「絶え間なく流れ、少しずつ変化しながらも、それでいて一定のバランス、つまり恒常性を保っているもの。」
オーディオにおけるすぐれたバランスのよさを、いいあらわしたかのように思えるこれは、
福岡伸一氏の「動的平衡」について語られたもの(「週刊文春」2月25日号より)。
けれど、これこそオーディオのバランスの、もっとも理想のかたち、と私は思う。
音のバランスは大切だ、とずっとずっと以前から、多くの人がいってきている。
だが、その音のバランスには、「動的平衡」と「静的平衡」があるのではなかろうか。
いまデジタル信号処理の発達とハードウェアの進歩により、
いくつものイコライジングカーヴをメモリーを記憶させておけば、
ボタンひとつ(いまやボタンなどなくてタッチひとつ、か)で、すぐに記憶させておいたカーヴを呼び出せる。
この手の機能は、これから先、もっと便利になっていくはず。
CDをリッピングしたり、配信からのタウンロードによって入手した音源を再生するとき、
いちどその音源向きにイコライジングカーヴをつくり出して設定しておけば、あとは再生時に自動的に読み込んで、
聴き手はなにもいじることなく、ひとつひとつの音源に、最適のカーヴで再生される。
これは、ほんとうに素晴らしいことなのだろうか。
じつは、それぞれのイコライジングカーヴは、「静的平衡」でしかない、そんな気がする。
「動的平衡」でなく「静的平衡」だから、ディスク(音源)が変れば、そのたびにいじらなければならない。
ときには再生している途中に、カーヴをいじる人もいる。
そんな行為をどう捉えるかは、人さまざまだろう。
これこそ音楽に対して誠実に、そしてアクティヴに聴いている(接している)という人がいてもいいけれど、
いつまでも、そんなことをやっていては、いつまでたっても「静的平衡」から抜け出すことはできない。
「静的平衡」を、あらゆる音源に対して実現するには、それこそこまめにいじる必要がある、
という皮肉さがここにあり、その皮肉さが使い手にここちよい嘘をついている。