ロングランであるために(その16)
こんなふうに書いていくと、
どうも私が個人によるガレージメーカーを全否定するものと思われるのかもしれないが、
そういうつもりはない。
なにもすべてのオーディオメーカーが組織でなければならない、とは思っていない。
個人だけのデメリットは確かにあるものの、
一人だから、というメリットもあり、だからこそ経営が成り立っていることもあることはわかっている。
私がいいたいのは、個人によるガレージメーカーであっても、
主宰者なきあとのことを考えての手はずを整えておくことはできる、ということと、
そのことをまったくやっていない個人によるガレージメーカーの製品を買う時には、
修理、メンテナンスに関して苦労することがあるかもしれない、
と購入を考えている人にわかっていてほしい、ということである。
どのメーカーとはいわないけれど、
やはり個人によるガレージメーカーの主宰者に、修理のことを訊ねている人がいた。
それに対する答は、明快だった。
そこの製品は、複雑な構成をとっているものではない。
回路的にもひじょうに簡単なものである。
だから、わからないことがあったら、なんでも訊いてくれれば教える、ということだった。
そのガレージメーカーの中に、1機種だけ高価なモノがあるけれど、
それに関しても、複雑そうに見えても構成はそうではなく、故障する箇所は限られている。
そこに関しても、教えますよ、
と惜しみなく、その製品に注ぎ込まれた、その人のすべてを教えてくれるメーカーがある。
こういうメーカーであれば、あまり不安もなく安心して長くつきあっていけることだと思う。
でも一方で、ノウハウは私の商売のタネだから、教えられない、と頑なな主宰者もいるのを、私は知っている。
そう主張したい人がいるのは理解できるし、
自身の商売を守るためのものだから(それにしても狭量だとは思うけれど)、仕方ないことだろう。
でも、主宰者自身が生きている間はたしかに商売をしていくためのことであっても、
主宰者なきあとのことを、彼自身はどう考えているのだろうか。
そういう主宰者にかぎって、製品を、自分の作品と呼ぶ人が多いようにも感じている。
作品と呼ぶのは、いいことでもある。
でも、その作品を買ってくれた人に対して、
自分がなきあとの修理、メンテナンスのことをまったく用意しておかないことは、
作品(製品)を購入し、彼をいわばサポートしてくれた人に対しても、
彼自身が作品と呼ぶ製品に対しても、不誠実な態度のようにみえる。
だから組織化しなければならないわけでもない。
文字通り個人経営であっても、自身が生きているあいだは明せないことであっても、
きちんとできることはある。