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Date: 7月 27th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その29)

ステレオサウンドは、最初にベストバイを特集した35号の一年前にも、
同じように試聴をしないでつくられるものを出している。
31号の特集「オーディオ機器の魅力をさぐる」である。

たまたまの一致だろうが、31号の表紙はJBLのスピーカーユニット、
35号の表紙はJBLの4350(白いコーン紙のウーファー2230がついている)、
どちらも白いコーン紙が印象に残る。

31号については知らないが、35号は売れた、ときいている。
定期購読者が多いステレオサウンド(少なくとも私が読者だったころ、編集者だったころはそうだった)でも、
号によって売行きは変動する。

意外に私が思ったのは、
表紙がアナログプレーヤー関連のものだと売行きが芳しくない、というジンクスがあったことだ。
カートリッジにしろ、プレーヤーにしろ、とにかくそうなっていたらしい。
私はアナログプレーヤーが表紙になっているほうが、いいと思うのにだ。

35号はアナログプレーヤーが表紙ではない。
ステレオサウンドにとってはじめてのベストバイ特集の号であり、
読者にとってもはじめてのベストバイ特集の一冊であったわけだ。

35号では、いまのベストバイのやり方とは違い、読み応えもあった。
一機種あたりの文字数は100字足らずであっても、選ばれている機種には選んだ人のコメントがあった。
ちなみに瀬川先生はスピーカーシステムを61機種選び、すべてについてコメントを書かれている。
もちろん他の人も同じである。

菅野先生は28機種のスピーカーシステム、岩崎先生は15機種のスピーカーシステムを選ばれている。

Date: 7月 21st, 2014
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その85)

JBLの4350の最初のモデルは1974年に登場している。
タンノイのKingdomの登場は1996年。
20年以上の開きがある。

いうまでもなくJBLはアメリカ西海岸のメーカー、
タンノイはイギリスのスピーカーメーカー。

ある時期まではクラシックを聴くならタンノイ、
ジャズはJBL、といわれていたこともある。

タンノイとJBLは、数あるスピーカーメーカーの中でも、もっとも比較されることが多い。
それだけ対照的なスピーカーメーカーともいえる。

そのふたつのスピーカーメーカーのフラッグシップモデルで、マーラーが聴きたい、というのは、
あまりにも節操がない、というか、マーラーがわかっていない、と思われるかもしれない。

でも私にとって4350とKingdomは、JBLとタンノイの違い、というよりも、
オーケストラの違いのように感じられて、私のなかでは4350とKingdomが矛盾することなく存在している。

JBLはやはりアメリカのオーケストラといえるし、
タンノイはヨーロッパのオーケストラといえる。

そういえばバーンスタインはコロムビアにマーラーの交響曲を録音したとき、
オーケストラはニューヨークフィルハーモニーだった。
この録音から約20年後、ドイツ・グラモフォンでのマーラーでは、
オーケストラをひとつに固定せずに、ニューヨークフィルハーモニーのほかに、
ウィーンフィルハーモニー、アムステルダム・コンセルトヘボウオーケストラを指揮している。

Date: 7月 21st, 2014
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その11)

まだアルテックが健在だったころ、
JBLと比較でよくいわれていたのは、アルテックの方が音が飛ぶ、ということだった。

スピーカーの正面1mのところにマイクロフォンを立て、
どちらのスピーカーシステムも同じ音圧になるように設定する。
そして音を出す。

さほど広くない空間では、アルテックもJBLもスピーカーからの距離がましても差はあまりないが、
小劇場くらいの空間となると、後方の席まで音が届く(飛ぶ)のはアルテックである、と。

私はそういう空間での比較試聴をしたことはないけれど、そうだろう、と納得できる。
ここでいうアルテックのスピーカーとは、おそらくA7、A5といったところだろうし、
JBLは、というと、どれを指すのかはっきりとしないけれど、
同口径のウーファーと同規模のコンプレッションドライバーとホーンの組合せとなるのだろう。

どんなスピーカーであり、離れればそれだけ音圧は低下する。
球面波か平面波という違いがあれば、距離による音圧の減衰の仕方もちがってくるが、
どちらもホーン型で指向特性において大きく違わないのであれば、音圧の減衰も同じような結果になるはず。

にも関わらずアルテックは音が飛び、JBLはそうでない、といわれてきた。
おそらく音圧はアルテックもJBLも低下する。
ただ音圧と音量に対する聴き手の感じ方が違いがあるのであれば、
片方のスピーカーは音が飛び、トーキー用スピーカーにおいても、
スクリーン裏のスピーカーだけで劇場後方の席の観客も満足させることも不思議なことではなくなる。

