バックハウス「最後の演奏会」(その10)
関節があるから、人の身体は身体として機能している。
関節がまったくなかったら、大きな骨がただひとつだけあって、
それがたとえ人間の骨格と同じ形をしていようと、関節がなければ人形と同じことになる。
関節は骨と骨を結合させている。
私はまだないけれど、身体のどこかの関節がはずれてしまうと、
たとえば肩が脱臼すると腕はだらりとなってしまう。
関節によって結合しているから、人はあらゆる動きを行える。
関節があってもそれが機能としているから骨格が成り立っているし、
身体も機能しているわけである。
骨があり関節があり、骨格はある。
骨格のしっかりした音、
スピーカーの骨格とはなにか、について考えていて、次に浮んできたのが関節である。
音に骨格がなければ、音は軟体動物のようになってしまう。
骨格があっても関節がなければ、あっても関節として機能(可動)していなければ、
人の身体は動けなくなるように、音もただそこにあるだけとなってしまう──、
骨格のしっかりした音をうまく表現できないから、
逆に骨格のない音、骨格のくずれてしまった音はどういうものかを考えてみた。
やはり関節が重要なキーワードに思えてくる。
関節は人の身体に無数にあるわけではない。
腕にしても肩にあり、肘にあり、手首にあり、指にもある。
だが、肩と肘の間に、肘と手首の間に関節があるわけではない。
それに関節には可動領域がある。
360度、どの方向にも自由自在に動かせるわけではない。方向と範囲がある。
そのため人間にはできない動きが生じる。
関節があるために動きが制限される。
スピーカーはあらゆる音楽を鳴らせるものであってほしい、
とすれば、スピーカーに骨格なんて存在しない方がいい、という考えもできる。
軟体動物のようにどんな動きでも、どんなポーズでもできるのほうが、
骨格のある、骨格のしっかりしたスピーカーよりも、音の自由度は広い──、
果して、そういえるのだろうか。
私には、どうしてもそうは思えない。
骨格のあるほうが、音楽を聴く上では自由度がある、と感じているし、
その点が、自分の音にもってこれるスピーカーとそうでないスピーカーとにわけることにもなっていく。