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Date: 12月 12th, 2014
Cate: コントロールアンプ像

ミキサーはコントロールアンプたり得るのか(その2)

マーク・レヴィンソンが送り出したコントロールアンプといえば、
まずマークレビンソン・ブランドのLNP2があり、それから機能を絞った薄型のJC2(ML1)、ML6、ML7が続き、
チェロ・ブランドのAudio Suitがある。

チェロ時代にはEncoreも出しているけれど、
機能的に捉えた場合、EncoreはML1、ML7的位置づけになるので割愛する。
その後のレッドローズ・ミュージック、現在のダニエル・ヘルツに関して、あえて取り上げない。

これら三つのコントロールアンプの形態で、
私がミキサー的なだなと感じるのは、LNP2よりもAudio Suitのほうである。

これら三つのコントロールアンプは、いずれもモジュール構成をとっているが、
そのモジュールの考え方は同じとはいえないところがある。

LNP2、JC2のころのモジュールは、いわばOPアンプ的モジュールである。
プラスチックの比較的小さなケースに回路基板をおさめ、ピッチで固めている。
ICタイプのOPアンプが、大きくなりディスクリート構成になったものといえる。

ML7、ML6A以降のモジュールはプラスチックのケースはなくなり、基板もかなり大型になっている。
モジュールといえばそうなのだが、視覚的にはメイン基板の上にサブ基板がコネクターを介して取り付けられている。

LNP2にはモジュールを追加することができた。JC2ではMCヘッドアンプを追加できた。
ML7以降になると、追加することはできなくなっている。
フォノイコライザー用の基板がMM型カートリッジ用とMC型カートリッジ用が用意されていたくらいだ。

これらとAudio Suitは、
モジュールの考え方・使い方が違っていて、その点がLNP2よりもミキサー的と感じるところへつながっている。

Date: 12月 10th, 2014
Cate: コントロールアンプ像

ミキサーはコントロールアンプたり得るのか(その1)

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半には、ミキサーの一部がコントロールアンプとして存在していた。

岩崎先生が愛用されていたクワドエイト(QUADEIGHT)のLM6200Rがその筆頭だし、
イタリアのギャラクトロン(Galactron、輸入元:成川商会)のMK16、
ベルギーのロデック(Rodec、輸入元:今井商事)のMixmaster、
それにマークレビンソンのLNP2は、もともとミキサーとして開発されたLNP1がベースとなっているし、
LNP2をミキサーとして作りかえたモノが、当時のチック・コリアのコンサートでは使用されている。

1970年代のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEには、ミキサー/ノイズリダクションのページがあった。
当時は生録もブームだったこともあり、据置型だけでなく可搬型のミキサーもいくつかあった。
可搬型のモノはAC電源だけでなくDC電源パックが用意されていた。

この時代はまだCDは登場していなかったから、アナログディスクがプログラムソースの中心であり、
上記のモデルはすべてフォノイコライザーを搭載していた。
つまりフォノイコライザーがなければコントロールアンプとしてみなされなかった、ともいえる。

いまならば単体のフォノイコライザーアンプがいくつも登場してきているし、
アナログディスクを聴かない人もいるから、
フォノイコライザーを搭載していないミキサーでも、コントロールアンプとして使える、といえる。

ミキサーによってはパラメトリックイコライザーを搭載している機種もある。
ギャラクトロンのMK16は10バンドのグラフィックイコライザーを搭載していた。
クワドエイトのLM6200Rにはない。
ロデックのMixmasterには、いわゆるBASS・TREBLEのトーンコントロールがついていた。

コントロールアンプとミキサーとをわけるものといえば、ミキシング機能の有無なのだが、
それ以外にコントロールアンプとミキサーの共通するところ、そうでないところ、はっきりと違うところ、
これからのコントロールアンプ像を考えていく上で、ミキサーの存在は無視できないのではないか。

Date: 2月 4th, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その4)

別項「アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その15)」で、
アナログディス再生の、デジタルディスク再生に対しての強みは、
聴き手の感覚に合せられることのできる柔軟性にある、と書いた。
このことは聴き手の感覚を調整していくこと、とも書いた。

つまりデジタルディスク再生の弱みは、この柔軟性に欠ける点ともいえる。

そんな柔軟性は必要ない、という聴き手にとっては、
私が書いていこうとしているコントロールアンプの必要性はどうでもいいことだろう。

だが日本には四季があり、毎日の天候もまったく同じなわけではない。
乾いた日もあればじっとりした日もある。
気持ちいいと思える日もあれば、どんよりした日もある。

エアコンで空調が完全にコントロールされた部屋から一歩も外に出ずにすむ人ならば、
季節の変化に影響されることはないのかもしれない。
けれど、そんなわけにはいかない。
さまざまな事情で外に出ていく。そして実感している。

そういう暮しの中で、一年中同じ感覚を保つということは、終生変らぬ感覚のままということでもある。
そんなことがあるだろうか。

だから私はデジタルディスク再生における柔軟性を、コントロールアンプに求める。
別項「ミキサーはコントロールアンプたり得るのか」で、そのことについて書いていく。
これも、いま私が考えているコントロールアンプ像であり、
ここで書いていくことも、別のコントロールアンプ像である。