オーディオと「ネットワーク」(編集について・その14)
ステレオサウンドへの批判で比較的多く目にするのは、
測定をやっていないから、そこでの評価は信用できない、というものがある。
こういうものを目にするたび、いつの時代も、こういう人がいるのか……、と気持になってしまう。
勝手に想像するに、こういう人は、ステレオサウンドに答を要求しているのではないだろうか。
スピーカーシステムにアンプにしろ、CDプレーヤーにしろ、
何がイチバンいいのか、それを示せ、と。
ここまで極端でなくても、この価格帯でイチバンいいのはどれか、という答を、
ステレオサウンドというオーディオ雑誌に要求している、としか思えない。
ステレオサウンドは一時期測定をよくやっていた。
やっていたから、答を誌面で提示していたわけではないし、
そのための測定ではなかった。
ステレオサウンドは、そんな答を提示するオーディオ雑誌ではない。
これはステレオサウンドを否定しているのではなく、だからこそステレオサウンドを昔私は熱心に読んでいた。
そのことは、おそらく当時ステレオサウンドに執筆されていた方たちの暗黙の了解でもあったのではないだろうか。
オーディオ評論家は、読者に答を提示する存在ではない。
私は、オーディオ評論家は、読者に問いかけをする存在だとする。
読者に、音楽をオーディオを介して聴くということについて、
もっと深く考えてほしい、感じてほしい、という気持からの問いかけであるからこそ、
評論なのだと思う。「論」がそこにはついていくる。