使いこなしのこと(迷うからこそ)
私が改めていうまでもなく、オーディオは奥が深い。そして広い。
このことを別の表現では、オーディオは泥沼だ、と昔はよくいわれていた。
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私はタンノイ・オートグラフに四六時中満足しているわけではけっしてない。いいレコードを──つまり曲も演奏もいい、録音も悪くない一枚を聴いているとき私たちは装置のよし悪しなどは考えないものだ。すんなり音楽的感動・その美しさ・味わいにひたっていられる。家庭でレコード音楽を鑑賞するこれはもっとも正常な、かつ大切な状態であって、本来はつねにそうあるべきなのである。
──が、理屈ではわかっていても、そうスンナリゆかぬところにオーディオ・マニアのかなしさや宿命があり、やっぱり、気にくわぬ音が出てくる。私も例外ではない。言うなら、永遠に迷えるおろかな羊だ。これは知っておいてほしいと思うのだ。
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これは五味先生のことばだ。五味オーディオ教室で、私は13歳のとき読んだ。
永遠に迷える羊──、それこそがオーディオマニアだということを、
そんな苦労はまったくしていない13のときに、とにかく文字の力によって刻まれた。
オーディオには迷うことが無数にある。
迷うことがいっさいなく、パッパッとすべてを判断していけたら、
オーディオは泥沼ではない、きれいな湖になるのかもしれない。
迷ったり苦労なんてしたくない、ただ好きな音楽をいい音で聴きたい、という人がいる。
それで、チューニングを生業としている人に依頼して、自分の装置の調整をまかせてしまう。
それもひとつのありかたであり、そういうやり方を否定はしたくない。
でも、こういう人たちは、どんなに高額な機器を所有していようと、オーディオマニアではない。
オーディオマニアでなくても、好きな音楽をいい音で聴きたい人はいて、
そういう人たちが、誰かに調整を依頼するのは当然のことだろう。
でもオーディオマニアと自覚している人であれば、どんなに迷うことだらけでも、
人に調整を任せてしまってはいけない。
世の中には迷うことが無数にあるのと同じように、迷うことで発見できることが、無数にある。
実際の道でもそうだろう。
目的地への最短のルートを、あらかじめ地図で調べて、それ以外の道はいっさい通らない。
寄り道は無駄なことである、と考え、それを実行している人もいるだろう。
道は無数にある。
それぞれの道は同じではない。
違う道を歩くことで見つけられるものが世の中にはある。
道に迷うことで見つけられるものがある。
チューニングを生業としている人の中には、
「最短距離でいい音にたどりつけます」などという人がきっといると思う。
そんな人に自分の装置をまかせてしまったら、最後、自分の目、耳で発見することができなくなってしまう。
その発見を放棄してしまうことを、自ら選択してはいけない。