Date: 7月 17th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

山水電気のこと(その2)

「世界のオーディオ」が刊行されていたころは、ちょうどJBLが日本市場で爆発的に売れていた時期でもある。
ペアで100万円をこえる4343が、信じられないほど売れていた時期だけに、
JBL号が出ないのがなんとも不思議だった。出ていたら売れていたはずなのに……。

だから、この疑問もステレオサウンドで働くようになって、
編集部の先輩にきいた「なぜJBL号を出さないんですか」と。

返ってきた答は、編集という仕事についたばかりで、
出版がどういうものなのかもほとんどわかっていなかった私には、いささか驚きのものだった。
「サンスイがお金を出さないからだよ」

いわれてみると「世界のオーディオ」には広告が載っていない。
入らない、ともいいかえられる。

どのメーカー、輸入商社が、他社だけを取り上げている別冊に広告を出すだろうか。
広告がどれだけの比重なのかをまったく考えていなかった私は、
いわれてみればそうだ、と理解しながらも、
サンスイはサンスイ号とJBL号、二冊分の予算を用意しなかったんだ……、と思っていた。

メーカー、輸入商社がどれだけ出していたのか、それは知らないし、特に興味はなかった。
ただいまふり返って思うのは、サンスイとティアックについて、である。

ティアックはタンノイ号を優先した。
ティアック号は出なかった。ティアック号が出てもおかしくはないし、
むしろティアック号が出なかったことが不思議でもある。

ようするにティアックはタンノイを優先した。
サンスイはJBLよりも自社のことを優先した。

当時タンノイも売れていただろうが、
JBLの売行きはそれ以上で、売上高では比較にならないほどだったと思う。
それだけ売れていたJBLの本に対しての山水電気の態度、
それに対してティアックのタンノイの本に対する態度。

この違いが、ティアックは健在でサンスイがこうなってしまったことと、決して無関係とは思っていない。

Date: 7月 17th, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その5)

ウェストレックスの1950年代の劇場用スピーカーシステムにT501Aがある。
このシステムに採用されているスピーカーユニットはJBL製。
中高域を受け持つT550Aホーンは、JBLの537-500同等品で、ドライバーのT530Aは375同等、
低域には150-4C同等のT510Aが二発、フロントショートホーン付き、
しかも2.4m四方のバッフルをもつエンクロージュアに収められている。

T501Aシステムの使用例から、
2インチ・スロートには最低でも15インチ・ウーファー二発が必要とまではいわないまでも、
こういう大がかりなシステムになっていくのも、2441+2397を毎日目にしていると当然だな、と思えてしまう。

そしてJBLが2440を搭載した4350で、ホーンに2397といった、いわゆるフルサイズのホーンではなく、
2392 (2308+2311)というショートホーンにした理由もなんとなくではあるが、想像できる。

2392のホーン部の奥行きは11.7cm(音響レンズ部は6.3cm)。
HL88の半分以下の長さしかないし、ホーン開口部の大きさもずっと小さい。

HIGH-TECHNIC SERIES-1の表紙に、
エレクトロボイスの30WではなくJBLの15インチ・ウーファーを使っていたら、
手前に置かれるホーンは2392になっていたかもしれない。
そうなっていたら2392に2440は取りつけられていただろうか。

2440と2392の組合せは、ドライバーの先にちょこんとホーンがくっついている、そんな感じになる。
2440が圧倒的に存在感を示す。サイズ的にはかなりアンバランスだから、
HIGH-TECHNIC SERIES-1の表紙には、こちらでもドライバーなしでの撮影になったかもしれない。

Date: 7月 17th, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その4)

HIGH-TECHNIC SERIES-1の表紙のHL88には375なり2440が取りつけられていない。
これも疑問だった。
しかもHL88は、あの独特の音響レンズが正面を向いてではなく、上を向くように置かれている。
ならば375なり2440を取りつけるべきではないか、と感じていた。

HIGH-TECHNIC SERIES-1を手にしたとき、私はまだ375の実物も、HL88の実物に目にしたことがなかった。
カタログの寸法値を眺めて、なんとなく、このくらいの大きさだろうな……と思っていた。

HL88のサイズは、音響レンズの直径が34.3cm、奥行きが40cmとなっている。
東京に来て、HL88、それに375の実物を見て、こんなに大きいのか、と思った。
寸法値だけを見て頭のなかでの想像よりもずっと大きかった。

