ナロウレンジ考(その1)
私は、ワイドレンジを志向している。
でも、ずっとそうだったわけではなく、むしろ20代前半のころは、ナロウレンジ志向とまではいえなくても、
ワイドレンジを志向していたわけではないこともあった。
ナロウレンジのよさ、というよりも、フルレンジのスピーカーユニットによるよさを積極的に認めていた、
と言いなおした方が、より正確かもしれない。
ワイドレンジを志向する以上、スピーカーシステムはマルチウェイに必然的になっていく。
それは周波数レンジの拡大だけでなく、別項の「ワイドレンジ考」で述べているように、
ダイナミックレンジ、指向特性の拡大など、すべての意味でワイドレンジであるためには、
いまのところ、どんなに優秀なフルレンジのスピーカーユニットが登場したところで、無理なことだ。
ワイドレンジ実現のために、スピーカーユニットを組み合わせてスピーカーシステムとしてまとめていく。
時間をかけて入念に仕上げていけば、かなり満足のいくワイドレンジ再生が可能になるであろう。
そういうシステムがひとまずうまくまとまったときに、フルレンジユニットを、
平面バッフル(もともと周波数レンジが広いわけではないので、大きなサイズはいらない)か、
余裕をもった内容積のエンクロージュアにとりつけて鳴らしたときの良さは、
精魂込めてまめてあげてきたワイドレンジのスピーカーシステムが、
どうしても出せない音(良さ)をもっていることに気づくことがある。
その良さは、フルレンジユニットだから鳴らせるのか、それとも適度にナロウレンジだから鳴らせるのか、
はたまたそのふたつの要因がうまく作用してことなのか。
とにかくフルレンジ一発のスピーカーしか出せない良さが、まだある、といえる。
日頃、ワイドレンジの音に馴れ親しんでいると、ナロウレンジの音をたまに耳にすると、
「ナロウだなぁ」と感じる。
それでも良質のフルレンジユニットによる、良質のナロウレンジの音であるならば、
すぐに耳のピントは、そのナロウレンジの音に合い、「ナロウだなぁ」と感じたのはほんの一瞬のことにしかすぎず、
すっかり、そのナロウなフルレンジの音を楽しんでいる自分がいることになる。