Date: 5月 31st, 2012
Cate: High Fidelity
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ハイ・フィデリティ再考(続・原音→げんおん→減音)

マイクロフォンについてはいずれ書きたいと思っているので、
ここではこれ以上PZMについてはふれないものの、
どんなに性能が優れたマイクロフォンであっても、演奏の場のすべての音を電気信号に変換することはできない。
まずここで失われる音がある。その音の信号処理をみていっても、多かれ少なかれ失われていく音がある。

伝送系においても音は失われていく。
まったく失われない箇所というのは、オーディオの系の中にはない。

それから失われるまではいかないまでも、
歪やノイズや、その他の要因による固有音が附加されていくことによって、
これらにマスキングされて失われたように感じてしまう音もある。

音が失われていく箇所を、録音の現場から再生の現場までひとつひとつ丹念に数え上げていったら、
気の遠くなるような数になり、それらによって失われていった音がどれだけあるのか正確にはっきりと掴むことは、
正直、誰にもできないことである。

技術の進歩は、録音系ではできるだけ多くの音を収録する方向に、
再生系ではできるだけ多くの音を再現する方向にある。
情報量ということでは、確実に増えてきているし、情報量が多いことが良しとされる。

私も20代のころは、よく「情報量が」ということを口にしていた。
いまも情報量は、基本的に多いほうがいいということには変りはない。
けれど……、とも思う。

情報量は再生系、再生の現場においては、音量と密接に関係している。
音量との関係は絶対に切り離せないことである。

つまり情報量が増えていくほどに、リスニング環境のS/N比のはっきりとした改善がないかぎり、
音量は増していかざるをえない。
音量が増すことは、それなりの音量で聴くことになる。
そういう環境にある人でも、大音量を好まない人もいる。
音量の自由度は、オーディオの大切なことのひとつである。
その音量の自由度が、情報量が飛躍的に増えていくほどに、狭まっていく。

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