HL88のホーン開口部は15インチ口径のウーファーとほぼ同じだし、
奥行きに関しても375もしくは2440を取りつけると50cmを超える長さになる。

いまハークネスの上に、2441+2397をのせている。
のせているから2441の大きさを毎日見ることになる。
2397サイズのホーンでも、2441の方が大きく感じられる。
でかいドライバーだ、と思うし、2441+2397の存在によって、
D130が少し小さく感じられるようにもなってきている。

このモノとしてのサイズ感からいえば、
2インチ・スロートのドライバーに対して15インチ口径のウーファーが一本というのは、
これ以上ウーファーのサイズは小さくできない、というぎりぎりの線だと感じてしまう。

Date: 7月 15th, 2014
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その84)

タンノイのKingdom(現行製品のKingdom Royalではない)は、
いまでも気になるパワーアンプが新製品として登場してくると、
このアンプで鳴らしてみたら、どんな感じになるのか、とつい想像してしまうほどに、
いまも気になっているスピーカーシステムのひとつである。

このKingdomは、私にとってJBLにとっての4350という存在と重なってくる。
いわばタンノイにとっての4350的スピーカーシステムが、Kingdomとうつる。

そして私の中では、マーラーを聴くスピーカーシステムとして4350を筆頭にしたいというおもいが、
いまもあって、これはなにも私がマーラーを聴きはじめたころと密接に関係してのことだから、
4350がマーラーを聴くのに最適のスピーカーシステムだというつもりはない。

それでも私にとって4350の特質をもっとも引き出してくれると感じているのが、
4350と同時代に盛んに録音されるようになってきたマーラーの交響曲だと感じている。

このことはどの時代の録音でマーラーで聴くのか、
誰の指揮でマーラーを聴くのか、とも関係しているのだが、
新しいスピーカーシステムでマーラーを聴いた時に感じる何かが不足している、と思えてしまう。

それは見事な音で再生されればされるほど、その不足しているものが気になってくる。
それがJBLの4350にはあると感じられるし、タンノイのスピーカーシステムではKingdomということになる。

激情が伝わってくる音で私はマーラーを聴きたい、
それもワイドレンジの音で、
ということになるから4350、Kingdomがいつになっても私の中から消え去ることがない。

Date: 7月 14th, 2014
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その7)

1977年12月に出たステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」に、
JBLの4350Aの組合せ記事がある。

菅野サウンドのジャズ・レコードを
制作者の意図したイメージで聴きたい

この見出しがついていて、4350Aを選択し、組合せをつくられたのは菅野先生である。

組合せ例はここでのテーマとは関係のないことだが、一応書いておく。
スピーカーはいうまでせなく4350A。
アンプはコントロールアンプがアキュフェーズのC220、
エレクトリッククロスオーヴァーネットワークもアキュフェーズで、F5。
パワーアンプは低域用にアキュフェーズM60、中高域用にパイオニアExclusive M4。
アナログプレーヤーはテクニクスのSP10MK2にSH10B3(キャビネット)、
トーンアームはフィデリティ・リサーチのFR64S、カートリッジはオルトフォンMC20である。
この他に、ビクターのグラフィックイコライザーSEA7070が加わる。

この記事で、菅野先生が話されている。
     *
私は『サイド・バイ・サイド』にかぎらず、とくに私自身が制作・録音したジャズのレコードは、実際よりも大きな音量で楽しんでいます。さらにいえば、『サイド・バイ・サイド』のシリーズの場合、かなりのラウドネスで聴いていただいてはじめてベーゼンドルファーの音色の細やかさ、まろやかさ、芯の強さといったものが生きてくると思います。
     *
私はなにも大きな音量で必ず聴け、といいたいのではなく、
音量設定の自由に自ら制約をつくっていかなくてもいいのではないか、ということだ。

Date: 7月 13th, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その3)

これは私の勝手な想像なのだが、
おそらくHIGH-TECHNIC SERIES-1の表紙の撮影には、他のユニット、
つまりJBLのウーファーも用意してあったと思う。

HIGH-TECHNIC SERIES-1の表紙とカラー口絵の撮影は亀井良雄氏。

カラー口絵には、もっと多くのユニットが登場する。
ウーファー、フルレンジユニットとして、
30Wの他にJBLの2220B、LE8T、アルテックの405A、エレクトロボイスのSP12C、
ドライバー/ホーンとして、
JBLの375、2440、2420、075、2405、HL88、HL89、2345、2397、他ネットワークが、
アルテックの802-8D、511B、ヴァイタヴォックスのS3、CN123、CN157、
エレクトボイスの1823M+8HD、T350などである。

