Posts Tagged 再生音

Date: 8月 1st, 2014
Cate: audio wednesday

第43回audio sharing例会のお知らせ(ゴジラとオーディオについて、思いつくままに)

今月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

テーマは、私の頭の中をいま大きく占めているのは、やはりゴジラ。
映画の中でのゴジラの進歩と再生音の進歩、
Ampzillaというパワーアンプがあったこと、
特殊撮影のアラが見えていても、あえてだまされて楽しむ、
と同時に想像では理想のシーン勝手に描いていること、
ゴジラを存在するものとしてではなく、現象として捉えることは、
再生音を存在するものとしてではなく、現象として捉えることに共通していること……。

レコードの音の世界は、ある種特殊撮影的な面もあるようにも思えてくる。
というわけで、今回のテーマはゴジラとオーディオについて、思いつくままに話そうかと考えている。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 15th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その16)

オーディオによる再生音に何を求めるのかは、人によってとうぜん違ってくる。

原音追求を目指している人もいれば、そうでない人もいる。
そうでない人で、クラシックを聴く人の中には、
コンサートホールでの感動をリスニングルームで再現したい、という人もいる。

コンサートホールでの実際の音をそのまリスニングルームで再現することは、
これから先どんなに技術が進歩しようとも、まず不可能といえるし、
もし可能になったとしても、可能になる前に録音されたものも聴くわけだから、
そういうLP、CDではやはりどこまでいってもコンサートホールそのままの音の再現は、
家庭というリスニングルーム環境では無理のままだ。

そんなことはわかっているからこそ、
求めているのはコンサートホールでの音ではなく、そこでの感動であり、
それをリスニングルームで再現するのが目標である──、
これはこれでいい、と思う。

でも、私はコンサートホールでの感動をリスニングルームで再現したい、とは特に思っていないし、求めてもいない。
そんな聴き手もいるはずだ。

なにもリスニングルームで感動を得たくない、といっているのではない。
コンサートホールでの感動の再現を求めているわけではない、ということだ。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 再生音, 言葉

再生音とは……

小林秀雄賞を受賞された多田富雄氏の、「女は存在で、男は現象」論は、
そのまま音についても当てはまると言えるのではないか。

「生の音(原音)は存在、再生音は現象」と考えていきたい。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 五味康祐, 再生音

再生音に存在しないもの(その1)

五味先生は、「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」で次のように書かれている。 
     *
「色はあるが光はない」とセザンヌは言った。画家にとって、光は存在しない、あるのは色だけだと。光を浴びて面がどういう色を出しているかだけを、画家は視ておればいい。もともと、画布が光を生み出せるわけはないので、他のものを借りてこれを現わさねばならない、他のものとは、即ち色だ──「そうはっきり悟ったとき私はやっと安心した」と、ルノアールも言っている。セザンヌの言うところも同じだろう。──この筆法でゆけば、ぼくらレコード鑑賞家にとって音楽はあるが、ヘルツはない、そう言い切って大して間違いはなさそうに思える。演奏はあるが、ナマの音は存在しない、そう言いかえてもいいだろう。 
     *
絵画に関しては素人だが、フェルメールの絵がすごい、のは、 
光が存在しない画布に絵具を重ねただけなのに、
光を感じさせてくれるところにあるのはわかる。 
この一点においてもフェルメールは天才だと思うし、 
素人の私は、ゴッホやピカソよりも天才だと思える。 

再生音にないのは、いったいなんなのか。 
五味先生は上のように書かれている。 
納得できるけれど、なにかすこし違うようにも、これを読んだとき、 
もう20年以上前になるが、その時からそういう思いが続いている。 

再生音にないものをはっきりといえるようになったとき、
大きく一歩前進する、といってもよいだろう。