Date: 7月 9th, 2011
Cate: High Fidelity
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ハイ・フィデリティ再考(その32)

「五味オーディオ教室」の中の一章「どんなレコードを持たないかも、コレクションである。」に、
どういう曲をコレクションに持っているかは、どんな曲を持たないかと同等の意義がある、と書かれている。

これは、どういう曲をコレクションに持たないかは、どんな曲を持っているかと同等の意義がある、
と言い変えることもできるはずだ。

世界中で発売されたレコードすべてを購入できるだけの財力があったとしても、
人が一生をかけても死ぬまでに聴くことのできるレコードには限りがある。
それに実際には、そんな財力には遠く及ばない現実の中で、仕事をして、家族のために時間を費やし、
その残った時間で音楽を聴く──。
時間も金も限りある中で、音楽を聴いていくには、何かを選択することであり、何かを選択しないことでもある。

だから、その人のコレクションには意義がある。
大金持ちがすべてをコレクションしたものとは、そこが決定的に違う。

前者のコレクションには、その人の音楽的教養が求められる。
何を選び、何を選ばないかをくり返しながら、音楽的教養は身につき磨かれていき、
コレクションにはそれがはっきりと現れてくる。

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