編集に携わった経験からいえば、表紙とカラー口絵は同じスタジオで、同じ日に撮られているはずだ。

つまりはこれだけのユニットを並べ替えた結果としての、
JBLの075、HL88、エレクトロボイスの30Wの組合せといえる。

では、なぜ2220Bではなく30Wだったのか。

HIGH-TECHNIC SERIES-1の表紙では、075がほぼ中央の手前に置いてある。
075のやや後方(向って左側)にHL88があり、これらから少し離れた後方に30Wという配置。

この配置で、30Wを2220Bに置き換えたとして、これほどいいバランスの写真になったとは思えない。

Date: 7月 13th, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(大口径ウーファーのこと・その2)

私がこれまで自分のモノとして鳴らしてきたスピーカーでは、
15インチ口径ウーファーがいちばん大きい。
それ以上の、18インチ、30インチといった大口径ウーファーは、自分のモノとして鳴らした経験はない。

いまいわゆる大口径ウーファーは少なくなってきたように感じる。
いつのまにか大口径ウーファーを鳴らすのは、あまり知的ではないような風潮が一部ではあるようだ。
小口径、中口径ウーファーを鳴らす方が質の高い低音が得られる──、
それがあたかも最新の鳴らし方のように喧伝する人たちが増えてきたようにも感じている。

低音再生とは、そういうものなのか、
それに15インチは大口径なのか。

私の感覚では、15インチをこえたサイズから大口径となる。
つまり私にとって大口径ウーファーのもっとも小さなサイズが18インチであり、
それ以上の24インチ、30インチが、まさしく大口径ウーファーという認識である。

1977年秋のステレオサウンド別冊、HIGH-TECHNIC SERIES-1。
マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ、というテーマでつくられた一冊。

この本の表紙はJBLの075、HL88(537-500)、それにエレクトロボイスの30Wが並んでいる。
この表紙をみたときから、なぜJBLのウーファーを使わなかったのか、という疑問があった。

075、HL88、2220でもいいじゃないか、と思いながらも、
075、HL88、30Wの組合せの写真のバランスの良さにも感心していた。

Date: 7月 10th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その8)

組合せは決った。
いったいどういう音がしてくるのか、
いま中古でここで挙げたコンポーネントを手に入れたとしても、うまいこと鳴ってくれる保証はない。

スピーカーにしろアンプにしろ、どんなモノであれ、長い年月を経ていれば、
どんなに大切に使っていたとしても性能的には劣化している。
そう思いたくなくとも、これは絶対不可避である。

井上先生が以前書かれていた。
     *
現実に状態の良いシステムを実際に鳴らしてみたとしても、かつて備えていた本来の状態をベースに聴かせた音の再現は完全には不可能であり、例えば、1モデルに1ヵ月の時間を費やしてメインテナンスをしたとしても、絶対年令は、リカバリー不能であろう。逆説的ではあるが、イメージ的に心にわずかばかり残っている、残像を大切に扱い、思い浮かべた印象を文字として表現したほうが、むしろリアルであろうか、とも考えている。
(ステレオサウンド別冊「音の世紀」より)
     *
その通りだと思う。
「イメージ的に心にわずかばかり残っている、残像」、
これを持っているか持っていないのか──。

JBLのD130を平面バッフルに取りつけて、
できるだけ価格を抑えた組合せは、いったいどんな音を聴かせるのか、よりも、
この組合せで、どのレコードを聴きたいのか。

私が聴きたいと思っているのは、ジャズではなく、
デッカのカートリッジを選んでいるようにクラシックであり、
ストラヴィンスキーによるストラヴィンスキーの「春の祭典」をまっさきに鳴らしてみたい。

Date: 7月 10th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その7)

平面バッフル用の板を買っても、予算を30万円とするならまだ余裕がある。
その残った予算でチューナーを買うのもいいと思う。

私もそうだった。
最初予算いっぱいを使ってスピーカーとアンプとアナログプレーヤーでいこう、と考えていた。
そうすることで、少しでもいい音が出せる可能性があると判断したからである。

けれどチューナーは買った。
オーディオ店の人が、安いものでいいからチューナーは買っておいた方がいい、と強くすすめられたためである。
それでも要らない、と思っていたけど、プリメインアンプとペアとなるチューナーにした。

チューナーは要らない、としたのは、私がその頃住んでいた熊本では、民放のFM局はまだなかったこともある。
NHK-FMしか聴けないチューナーに、
カートリッジのいいモノ(エラックのSTS455EとかデッカのMark Vなど)が買える金額を払うのが、
もったいないように感じた。

