHz)で聴ける。
オーケストラはピアノ協奏曲と同じ、モントリオール交響楽団である。
たまたま目についた四番から聴き始めた。
すぐに気づくのはライヴ録音だということ。
第一楽章の冒頭、聴いていて確認していた。
ケント・ナガノの指揮だということを。
なぜかというと、クライバーの演奏を思わせたからであり、
しかも観衆のざわめきも、クライバーの四番の演奏を思わせるところがあって、
それらがたまたま重なっての錯覚でもあった。
いい演奏だと私は思っている。
そう思ったからこそ、残りの交響曲も聴いたわけだ。
それでも、聴きながら、なんなんだろう……、とも感じていた。
だから聴き終ってから、児玉麻里とのピアノ協奏曲の一番と二番を続けて聴いた。
やはり素晴らしい演奏である。
菅野先生が「まさしくベートーヴェンなんだよ」いわれていたように、
ベートーヴェンの音楽が、そこで響いている。
ケント・ナガノによる交響曲がベートーヴェンの音楽ではない、といいたいのではなく、
ピアノ協奏曲で感じたものが、交響曲では足りない、もしくは欠けている気がする。
動的平衡の音の構築物であってこそ、私にとっての「まさしくベートーヴェン」である、
と以前書いた。
ここのところが、ひっかかっている。
菅野先生のところで聴いたのなら、「まさしくベートーヴェン」と感じたのかもしれないし、
そうでないかもしれない。
それでも、私のところでも児玉麻里とのピアノ協奏曲は、やはり素晴らしいのだから、
しかもオーケストラも同じということは、
ケント・ナガノによるピアノ協奏曲における動的平衡の音の構築物には、
児玉麻里の存在があったから、としかいいようがない。
TIDALで音楽を聴くようになってから、
クラシックに関しては、同じ曲を、別の演奏家で聴くことがものすごく増えた。
いままでもこういった聴き較べはしていたといえばそうなのだが、
それほど積極的ではなかった。
なのにTIDALでは、そうとうにやっている。
12月はブラームスの交響曲第一番を、ほぼ毎日聴いていた。
バーンスタイン/ウィーンフィルハーモニーを聴いたのがきっかけだった。
この録音を、発売当時に聴いて、バーンスタインに夢中になった。
ドイツ・グラモフォンではブラームスの前に、
同じウィーンフィルハーモニーとによるベートーヴェンの交響曲全集があった。
高く評価されているのは、知っていた。
聴いてみたい、という気持はったけれど、すぐには手を出すことはなかった。
なのにブラームスに関しては、発売されてすぐに買って聴いた。
いまも聴いているわけだから、その時も、素晴らしい演奏だ、と感じていた。
特に四楽章を聴いて、バーンスタインって、こんなに素晴らしい指揮者だったのか──、
お前の認識不足だよ、といわれようが、そう感じたことを、いまもはっきりと憶えている。
素晴らしいだけではなく、美しいのだ。
オーケストラがウィーンだから、ということもあるのはわかっている。
今回久しぶりにバーンスタインのブラームスを聴いて、あらためてそう感じて、
それがきっかけで、他の指揮者のブラームスの一番を次々と聴いていくことになった。
いままで聴いてきた指揮者だけでなく、初めての演奏(録音)もけっこうあった。
いいな、と感じた演奏を聴き終ったあとには、
バーンスタインをまた聴いていた。
そんなことを飽きもせず、12月の半分を過ごしていた。
結論は、やっぱりバーンスタインのブラームスはいい、ということ。
それも四楽章の美しさは、私にとって格別だ、ということ。
三十数年前に感じたことを確認しただけ、ともいえる。
「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」のLPを買ったのは、
サウンドコニサーの取材から一年後くらいだった。
衝撃をうけたにも関らず、すぐには買わなかったのに、特に大きな理由はなかったはずだ。
自分でも、いまふり返ってすると、なぜ? と思うけれど、
とにかくしばらしくしてから買った。
自分で買って、1980年12月5日が“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”であることを知って、
そうか、冬のライヴ録音だったのか、と思ったことだけは、はっきりと憶えている。
黒田先生は、サウンドコニサーで、こう発言されている。
*
このレコードの聴こえ方というのも凄かった。演奏途中であれほど拍手や会場ノイズが絡んでいたとは思いませんでしたからね。拍手は演奏が終って最後に聴こえてくるだけかと思っていたのですが、レコードに針を降ろしたとたんに、会場のざわめく響きがパッと眼の前一杯に広がって、がやがやした感じの中から、ギターの音が弾丸のごとく左右のスピーカー間を飛び交う。このスペクタキュラスなライヴの感じというのは、うちの4343からは聴きとりにくいですね。
*
まさにそのとおりだった。
この会場のざわめき、そして伝わってくる熱気から、私は勝手に夏のライヴだと勘違いしていたわけだ。
《スペクタキュラスなライヴの感じ》を、
アクースタットのスピーカーから、はっきりと聴きとれた。
JBLの4343で、「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」を初めて聴いたとしても、
その演奏に驚いたはずだ。
でも、《スペクタキュラスなライヴの感じ》は、聴きとりにくかっただろう。
もちろん4343で聴けば、
4343の良さで「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」の魅力を伝えてくれただろうが、
アクースタットほどの衝撃は得られなかったかもしれない。
レコード(録音物)との出逢いは、ときに再生システムに影響を受ける。
まったく影響を受けない、ということはありえない。
少なからずとも影響を受けるものだ。
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の最初はアクースタットだった。
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の最初は、コーネッタか。
1982年夏、ステレオサウンドの別冊として「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」が出ている。
このサウンドコニサーの試聴で、
私は“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”を初めて聴いた。
このディスクが出ていたことは、
ステレオサウンドの音楽欄で知っていた。
安原顕氏が紹介されていて、絶賛に近い評価だったと記憶している。
黒田先生も、「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、取り上げられている。
《音楽もいいし、音もいい。最近は、とかくむしゃくしゃしたときにはきまって、このレコードをとりだしてかけることにしている。》
と書かれていた。
いまでこそ“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”といっているけれど、
当時、日本では「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」のほうが通りがよかった。
サウンドコニサーの取材(試聴)では、
「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」は、試聴レコードには入っていなかった。
けれどアクースタットのModel 3の音を聴かれた黒田先生が、
このディスクを、とリクエストされたのが「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」だった。
このことはサウンドコニサーに載っているし、
別項「黒田恭一氏のこと」のところでも書いている。
とにかくアクースタットで聴いた「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」は、
試聴室の雰囲気を、最初の一音で変えてしまった。
音が鳴っていないときのアクースタットのスピーカーは、単なる板である。
しゃれっ気がない、ただの板である。
オーディオ機器としての魅力には、その点では乏しい。
けれどひとたび音が鳴ってくると、
特に「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」では、
聴き終ったあと、みなが静かな昂奮状態にあったといえる。
「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」を初めて聴いた私は、
夏のライヴ録音だと思ってしまっていた。
1980年12月5日が“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”ならば、
1980年12月6日は“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”である。
昨夏、“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”が発売になる、
というニュースがあった。
2021年発売の予定ではあったが、音沙汰はなかった。
日本の日付は変ってしまったが、
アメリカはまだ12月6日なので、ようやく発表があった。
2022年夏に発売である。
CDだけでなく、SACD、LPも発売になる。
TIDALでMQAで聴けるようになるのかどうかはいまのところ不明だが、
可能性はけっこう高いと思っている(信じている)。
夏といっても、何月なのかはわからない。
7月なのか、8月なのか。
それとも泳げる季節を夏とするのか。
とにかく発売になるのは間違いない。