日本のオーディオ、日本の音(その19)
このフロントパネルのハンドルと同じことがヒートシンクにもいえるのが、
アメリカの、きちんとつくりこまれた、ML2(No.20)と同時代のパワーアンプに共通するところである。
たとえばML2のヒートシンクのフィンの先端部分に、
銅を細く切った板をおけば、フィンの鳴きは異種金属のダンプにより、そうとうに抑えられる。
さらに出力段のトランジスターの保護用のコの字型カバーを取り外す。
これらによる音の変化は、フロントパネルからハンドルを外したときの音の変化に共通する。
はっきりと良くなるところが確かにある。
けれど、これらの鳴きを含めて音をつめて製品として完成させていることを確認することになる。
これらの鳴きが、うまいぐあいに、音の輪郭に手応えを感じさせている、とでもいおうか。
鳴きの発生を抑えたり、鳴きの原因であるパーツを外したりすることで、
その手応えが稀薄になってくる。
あえていえば、アナログディスク的な音の旨み的なものを良さとしていたのに、
その良さが失われてしまう。
そうなってしまうと、何かが欠けてしまった音、という印象につながる。
スピーカーシステムにおいて、共振は害だということで、
あれこれ手を尽くして、共振の元を取り除いたり、共振を徹底的に抑えていくことで、
聴感上のS/N比は向上していくものの、
それだけで、感覚的にいい音が得られるのかどうかは、なんともいえない。
完璧なスピーカーユニットが完成すれば、
共振、共鳴はすべて抑えた方向でいくことが正しいし、
いい音を実現するための方向であるのだろうが、
実際には完璧なスピーカーユニットなんて、いままでにもひとつとして存在していない。
スピーカーシステムもアンプにしても、
ひとつひとつは不完全な部品を組み合わせて、全体を構成していく。
だからこそいくつものアプローチが共存しているわけだ。