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Date: 7月 16th, 2014
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その10)

スピーカーとの位置関係を自由に変えるようなことをコンサートホールではまず行えない。
たいていが全席指定席だし、全席自由席でがらがらの入りであれば、
ステージと聴き手との距離を変えることはできても、そんなことはまれにしかない。

いわばコンサートホールでは固定である。
同じことは映画館もそうだ。

いまの映画館と違い、
トーキー用スピーカーと呼ばれていた時代の映画館では、
スピーカーはスクリーン裏に設置されたモノだけだった。
つまりメインスピーカーだけで、客席の両側にサブスピーカーと呼ばれるモノの存在はなかった。

スクリーン裏のメインスピーカーだけで観客全員を満足させなければならない。
それは音質面だけではなく、音量面において、でもある。

このふたつの満足のうち、難しいのは音量面での満足ではなかったのか。
スクリーンのすぐ近く(つまり前の席)と後方の席とでは、通常到達する音圧は違ってくる。

簡単に考えれば前の席の観客にとってちょうどいい音量であれば、
いちばん後方の席の観客にとっては小さな音量となるだろうし、
反対にいちばん後方の席の観客に十分な音量にすれば、最前列の席の観客は大きすぎる、と感じることだろう。

私は残念ながら、ウェスターン・エレクトリック、シーメンスといった、
佳き時代のトーキー用スピーカーを設置した映画館で鑑賞した経験はない。

だからなにひとつはっきりしたことはいえないのだが、
それでも同じ料金を払っている観客全員を、音質・音量ともに満足させていたはずだ、と思う。

このことが家庭用スピーカーとトーキー用スピーカーの、大きく異っている点ではないのか。

Date: 7月 16th, 2014
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その8)

再生音量設定の自由は、なにもコントロールアンプやプリメインアンプのレベルコントロールの操作だけではない。
スピーカーとの距離を変えるのも、音量設定の自由である。

私は20代のなかばごろ、QUADのESLを鳴らしていた。
パワーアンプはSUMOのThe Gold。
5.5畳ほどの狭い空間だった。

そこで鳴っていた音は、多くの人がイメージするESLの音量的な制約はほとんど感じさせなかった。
狭い部屋ということで、しかも長辺の壁にESLを置いていたから、
ESLと私と距離はほんとうに近い。

そういう環境でESLの仰角を調整していた。

そうやって得られた音は、マーラーの最新録音を鳴らしても不足は感じなかったし、
大丈夫だろうか、という不安も感じなかった。

私だけがそう感じていたわけではない。
それにやはりESLで同じ体験をされた人がいる。

ステレオサウンド 68号のスーパーマニアに登場されている朝沼吉弘氏だ。
吉弘は予史宏の変換ミスではなく、のちの朝沼氏予史宏氏の、このときのペンネームである。

Date: 7月 14th, 2014
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その6)

どうも日本には、実際の楽器の音よりも大きな音で再生することに対して、
蔑みの目で語りがちなところが昔からあるように感じている。

チェンバロやヴァイオリン・ソロを、大きな音で鳴らす。
そこには知的な要素が完全に欠けているような感じで受けとめられがちである。

それが逆に小音量で、ということになると、印象は違ってくる。
なぜ実際の楽器の音より小さな音は認められていても、大きな音で聴くことは認められていない、
もしくは躊躇いがちになる人がいるのか。

オーディオには音量設定の自由があるのに、それを放棄するようなこと、
それも実際の楽器そのままの音量と同じ再生音量ということにこだわるのならばまだしも、
小さな音量は認めても、大きな音量は認めないのか。

こんなことを書いていくと、
録音物の制作者が、実際の楽器の音より大きな音での再生を望んでいない、と主張する人がいる。
ほんとうにそうだろうか。

録音エンジニアに直接聞くなり、発言している記事を読んでのことなのだろうか。
録音エンジニアも大勢いるから、実際の楽器の音より大きな再生音なんても認められない、という人もいると思う。
再生音量は聴き手にまかせられていることだから、制作者側が口出しすべきことではない、という人もいるだろう。

実際の楽器の音よりも、大きな再生音で自分で録音したものを楽しんで聴いている録音エンジニアもいる。