そういう私が、チューナーを買っておいてよかった、と思っている。
チューナーがあったからこそ、私はケイト・ブッシュを聴く機会があったからだ。

もしチューナーを買っておかなければ、ケイト・ブッシュの見た目だけで判断してしまっていて、
関心をもつことはたぶんなかった、と思うからだ。

ここではアンプと同じテクニクスのチューナーから、ST-C01(35000円)を選ぶ。
SU-V6とペアになるチューナーではないけれど、コンサイスコンポ用のチューナーとして開発されたもので、
W29.7×H4.9×D25.5cmと薄型でコンパクトにまとめられている。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: KEF, LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹

LS5/1Aにつながれていたのは(その2)

FMfanの巻頭のカラーページで紹介されていた
瀬川先生の世田谷のリスニングルームの写真に写っていたLS5/1Aの上には、
パイオニアのリボントゥイーターPT-R7が乗っていた。

LS5/1Aの開発時期は1958年。周波数特性は40〜13000Hz ±5dB。
2個搭載されているトゥイーター(セレッションのHF1300)は、位相干渉による音像の肥大を防ぐために、
3kHz以上では、1個のHF1300をロールオフさせている(トゥイーターのカットオフ周波数は1.75kHz)。
そのまま鳴らしたのでは高域のレスポンスがなだらかに低下してゆく。
そのため専用アンプには、高域補正用の回路が搭載されている。
専用アンプは、ラドフォード製のEL34のプッシュプル(LS5/1はリーク製のEL34プッシュプル)だが、
瀬川先生は、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、真価を発揮してきた、と書かれている。

いくつかのアンプを試されたであろう。JBLのSE400Sも試されたであろう。
その結果、スチューダーのA68を最終的に選択されたと想像する。

もちろんA68には高域補整回路は搭載されていない。
おそらくLNP2Lのトーンコントロールで補正されていたのだろう。
さらにPT-R7を追加してワイドレンジ化を試されたのだろう。

これらがうまくいったのかどうかはわからない。

瀬川先生の世田谷のリスニングルームにいかれた方何人かに、
このことを訊ねても、PT-R7の存在に気づかれた人がいない。
だから、つねにLS5/1Aの上にPT-R7が乗っていたわけではなかったのかもしれない。

LNP2とA68のペアで鳴らされていたであろうLS5/1Aの音は、想像するしかない。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹

LS5/1Aにつながれていたのは(その1)

「なぜ、これだけなの?」と思ったのも、ほんとうのところである。 
1982年1月、ステレオサウンド試聴室隣の倉庫で、
瀬川先生の愛機のLS5/1A、LNP2L、A68を見た時に、
そう思い、なんともさびしい想いにとらわれた。 

それからしばらくして、4345がどこに行ったのかをきいた。
それでも、なぜ、これだけなのか、と当時はずっと思っていた。 

けれど、いま思うのは、この3機種こそ、
瀬川先生にとっての愛機だったのだということである。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その1)

アバドのマーラーは、私にとっては、1980年前後にシカゴ響との旧録のほうが、
そのなかでも交響曲第1番は、ひときわ印象ぶかいものとなっている。 

1982年夏にステレオサウンド別冊として出た「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」の取材で、
アバドによる第1番をはじめて聴いたとき、
第1楽章出だしの緊張感、カッコウの鳴き声の象徴といわれているクラリネットが鳴りはじめるまでの、
ピーンと張りつめた、すこしひんやりした朝の清々しい空気の描写に、
息がつまりそうな感じに陥ったのを、はっきりとおぼえている。

ステレオサウンドにはいってまだ数ヶ月。
長時間の、しかも数日続く試聴にまだなれていなくて、
さらに、たとえば4344の試聴にしても、4343との比較、
アンプも3通りほど用意してという内容だっただけに、
試聴室の雰囲気も緊張感がみなぎっていて、そこにアバドの演奏で、ぐったりになったものだ。 

いったい、何度聴いたのだろう……。

だからというわけではないが、じつは随分長い間、アバドの1番は聴いてこなかった。
なのに去年暮、ふと聴きたくなってあらためてCDを購入した。 
82年から25年の間に、いくつかの第1番を聴いた。
バーンスタインの再録ももちろん聴いている。 

ひさしぶりのアバドの演奏を聴いて感じたのは、
「このころのアバドは楷書で、バーンスタインは草書」ということ。 

こういう区分けはあまりやらないほうがいいのはわかっていても、
楷書か草書かで、自分の好きな演奏家や音を照らし合わせてみるのはおもしろい。