正しいもの(その13)
ふたりの音楽愛好家がいる、としよう。
ふたりともクラシックを聴く愛好家である。
ひとりはステレオサウンド 66号のベストオーディオファイルに登場された丸尾氏のように、
ノイズの多い、貧しい音のSPで音楽を聴いてきたバックボーンがある人、とする。
もうひとりは、SPの時代なんてまったく知らない、はじめて耳にしたレコードはすでにステレオ録音、
しかも優秀録音ばかりを聴いてきた人、とする。
このふたりが自分のオーディオで、
バーンスタイン/ニューヨークフィルハーモニーによるマーラーの第四を聴いた、とする。
仮に同じシステム(音)で聴いたとする。
丸尾氏と同じバックボーンをもつ人ならば、
そこで鳴ってきたギラギラした音のマーラーであっても、
丸尾氏と同じように愛聴盤とされることだろう。
でも、もうひとりはどうだろうか。
録音のひどさ、スピーカーから鳴ってきた音の悪さによって、
バーンスタインのマーラーの第四を愛聴盤とすることは、
丸尾氏のようにはならないだろう、と思う。
そこに、音楽に対する想像力が関係してくるのではないだろうか。
菅野先生は、
バーンスタインの、このLPの音をギラギラしたアメリカのオーケストラといった印象といわれている。
さらに著書「オーディオ羅針盤」にも、このバーンスタインのマーラーのLPのことを書かれている。
つまり丸尾氏のことについて、「オーディオ羅針盤」でも書かれている。
第5章「コンポーネント構成とその問題点」のなかの「CD否定の一般的概念(F氏の場合)」がそうだ。
ここを読めばよりはっきりとするのだが、
バーンスタインのマーラーのLP(丸尾氏所有のこの盤はCBSソニーの国内プレス)は、
2kHz〜4kHzあたりの中高域がかなり盛り上っていて、10kHz以上の高域もやかましい感じ、
400Hz〜600Hzあたりは反対に凹んでいる──、
そんな感じの録音らしい。
ここでの「録音」はテープレコーダーに記録されている録音ということではなく、
カッティングされプレスされて聴き手の元に届けられるLPを再生した印象で語られる録音である。
つまりカッティング、プレスなど、
LPができあがるまでのすべての過程を含んだ結果としての録音ということになる。
丸尾氏が、レコード番号SONC10204のバーンスタインのマーラーの第四を愛聴盤とされたのは、
音楽の本来の姿を想像する、という意味の想像力があったからこそ、のはず。
そのまま鳴らせば「死の舞踏」がアパッチの踊りへと、簡単に変質してしまうような録音であっても、
丸尾氏は、そこにバーンスタインが描いていた本来の姿を、少なくと頭の中で想像されていた……。
私は、そう思っている。
この想像力をもっているかいないかが、
バーンスタイン/ニューヨークフィルハーモニーのマーラーをとるかとらないかになっていく。